閉鎖環境試験直前


 閉鎖環境試験の会場に着いたのは集合時間よりも随分前だった。チームのメンバーが集まる前に諸々確認しておこうと思っての行動だ。しかし一番隊に割り当てられた部屋へ入るとそこにはすでに苗字さんの姿があった。01と書かれた施設への階段に座り、手摺りの格子に頭を預けている。オレが部屋へ入ってきたことに気付いたのか、閉じていた眼がゆっくりと開いた。どうやら寝ていたようで何度か瞬きを繰り返してから視線を向けられる。
 この人と話したことは一度もなかった。が、これから長い時間を一緒に過ごすのだから躊躇っている場合ではない。

「早いですね」
「バイト終わってからここに直行したからな」
「……! 徹夜ですか?」
「心配すんな。試験中に寝たりしねぇよ」

 トリオン体になってしまえば睡眠も気にすることはないが、オレが心配したのは防衛任務以外で徹夜しなければならないほどバイトが必要なのかということ。そんな疑問が顔に出ていたのか「一週間もシフト入れないからな。事前の穴埋めってやつだ」と言われた。欠伸をした苗字さんは階段に座ったまま膝に頬杖をついて困ったような笑みを浮かべる。

「お前も災難だな。俺みたいな奴を急に放り込まれて」
「そういうのも含めての試験だと思ってます」
「模範解答だな」

 ズバッと指摘されてしまった。まるで風間さんみたいだ。確かに自分の考えというよりは俯瞰的な答えだったかもしれない。この人が求めてるのはきっとそうではないのだろう。

「まだ試験は始まってない。誰に見られてるわけでもねーんだ、ぶっちゃけてくれたほうが俺もやりやすい」

 粗雑な言い方だが苗字さんの視線はどこかオレを試しているように感じた。鋭い視線だ。嘘もハッタリも見抜いてしまうような、そんな視線。試験は始まってないと言われたがオレの試験はもう始まっている。隊長としてどう行動すべきか。どう選択すべきか。この人はそれを解った上でオレを試しているのかもしれない。
 苗字さんはずっとソロで活動をしている。説明会での城戸司令への態度を顧みると”命令される”ことは得意ではない。チームには必ず司令塔の役割を持った隊員が必要だ。だからチームで動くことを好まないのだと思う。そうであるからと言って誰の指示にも従わないのでは組織には属していられない。きっと苗字さんの中にはある程度の許容範囲がある。この人の命令でなら動く、といったものが。逆に言えばその範囲を満たせないか超えてしまうと試験中に苗字さんとの連携はとれなくなる。
 いや、複雑に考える必要はない。ゆっくりと静かに息を吐いて思考を落ち着かせた。

「……正直不安はあります。オレは苗字さんをよく知りません。他の隊員もそうだと思います。だからオレは隊長として苗字さんを知らなければならない。災難だとは思っていません。これは本当です。漆間を指名した時点でコミュニケーションの問題は課題としてあったので、苗字さんが入ってもそこは変わりません。それに、あなたが噂に聞くほど悪い人じゃないことは解りました。最悪、試験を放棄されることも考えてましたから」

 もちろん最初はなんでこの人が選抜試験に含まれているのか疑問だった。耳に届くのは印象の良くない噂ばかりで、真実か嘘かも不明。だからチームの隊員が決定してからまず最初に苗字さんのデータを確認した。個人ランク戦の数も他の隊員ほど多くなくポイントはB級下位にずっと留まっている。その代わり防衛任務をこなしている数は比較的多いほうだ。ポイントだけを見て実力を判断することはできない。試験に参加できるほどの実力はあると見ていいだろう。だが、それでも知らないのと同義なことには変わらない。
 それらを含めてオレは素直に苗字さんを知らないと言った。向けられていた視線がふっと逸らされる。苗字さんは立ち上がってオレの前に立つと、何を思ったのかワックスでセットした前髪を雑に撫でてきて額の上に下ろされた。

「うわっ」
「おー幼い幼い。若いうちから前髪上げてっとハゲるぞ」
「え、そうなんですか……」

 前髪を下ろしたオレの顔を見て笑った苗字さんの眼には先ほどのような鋭さはもうなかった。

「まぁなんだ。迷惑はかけねぇよ。こっちも腹括ったし。あと漆間な。あいつに手を焼いたら俺に任せてもいい」
「漆間と知り合いだったんですね」
「防衛任務でよく一緒になるんだよ。お前は隊長なんだから、隊員をうまく使え」
「了解です。その時はよろしくお願いします」

 無意識に入っていた肩の力が抜けていく。試験のことが前提にあるからだろうか、近界民を相手にするより緊張したかもしれない。ともかく苗字さんとのコミュニケーションはなんとかなりそうだ。それに想像していたよりも頼れる人なのかもしれないな。と、オレはこれから始まる試験の中で何度も同じようなことを思うのだった。