まぼろしの咎人

 夏と夜のにおいを帯びた風が吹き抜けていく。極彩色の金魚。色とりどりの水風船。喧噪と篝火。
 道行く人々の楽しそうな声に心が弾む。行ってらっしゃい、と笑顔で送り出してくれた母と父に手を振り返して、下駄を履く。藍色と橙色の浴衣は両親に買ってもらったお気に入りのものだ。柔らかな笑い声をあげる友人に手を振って、彼女と一緒に歩き出す。夏休みに入ってから今日までで彼女と会うのは四度目だ。けれど話が尽きないのは親友だからか。大輪の牡丹が咲いた白地と紅色、藍紫の浴衣は大人っぽく笑う彼女にとても似合っていた。蝶々を模した簪飾りが美しい。左目の下の泣き黒子は、彼女の兄でもあり、わたしの長年の想い人でもある二つ年上の先輩と同じ位置にある。それが羨ましいと思ったこともあるけれど、今では、彼女だからこそ似合うのだと思っている。優しくも芯の強い彼女は、わたしの自慢の友人だ。
 地元の祭りは毎年彼女と行っている。所謂幼馴染でもある彼女はいつだって隣で笑っていて、それが当たり前のことだった。近所のわりと大きな神社で行われる祭りはそこそこ有名で、近づくにつれ喧噪と熱気が肌に触れる。何から食べようかと彼女と話して笑いあう。色気もへったくれもないけれど、屋台の食べ物のおいしさは格別だから。打ち上げ花火までの時間を確認しながら、神社の端までひととおり歩く。途中で何人かの同級生に会ってそれぞれと立ち話をしつつは新学期の再会を約束して別れる。
 どどう、と夏のにおいを孕んだ風が吹き抜けていく。屋台のおじさんにもらった焼きそばを零さないように気をつけて持って少し離れた場所で待つ友人を振り返る。その瞬間。なぜか彼女の横顔が消えてしまいそうに思えた。目を奪われて一瞬立ちすくむ。はっと瞬きをした瞬間にはもうその雰囲気は霧散して、いつもの友人の屈託のない笑顔がわたしに向けられていた。
 楽しそうな笑い声や調子の良いお囃子を背に彼女に駆け寄りながら、わたしは言いようのない不安を感じた。


「焼きそばおいしそうだね。はしまきと少し交換しよ?」
「おっけー。はしまきも食べたかったんだよねぇ」
「だと思った。んでも、今年は去年よりも人すごいねぇ。座る場所探すのこんな苦労するとは……」
「だね。ほんと座れて良かったね。でも花火は立ち見かな」
「あと三十分くらいかな。飲み物も買ったし、しばらく語ろ」

 屋台の賑わいからは離れた境内の一角に腰を下ろして焼きそばをふうふう言いながら食べる。途中で友人のはしまきをもらって、焼きそばもあげて、たくさんのことを話す。おおむねわたしの恋愛相談になってしまうのはいつものこと。わたしの好きな人がイコール彼女の兄であるため、微妙に相談しにくいけれど、ぼんやりとした助言ではなくて的確な助言をもらえるのはありがたいことだった。
 昔一度だけ聞いたことがある。自分の友人が自分の身内に恋をしているのは嫌ではないのかと。利用されているみたいで不快にならないのかと。彼女は優しく微笑んで、「うれしいよ。あなたもお兄ちゃんも大切な人だから」と言ってくれた。彼女はずっとわたしの想いを聞いててくれる。わたしの意思を尊重して、無理にくっつけようとしたりしないでいてくれる。それでいてさりげなく一緒に過ごせる時間を作ってくれたりしてくれる。それはとても嬉しいことだった。「いつか私にも好きな人ができたら話聞いてね」と微笑む友人は本当に良い子だと思う。


「あ……、」

 何かを言いかけた友人がわたしの背後を見て口をつぐむ。瞬間、どんっ、とお腹の底に響く音がして閃光が舞い散った。


「始まったね、花火」

 友人の声に、背後を振り返る。もう少し向こうに行こっか、と言いながら立ち上がる彼女に倣って荷物をまとめてわたしも立ち上がる。花火のきらきらした光がとてもきれいだ。しゃらん、と友人の髪をまとめる簪の飾りが涼し気な音を立てる。いくつも重い音がしては花火の光が躍っていく。友人の背を見ていた視界の中を、黒猫が一匹通り過ぎていったような気がして視線を横に向ける。あれ、いない、と思った瞬間、一瞬だけ空気が止まったように無音になった。
 どんっ、とひときわ大きな音とともに光の洪水が溢れる。思わず目を瞑る。
 そして。その瞬間をわたしはこの先ずっと後悔することになる。


「え……、なまえ……?」

 目を開けた瞬間。すぐ前にいたはずの彼女の姿はもう無かった。まるで最初から存在していなかったかのように。にゃあ、と聞こえた気がしたのは幻聴だったのか。もう知る術はなかった。

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