目を逸らす


 そろそろ潮時かもしれない。なんて思い立ってから行動に移すのはわりと早かった。シフトを調整しボーダーへ来る頻度を減らしていくとよく連んでいた時枝に最近忙しいんですかと聞かれ、最初の頃はそうなんだと嘘を吐いていた。
 数日振りにボーダーへとやってきた俺は、何度も足を運んだメディア対策室のドアをノックした。返事が聞こえてきてからドアを開けるとデスクで仕事中の根付さんが少し驚いたように目を見張ってこちらを見る。無理もない。この部屋へ入る時に礼儀正しくノックをするなんてこと今までしなかったのだから。その度に注意を受けたのがもう懐かしく思える。

「呼び出した覚えはないけどねぇ」
「あー、今日は自主的に?」
「……また何か問題を起こしたのかい」
「これから起こすかも」

 冗談交じりにそう言うと根付さんは眉を寄せ嫌そうな顔をする。そうそれ。ずっとそういう目で見ていればよかったのに。今日は話があって来ただけだと伝えれば、応接用のソファに座るように促される。けど座ってのんびり話すことでもないのでソファの裏に回り背もたれに軽く腰掛けた。普段なら行儀が悪いと怒られるところだが、いつもと違う雰囲気を察しているのか何も言われない。

「根付さん、俺にボーダー辞めろって言わなくなりましたね」

 その違和感に気付いたのは毎度のごとく根付さんのお説教を受けた時。口癖のように言っていた文句がなくなったのが始まりだ。一度目はうっかり忘れたのだろうと気にすることはなく、二度目は俺の考えすぎかもしれないと触れないようにした。でも、三度目でそれは確信に変わった。
 本人が意識してなのか、それとも無意識なのかは分からないがそんなことは関係ない。問題なのはそれに俺が気付いてしまったこと。察して欲しくてそうしたのならお見事だ。両手を挙げて降伏しよう。でもそうでないなら、俺はただ背を向けるだけだ。

「……そうだったかねぇ。以後気をつけるよ」

 あまりにワザとらしい言い方に笑ってしまう。別に辞めろと言ってほしいわけじゃない。言わなくなったのが俺としてはダメなんだ。そういう変化は求めちゃいなかったから。あぁ、でも、これって俺も悪いのか。普通にいい子ちゃんを演じていれば目をかけられることもなかったわけで、俺もこの人も困ることはなかった。ま、面倒だからそんなことはしないし、もうその必要もないけれど。

「いいよ、もう辞めたから」

 軽い調子で言いながら根付さんを見ると余程驚いたのか持っていたペンをデスクの上に落とした。表情も面白いことになってる。いろいろと迷惑をかけたからこの人には自分から挨拶をすると忍田さんに伝えていたが、本当に言わないでいてくれたらしい。
 そもそも俺がボーダーを知ったのはたまたまテレビで隊員を募集している、というこの人の会見を見たからだった。丁度その時、新しいバイトを探していたから正隊員になればそこそこ稼げると分かりバイト感覚で入隊したようなもの。普段から素行があまりよろしくない俺にとっては喧嘩とはまた別に憂さ晴らしのできる仕事だったから結構気に入っていた。が、もう仕方がない。気付くのも、気付かれるのもごめんなんだ。だから視線を外して意味も無く綺麗な壁を見つめる。

「っな、にを突然。君の冗談に付き合うほど私は暇じゃ──」
「ここに来る前、トリガーを返してきた」

 その言葉に冗談ではないと理解したのか根付さんは口を噤んでしまった。この人には悪いけど数日前にすでに手続きは済ませていた。上層部に正直な理由をアホみたいに伝えるわけにもいかず、嘘を交えてそれらしい言い訳をすればあっさりと書類は受理されたのだ。元々、チームにも所属していないやる気のない隊員だったから惜しくもないのだろう。
 世話になった時枝やニノさんには防衛任務のシフトの合間に挨拶を済ませていて、最後に残ったのが根付さんだった。ボーダーへ来る最後の日に告げるのは卑怯なやり方かもしれないけど、それ以外に何事もなく終われる方法は思いつかなかった。未練が全くないとは言い切れないが、きっと俺は何かが起こる前に消えたかったのかもしれない。そしてそれはこの人だって同じはず。
 ちらと横目に根付さんを見るとなんとも複雑そうな顔で額を押さえている。

「なんだよ。厄介事が一つ減ったんだ、もっと嬉しそうにしてくれてもいいんじゃねーの」
「できることなら私だってそうしたいよ。本当に君は、こんな時にまで面倒な子だねぇ」
「だから困る事になるって忠告したんだ。でも、それは俺だけのせいじゃない」
「……君に言われるまでもないねぇ」

 これ以上はもうお互いに交わす言葉はないだろう。俺がボーダーを去ることはすでに決定事項で、この人にそれを止める権利はないし、きっとできはしない。伝えたいことがあっても蓋を閉めてなかったことにする。目を逸らして、見ないふりをしなければいけない。
 そう。これが一番綺麗な、始まりも終わりもない唯一の方法なんだ。