怖い人


※ボーダー残留で時枝くんとお付き合いIF

 苗字さんはいつもお前は優しい奴だなと言ってくれた。けれど、その度に心の中でひっそりと否定している。口に出してしまえばそういうところだと笑われてしまうからだ。他の誰にも見せないような柔らかな笑顔を向けてくれるならいくらでも言ってしまいたい。でもあの人は困ったように笑うから胸が苦しくなる。
 これから防衛任務が入っているからとラウンジの手前で苗字さんと別れた。相変わらず人の多い場所は好まないようで気怠そうに去っていく。その背中をじっと見つめるおれの視線にはきっと気付いているはずだ。その上で振り向かないのがあの人らしいな、と口元が緩んでしまう。
 姿が見えなくなるまで、なんて少し女々しすぎるかもしれないとラウンジのほうを振り返れば見慣れた赤い隊服が扉の影に隠れきれずに見切れていた。

「佐鳥」
「佐鳥はいません!」
「隠れられてないよ」

 気まずい様子でこちらを覗き込むチームメイトに小さく笑みを浮かべる。それからラウンジに入り自動販売機でジュースを買って、それぞれが思い思いに過ごす隊員の様子を眺めながら壁に寄りかかった。倣うようにして飲みかけのジュースを片手に佐鳥が隣にやってくる。その目は何かを言いたげで、嵐山さんが時々向けてくるものと同じで、なんとなくだが察せてしまう。

「佐鳥もあの人はやめたほうがいいと思う?」
「え!? いやいやいやそんなことないよ。とっきー幸せそうだなぁー……って……」

 後輩のようなサイドエフェクトは持ち合わせていないけれど、このくらいの嘘なら見抜ける自信がある。とくに佐鳥は誤魔化すのが下手だから。でも半分だ。嘘が半分、もう半分は嘘じゃない。
 口を閉じたまま言葉の続きを待っていれば佐鳥は眉尻を情けなく下げて降参するようなポーズを片手でとった。

「ごめん、やっぱりちょっと思ってる。だってあの苗字さんだよ? ここでは問題は起こしてないけどいろいろ噂もあるしさ」

 根も葉もない噂は信じないことにしている。でも苗字さんに関する噂はどれも真偽が解らない。本人の耳にも入っているのだろうがわざわざ弁明をする人ではないし、他人を寄せ付けないためには都合がいいとすら考えていそうだ。一方で教えてくださいと素直に乞えば簡単に明らかにしてくれるだろう。だからこそ今まで一度も訊ねたことはなかった。噂の中には女性との交際関係についてのこともあって、とくにそれらについては怖くて聞くことが出来ない。
 聞いてしまったら名も知らない過去の女性たちにおれも嫉妬をするのだろうか。ぼんやりと紙コップに入ったジュースに視線を落としていると佐鳥が慌てたように身を乗り出した。

「えっと誤解しないで。とっきーの好きな人を悪く言いたいわけじゃないんだ」
「大丈夫。おれのこと心配してくれてるってちゃんと解ってるから」

 多分苗字さんが言っていた傷付けるかもしれないというのはきっとこういうことなんだろう。責任を感じることなんてないのに。おれが勝手に好きになっただけ。おれが勝手に苦しんでるだけ。だから佐鳥も嵐山さんも気を遣わなくたっていい。

「苗字さんのことみんな知らないんだよね」
「そりゃそうでしょ。オレだってとっきーがいなかったら怖くて近寄れもしないもん。少しは慣れたつもりだけどさ、まだ話すの緊張するなー」
「……あのね佐鳥、おれは知ってるんだ。あの人が大人を嫌いなこと。年下に甘いこと。本当は煙草が好きじゃないこと。どれだけ慕っても越えられないラインがあること。それと、おれのお願いを断れないこと。全部知ってるんだ」

 出会った時からずっと見てきたから、憧れていたから、知ることができた。だから困らせると解っていたのにそれでも隣に立っていたくて、友人という枠組みに収まりたくなくて、どうしてもあの人の特別が欲しくて伝えてしまったんだ。でも後悔はしていない。
 言葉の意味を噛み砕いてようやく理解できたのか佐鳥が驚いたように目を瞬かせた。

「本当に怖いのはどっちだと思う?」

 おれは自分が少し怖い。でもこの苦しみもいつかは愛おしいと思うようになるって、そう信じている。