第一試験である閉鎖環境試験の一日目が終わった。施設内の寝室は二部屋あり、片方はシングルでもう片方はトリプルだ。おそらく他のチームはシングルとツインになっているのだろう。初日の部屋割りは空閑がカプセルベッドに興味を示したのと、漆間の一人がいい宣言で自然と割り当てることができた。慣れない環境下での試験だったためか虎太郎はベッドへ入るとすぐに眠ってしまったようだ。オレは設備されていた棚からいくつかファイルを寝室に持ち込み、寝る前に中身を軽く確認することにした。そうしながら一日を振り返る。
試験開始直後から少しヒヤッとした瞬間があった。チームのコンセプトを伝えた時だ。機動力があり長期戦にも対応できる部隊。これは説明会でチームメンバーを指名する時からある程度考えていた。最初に指名した漆間の隠密性のある動きは、機動力の高い隊員と組ませることで連携も巧くいくだろうと。その狙い通り機動力の高い空閑と虎太郎を指名できたのは幸運だった。そして苗字さんだ。データを確認したとはいえ彼の個人ランク戦の記録は数が少ない。それでも身体能力の高さと言えばいいのか、体の使い方が巧いという印象を受けた。
「苗字さんが入ったのは予想外だったけど個人ランク戦の記録を見る限りいい意味での予想外だった。より機動力の高いチームになったと思う」
それを踏まえてコンセプトを伝える時にそう言ったのだが、本人からは余計なことを言うなという視線を向けられてしまった。不機嫌そうな表情を浮かべる苗字さんにやってしまったか、と思わずにはいられなかったがこれも試験の内だ。それに彼を知らない隊員がほとんどだから、こういうことはなるべく伝えていったほうがいいだろう。
苗字さんが意外と気遣いのできる人だと解ったのはその後すぐのことだ。作業デスクに座る配置は割り当てられた個別のノートPCが置いてある席だったが、ノートPCなのでもちろん固定されているわけではない。運悪く、というよりも恐らく上層部の考えなのか苗字さんの向かいの席は志岐さんになっていた。彼女は男性が苦手で、試験が始まる前からオレが一番心配していたのはこの組み合わせだ。懸念していた通り志岐さんは萎縮したように顔を俯けている。これはまずいな。そう思い苗字さんを見ると少しだけ視線が合ってすぐに逸らされた。
「空閑、悪いけど席交換してくれ」
「いいけど、なんで?」
「漆間は放っておくとすぐ悪態つくからな。お目付役ってところだ」
「それあんたには言われたくないんすけど」
「ふむ、なるほど」
もしかしたら彼女の事情を知っていたのかもしれない。ありがとうございますと内部通話で伝えると、なんのことだとはぐらかされてしまった。思わず笑いそうになったがまた睨まれるのも嫌なので我慢した。
その後は問題という問題は起こっていない。一日目のスコアが低かったのはオレの配慮が行き届いていなかったせいだ。改善案はすでに出しているから明日は大丈夫だろう。スコアと言えば苗字さんの共通課題の得点が高いことには驚いた。対してA級評価が低いのは言動と行動が一致していないことと特別課題のせいかもしれない。
と、そこで一番最後にシャワー室を使っていた苗字さんが部屋に入ってきた。空いたベッドへと腰掛け、鴉の描かれたVネックTシャツの襟を摘んでパタパタと空気を服の内側へと送り込んでいる。そこで大事なことを思い出したオレは持っていたファイルを閉じた。
「料理ありがとうございました」
「おー」
「驚きました。苗字さんって料理うまいんですね」
「一人暮らしが長いからな」
大事なこと、それは食事だ。苗字さんがいなかったらこのチームに料理を作れる隊員は誰もいなかった。その事実が判明したのは特別課題を終え、各々が共通課題に取り組んでいる時だ。
時折、空閑や虎太郎が志岐さんへ質問をしている以外に会話はなく皆集中していた。だが突然苗字さんが席を立ち、ホワイトボード横にある低い棚の上に置いてあったメモ帳を手に取った。
「どうかしましたか」
「飽きたから気分転換だ。食料の在庫、ここに書いてあるので全部か?」
「そうです。小麦粉などもあるみたいですが分量までは分かりませんでした」
それだけ聞くと苗字さんはキッチンへと向かっていく。その姿を見ながら食料は確認したが試験中の料理のことは後まわしにしていて考えていなかったことを思い出す。念の為皆に料理はできるかと尋ねたがいい返答はなかった。その状況の中、まずいメシは食いたくないと言う漆間の図太さに呆れているとキッチンから苗字さんが戻ってきた。ペンを走らせていたメモ帳を数枚だけ剥がしてこちらへと差し出す。受け取って見てみるとそこには料理の名前や必要な材料、切るや炒めるなどが書かれていた。
「とりあえず一週間分のレシピ書いといた。多分これなら足りるだろ」
「え……あの、もしかして苗字さんって料理できますか?」
「できるけど。あー……解った。俺が作る。だから片付けはお前ら順番にやれよ」
こうしてオレたちは無事に夕食を迎えられたのだ。今日作ってもらったのは肉じゃがだった。調理にあまり時間をかけていなかったはずなのにジャガイモやニンジンにはしっかりと味が染み込んでいてとても美味しかった。後でメモを読み返したら"切った野菜はレンジで温める”と書かれていてこれが時短技か、と一人納得したものだ。そしてなぜか多めに作っていることに疑問を抱き聞いてみれば「この肉じゃがは明日カレーになる」と言われた。手際の良さと料理慣れしていることに驚くばかりだ。
しかし毎日の食事を苗字さんにだけ任せるというのはやはり負担ではないだろうか。他の隊と違い一番隊は人数が一人多い。邪魔になるかもしれないが自分も手伝わせて欲しい。そう伝えるとベッドへ横になった苗字さんに鼻で笑われてしまった。
「歌川。お前、俺が言ったこと忘れたのか。隊員はうまく使えよ」
どこか挑発的だけど優しさを含んだ笑みを向けられドキリとした。試験が始まってからずっと意外な一面ばかりを見る。そう思うのは偏った印象を持っていたからだろう。きっとこの試験を通して、多くの人が苗字さんに抱く印象が変わる。オレと同じように。それを一番間近で体験できるのはとてもラッキーなことだと思う。