やわらかなひかり

 最近、みょうじなまえの手には細かい傷がある。もちろん土方自身が観察して見つけたことではない。勝手に部屋に来ては勝手にあれこれ話しかけてくる総司から聞いたのを思い出しただけだった。どうしてそんなことを思い出したのかといえば、屯所の奥まった場所で針仕事に没頭するみょうじの背中を見かけたからだった。土方自身、あまり来たことのないほど人通りのない場所だ。普段は仕舞ってある書簡が偶然必要になったために物置に来たところ、みょうじを見かけたのだった。
 土方の進行方向の廊下は右側に向けて直角に曲がっており、左手は庭だ。彼女は丁度曲がり角に、庭を望むように座っていた。曲がり角の先には物置しかない。つまり、必要な書簡を取りに行くには彼女を避けては通れない。土方は格段に気が重くなった。別に無言で通り過ぎれば良いだけの話だが、なんとなく気が重かったのだ。土方自身、みょうじへの態度を決めかねていたからかもしれない。
 土方は自分の目で見た物しか信じない人間だ。あの夜みょうじが話した身の上話は到底受け入れられる話ではなかった。未来から来た人間。そんなものが存在するとは思えなかった。今でも正直思ってはいない。ただ、経験から言って、あのときのみょうじの目は嘘をついていなかった。倒れるまで追い詰めたのは悪かったと思うが、あの場での自身の行動は間違っていなかったと考えている。
 みょうじのことを嫌っているわけではない。ただ、苦手だった。あのまっすぐな視線に、他のだれかを思い出すからかもしれなかった。





「へったくそだな」

 突然聞こえた声に顔を上げれば、真後ろに黒衣の人が立っていた。機嫌の悪そうな表情で私を見下ろした土方さんは、再度同じ言葉を繰り返す。その言葉に自分の手元に視線を落とせば、不格好に曲がった縫い目が見えた。確かに、という気持ちで苦笑を零す。事実だからこそ腹も立たなかった。そうですね、と頷けば、土方さんは小さく鼻を鳴らした。


「未来とやらでは繕いもんもしねぇのか」
「……人によるんじゃないでしょうか。私は――正確には両親のお金でですけど、破れたら買い換えていました」
「ふん、そうかい。そりゃ――幸せなこったな」
「どうでしょうか。あのときはそれが当然だと思っていましたけど、こうして物を大切に、破れても壊れても直して使うことはとても尊いことだと感じます」
「はっ、そんな大仰なもんじゃねぇ。金がねェ。物もねェ。それだけのことだ。買い換えることができるんならそうするさ」
「そう――でしょうか」
「だろうな。大体、そんな下手な繕い方してちゃ、金がなくても買い換えたほうがマシだ」
「……すみません」

 小さく息を吐いて、針を進める。
 学校の家庭科ではまずまずの成績だったはずだけれど、実際にここで繕い物をしてみると、それは現代の技術の恩恵あってこそのものだと思い知った。針も糸も現代には遠く及ばない粗悪なもの。大きすぎる針に、すぐに毛羽立ち切れる糸。いくら学校で手縫いの基礎の基礎を習ってはいても本職でもないわけで、正直難しすぎた。私の繕ったものを見た歩さんは、とくには何も言わなかったけれど、その次の日から急がないものだけを任されるようになった。所謂戦力外通告に悲しくはなったけれど、そのまま腐っていても仕方がない。想像以上にこの屯所の雑事は忙しく、少しでも上達して分担できるようになりたいと思って、最近は時間があれば練習するようにしていた。
 ただ、面と向かって下手だと言われると、わかってはいてもショックではあった。


「……そっちの布地を持っている手の位置だ。そこを動かすから縫い目がガタガタになる。針で掬うときに布を動かさないよう意識しろ。それでだいぶ違うはずだ」
「え……」
「あと夜はきちんと寝ろ。ただでさえ下手くそなのに寝不足で視界が狭まると手元が狂う。上達しねぇ理由の大部分がそれだ」
「……っ」

 少しだけ苦笑いの混ざった声は、呆れているというよりはもう少しだけ優しい感情を乗せているように聞こえた。それは私の願望、なのかもしれなかったけれど。


「市村の兄の方」
「……え?」
「細けェ仕事が得意だそうだ。弟の方の話が本当ならな。今日は非番だったからそのへんにいるんじゃねェか?」
「……、あ、はい……」
「次は、ちったァマシな出来のもん見せろ」

 手元に落としていた視線を上げたときにはもう土方さんは私に背を向けていた。彼の言葉をひとつひとつ思い出して、その背中に慌てて声を掛ける。振り向きはしないものの歩みを止めてくれた土方さんにつっかえるような勢いでお礼を言えば、不満そうに鼻を鳴らす音が聞こえた。
 土方さんの姿が廊下の向こうに消えていくまでじっと見つめて、ゆっくり手元に視線を戻す。どこからどう見ても下手くそだったけれど、少しだけ愛着が沸いた。僅かに逡巡してから、手に持ったものを片付けて立ち上がる。悔しいけれど、やっぱり土方さんはすごいと思った。アドバイスを与えつつ、目標も与えてくれる。口調は怖いのに、とても優しい。鬼と言われながらも慕われるはずだ。
 ぐっ、と伸びをすれば、思っていた以上に張っていた肩が音を立てた。


「……がんばろ」

 小さく頬を緩めたなまえの頬を、ふわりと五月の風が撫でる。それはまるで励ますかのように、優しい感触だった。

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