飼い主に噛まれる


 俺逹の関係ってなんだろうか。学校の先輩後輩でない上に師匠と弟子の間柄でもない。友人と呼べるほど相手を知らないし俺も自分のことを話さない。
 ボーダーに入ったのは気まぐれだ。喧嘩とはまた違うストレス発散もできて金が貰えるいいバイトだと思ってここにいる。そんな不真面目な動機をもちろんこの人は快く思っていないだろうに、どうしてか一緒にいる時間が増えていく。

「ニノさん、シャワーありがと」
「服、それでよかったか?」
「ん、平気。ちょうどいい」

 本当は腕と胸回りが少しキツいが借りておいて文句は言えまい。背丈は同じくらいだが俺はこの人よりも筋肉がついてる。まぁ喧嘩で鍛えた筋肉だから自慢にはならないけど。
 空いた浴室へと向かったニノさんが先ほどまで座っていたベッドへと腰を下ろして濡れた髪をタオルで拭きながら部屋を見渡した。ここはニノさんの部屋だ。初めてお邪魔した。なぜ落ち着いたワンルームのこの部屋にいるのか、答えは簡単、泊まっていけと誘われたからだ。いや、誘われただと語弊があるな。あの人の言葉はいつもどこか命令口調だ。俺は素直じゃないから命令されると反発してしまうけど、ニノさんのことを「プライドの高い変な人」って分かってからはそういうもんだと思って大人しく従ってる。だからと言って全部に全部従ってるわけじゃないけど。
 話を戻すと、防衛任務が終わったのが朝方で一睡もしていないままバイクでアパートに帰ろうとした俺をニノさんが引き止めたというわけだ。
 まだ乾ききっていない髪のまま勝手にベッドへと横になった。文句を言われても無視しよう。バイト続きで寝不足なのは確かだ。一度横になってしまったら起き上がるのが面倒臭いし、泊まっていけと言ったのは向こうなのだからこのまま寝てしまってもいいだろう。
 ニノさんはいい人だと思う。よく飯奢ってくれるしうざったい生駒を遠ざけてくれるし……飯奢ってくれる。俺にとってニノさんは付き合いやすい人だ。余計なことは詮索してこないから近くにいても苦じゃない。適度に構ってくれるところなんかは好感が持てる。こういうのを、なんて言えばいいのか分からない。友人? いや違う。戦友? これも違う。ただのバイトだ、仲間意識なんてない。
 じゃあ俺達の関係に名前をつけるとしたら、なんて呼べばいいんだろうか。

 頬を撫でられる感触に閉じた瞼が震えた。あぁ、寝ていたのか。でも瞼を開けるのが怠い。起こす気がないようならこのまま寝てしまっても怒らないだろう。家主のニノさんには申し訳ないけど俺はベッドで寝かせてもらうよ。狭くはなるけど頑張れば一緒に寝られる。でもニノさんの添い寝なんてあまり想像できないな。
 浮上していた意識が再び眠りへと導かれていく中で唇に柔らかいものが触れた。この感触は知っている。眠りに落ちそうになるのを我慢しながらうっすらと瞼を開けるとまさに驚きの光景だ。

「……ニノさん」
「起きたか」

 この人が、ふざけたり冗談を言うような人だとは思えない。だからと言って本気に見えるかと思えばそうじゃない。いつもと変わらない瞳。熱を持たなければ冷めた視線を向けるわけじゃない。冗談なのか本気なのか読めない。もしかしたらただの好奇心なのかもしれない。ボーダーの連中は探究心を持つ奴ばかりだから。
 幾度か男と体の関係を持ったことはあるがこの人のようなタイプは初めてだ。伸ばした手で触れた髪は濡れていた。てっきりドライヤーで乾かす派だと思っていたけど違うのか。持っていたタオルをニノさんの頭に被せて、眠くて重い両手で撫でるように拭いていくとまた唇が重なった。キスをするのはあまり好きじゃない。あの人の吸っていた煙草の味を忘れたくないから。触れるだけなら、まだいい。だけどこれ以上はダメだ。

「ニノさん、俺、キスあんま好きじゃない」
「知るか」
「んっ……」

 久々の感覚に体が震えた。寂しさを紛らわす夜遊びは高2の終わり頃にやめて、それからは誰にも抱かれていない。お世辞にも上手いとは言い難いキスを拒絶することなく受け入れるのは体が欲を求めているか、眠いからか。
 それとも相手がニノさんだから?
 息をすることも許さないほど執拗にキスを繰り返され、ベッドの上に落ちた両手はシーツに縫い付けるように握られた。まさかこの人はそのつもりで泊まりに来いなどと言ったのだろうか。誰がそんなこと予想できるというんだ。プライドが高いからキスが下手なんて言ったら怒るかな。それともショックを受けるかな。
 ようやく離された唇と唇の間に唾液の糸が引いてぷつりと切れた。見上げた顔は頬が火照って少しばかり興奮の色が見える。なんだ、そんな顔もできたんだ。鉄仮面かと思ってた。濡れた唇がまた重なる。今度は緩やかに口付けが繰り返された。
 俺、今からこの人に抱かれるのか。他人とも友人とも言えないこの人に、おいしく頂かれちゃうのか。
 ──まぁいいか、ニノさんなら。