薄暗い部屋の中で目が覚めて寝返りをうつと端正な顔立ちをしたニノさんの寝顔が間近にあって一瞬だけ思考が停止した。そうだった、俺はこの人の部屋に泊まったんだ。寝起きで動きの鈍い体を起き上がらせると一糸まとわぬ自分の姿に、そういえばセックスしたんだと思い出す。隣で眠るニノさんは下だけは穿いている状態で少しだけイラっとした。俺にも着せろよ。風邪引いたらどうするんだ。
情事の後に濡れた箇所は拭いてくれたようだがシャワーでも浴びて綺麗になりたい。
「ニノさんシャワー借りるよ」
深い眠りに就いているのだろうか返事はないが構わず借りてしまおう。フローリングの上に落ちていた衣服を拾い上げて浴室へと向かったはいいが電気を点けて驚いた。
「うわぁ……」
鏡に映った俺の身体にはいくつもの赤い痕が残っていたのだ。場所によっては歯型まで残っている。よくよく思い返してみれば確かに執拗に何度も痛みが走ったような気がする。気持ちのいいセックスは何をされたとか結構覚えているが、残念ながらニノさんとの行為はあまり記憶に残らなかった。もしかしたらあまり経験がないのかもしれない。
暖かいシャワーを浴びながらニノさんが触れた手の温もりを思い出そうとしても、なぜかいつもの鉄仮面が浮かんできて気分が萎えてしまう。あの顔で「女性経験は豊富だ」なんて言われたらそれはそれでどん引きだけどまぁそれはないだろう。ニノさんだし。結局、俺とニノさんってどういう関係なんだ?このままいくとセフレになるけど大丈夫なのか。あの人なにか言ってたっけ……。ダメだ、行為中も眠すぎてあまり覚えようとしてなかったかも。だいたい寝込みを襲ってくるのがいけないんだ。だからといって抱かせてくれなんて言われたら俺はさっさとバイクに乗っていただろうけど。
シャワーを浴びて借りたニノさんの服に腕を通す。やっぱりちょっとキツい。ガシガシと濡れた髪をタオルで拭きながら部屋へ戻ってみたがベッドの上の住人はまだ夢の中のようだ。テーブルに置かれた携帯で時間を確認すると午前6時を少し過ぎた頃。午前中に入れてあるバイトにはまだ間に合いそうだ。自分が着ていた服は乾いていないからこのまま借りて行こう。洗って返せば文句も言われまい。
携帯とライターをポケットに突っ込んでバイクの鍵を握り部屋を見渡すと、この部屋の鍵を見つけたからそれも手に取る。大きな音を立てないように静かに部屋を出て鍵をかけ、そのままドアポストに鍵を落とした。アパートの駐車場に置かれたバイクへ歩み寄りながらニノさん宛のメッセージを打ち込んだ俺は何事もなかったかのようにその場を去ったのだった。
──という話を聞いた犬飼はニヤけた顔に少しばかり焦りの表情を浮かべた。
午前と午後で別のバイトを終え、根付さんから呼び出しを受けていた俺は夕方にはボーダーへ来ていた。街中での喧嘩がなぜか根付さんにバレたからだ。まぁ今に始まったことではないから慣れたもんだけど面倒な人だ。
「苗字、ちょっといい?」
メディア対策室へと向かう途中の人通りのある廊下で俺に声をかけたのは犬飼だった。ボーダー内で俺に声をかける物好きは極僅かだ。犬飼もその内の一人だが、大抵話題になるのはニノさんについて。今回も例に漏れず「昨日二宮さんとなにかあった?」と聞いてくるものだから所々はぼかしながら昨夜から今朝についてを話した。
「え、じゃあ隊長が起きる前に帰っちゃったの?」
「まぁ起きるまで待つの面倒だったし。つーかなんで俺はお前とこんな話をしなくちゃいけねーんだよ」
ぼかしたって言ってもこいつのことだから俺とニノさんが一発ヤっちまったってことは察してるだろうし、本当なんでこんな話をこいつにしてるんだ。自分とこの隊長が未成年に手出したなんてどん引き案件だろ。
「二宮さんめちゃくちゃ機嫌悪いの多分苗字が原因だろうなーって」
「なんでも俺のせいにすんな」
「や、でも今の話聞いたら絶対そうじゃん?」
どうやらニノさんの機嫌が悪いらしいがなんで俺が関係するんだよ。抱いた相手が起きたらいなくなってたのがそんなにお気に召さなかったのか? 恋人でもあるまいし、わざわざ起きるのを待つほど俺は暇じゃない。めんどくせー彼女かよ。いや立場的には女役は俺だけども。
「なぁー苗字頼むよー」
「俺にどうしろってんだよ」
「うちの隊長の機嫌直して!!」
お願いっ! と両手を合わせて頭を下げる姿は以前にも見た光景だ。お前それ得意技なの? ニノさんも大人なのだから自分の機嫌なんて自分でコントロールできるだろうし、俺が原因だと言うのなら俺が関わるべきじゃないんじゃないか。断る理由なんて探さなくてもいい。面倒の一言で終わる。ふと視線を感じて周りを見渡すと遠目からこちらの様子を伺う隊員がちらほらいて、なかなかに断りづらい雰囲気だ。わざわざ人が通る場所で呼び止めたのはこのためかよ。
「チッ……分かったよ」
「さっすが苗字! 頼りにしてるよ!」
「断れねー空気作っといてよく言うよ」
先ほどまでの焦り顔はどこへやら、胡散臭い笑顔を貼り付けた犬飼とはそこで別れた。そのまま根付さんのところへ行ってつらつらと止まることのない説教と嫌味と愚痴を聞き流した俺は反省の色もなしにメディア対策室を出て行こうとしたらまた怒られた。
ニノさんを探してボーダー内を歩くのは効率的ではない。だから俺はそのまま直接二宮隊の作戦室へと向かった。ありがたいことにそこには犬飼以外の二宮隊が揃っていて目的の人物もいつもと変わらない様子でそこにいる。
「ニノさん」
「なんだ」
え、分かんねぇニノさん本当に機嫌悪いの? しかしどうやって機嫌を直せばいいのか。俺はニノさんが喜びそうなことなんて知らないし、この人の笑顔も想像できない。じっと見つめてくる瞳から逃げるように視線を反らして思考を巡らせるがいい案は浮かばなかった。
「あー……腹減ったから飯行かない?」
結局いつものように飯を集ることにした。ニノさんは仕方がないとばかりに溜め息を吐いて「行くぞ」とだけ言ってさっさと作戦室から出て行ってしまう。
「本当にあの人機嫌悪かったのか?」
「はい、ついさっきまでは」
なんだか腑に落ちない俺は部屋に残ったままの辻にそう聞いてみるが、返ってきた答えにやっぱ俺が原因ってわけじゃなかったんじゃないかと眉を寄せた。