一歩外へ出れば茹だるような暑さが全身を包み込んだ。こんなことなら家に着くまでトリオン体のままでいるんだったな、と時枝はじわりと額に汗を滲ませながら照りつける太陽を見上げた。空は太陽の光を遮る雲一つない晴天である。
「なにやってんだ?」
眩しさに目を細めていると耳に届いたのはボーダー内でよく自分に構ってくれる人の声。振り返れば愛車だというバイクを押しながらこちらに歩いてくる名前の姿があり、時枝と同じようにこれから帰路に着くようだ。
「いえ、今日もいい天気だなーと」
「いい天気すぎるだろ」
夏の暑さにうんざりした表情を浮かべながら頬に流れる汗を乱暴にシャツで拭う姿に思わず口元に薄く笑みを浮かべる。つい先日も根付から彼とは極力関わらないようにと念を押されたばかりだったが、仲良くなりたいと望んだのは時枝自身だ。無愛想で他人と距離を置きたがる不良の苗字名前だけれど、一歩踏み出してみれば時枝が想定していたよりも彼は友好的であった。ただ踏み出し方を間違えればどこの誰とは言わないが極端に嫌われてしまうので要注意ではある。
──まぁでも苗字さん、年下には甘いし。
シャツで汗を拭っているせいで適度に鍛えられた腹筋が視界に入ってしまい、なんとなく視線を逸らしてもう一度空を見上げた。
「こんなに暑いと海にでも行きたいですね」
それはただの戯言で本当に行きたいと思って口に出したわけじゃない。ボーダーに身を置く者として、もちろん学業が最優先ではあるが次に優先なのはボーダーの仕事だ。と時枝は思っている。とくに広報役の嵐山隊であるから他の隊員の模範となるようある程度は心がけて行動しているし、普通の学生が普通にしている遊びを我慢することだってある。でもそれは今に始まった事ではない。学校の友人も時枝の立場を理解した上で誘いの言葉は口にしないのだ。
「行くか」
「……え?」
だから軽い口調でそう誘われて一拍反応が遅れてしまった。バイクのリアシートの下から予備のヘルメットを取り出した名前はそのまま時枝に投げ渡してからバイクに跨る。
「海、行きたいんだろ」
戸惑いながら両手でヘルメットを持った時枝はエンジンのかかったバイクから響く重低音を腹の底で感じた。それに合わせるように心臓がドクドクと鳴っている。じわりと滲んだ汗が額から頬を伝い顎から地面へと落ちていく。
「早く乗れよ。こんなとこ根付さんに見られたらまた小言言われんだろ」
ヘルメットを被ろうとした名前の視線がじっと立ったままの時枝を捉えて声をかけると、ハッとしたようにバイクへ小走りで駆け寄ってきた。
「おれ、水着持ってないです」
咄嗟に出た言葉はなんとも間抜けであった。
違う。こんなどうでもいいことを言いたいんじゃない。ただの戯言なのだ。本気で海に行きたくて口にしたのではない。なのに。なのに、なんでこんなにも、心臓がうるさいのだろうか。
「んなもん現地調達だ」
両手で持っていたヘルメットを奪われ少しだけ乱暴に被せられた時枝は意を決してバイクに跨った。エンジンの振動を体で感じながらどこに掴まればいいのか迷っていると、フルフェイスのヘルメットを装着した名前が後ろも見ずに時枝の手を掴んだ。
「振り落とされねぇようにしっかり掴まってろよ」
誘導された手は言われた通りしっかりと名前の腰あたりを掴むとすぐにバイクは走り出した。ヘルメットのせいでいつもより狭くなった視界には自分よりも広く逞しい背中しか写っていない。
時枝はその背中に憧れていた。束縛を嫌い、自由に生きようとする姿に憧れた。周囲の目なんか気にすることもなく、自分らしく振舞う姿に憧れた。
──自分にできないことを簡単にやってのけてしまう、そんなあなたに憧れています。
本人に言えばきっと否定されてしまうだろうその気持ちはこの先ずっと時枝の心の中に秘められたままなのだろう。
夏の暑さでうっかり漏らしてしまったあの言葉は本当に冗談だったのか、それとも本気だったのか、それは時枝自身にも分からない。全身で風を感じながら一つだけ分かったことは海に行きたいか行きたくないかではなく、彼と一緒に海に行けることへの喜びだけであった。