薫風の吹くころ

 ふわふわと綿花のような雲が空に浮かんでいる。この時代にはないわたあめを思い出して、少しだけお腹が鳴った。時々あっちの料理がすごく恋しくなる。卵たっぷりのオムライスとか、苺の零れ落ちそうなケーキとか。最寄り駅の中にあってよく友人と通っていたカフェの滅茶苦茶おいしいコーヒーも、コンビニでよく買ってたミルクティーも恋しい。
 庭を掃く手をとめてそんなことを考えていたら、後ろから「こらっ」と声を掛けられて思わず肩が跳ねた。おそるおそる振り向けば、にやりと笑った藤堂さんが立っていて緊張が解ける。


「びっくりした?」
「……心臓が飛び出るかと思いました」
「ははっ、ごめんごめん」
「笑いながら言われても……」
「まぁ心臓飛び出たら戻してあげるし、だいじょーぶ」
「意味はよくわからないですけど、まぁ、ありがとうございます?」

 全然悪く思ってなさそうな謝罪に溜息を吐いて、箒を再び動かした。藤堂さんは本当、つかみどころがないというか、軽薄なようで優しいし、優しいかと思えば毒舌も結構言うし、よくわからない。くすくすと笑って縁側に座った藤堂さんは、ぐーっと伸びをすると、「なまえちゃんもここ座りなよ」と床をぽんぽんと叩いた。掃除の途中だからと遠慮をすれば、「なまえちゃんを休ませるよーにって、アユ姉からの頼み事だから」と笑った。


「休憩とってないでしょ?ぼうっとしてたみたいだし、疲れが溜まってるんじゃない?」
「そんなに疲れてはないですけど……でも、ありがとうございます」

 藤堂さんの横に座って、私もぐーっと伸びをすれば、横から噴き出す声が聞こえた。藤堂さんを見れば、さっきのへらりとした笑顔じゃなくてお腹を抱えて笑う姿に疑問符が頭を飛び交う。
 しばらく笑い続ける藤堂さんを見つめていた私は、なんだか少し面倒になって、彼から視線を庭に戻して、足をゆらゆらと揺らす。このまま寝転んじゃいたいなぁ、と思って、それを実行に移す寸前で、庭の方から聞こえた声に気を取られた。その声に、藤堂さんもようやく笑うのを止める。


「どうしたの?正反対の顔して」
「つーか、平助がそんな爆笑するなんて珍しいな」

 ゆっくり歩いてきた永倉さんと原田さんは、不思議そうに私と藤堂さんを見比べた。私が言葉を返す前に、藤堂さんが少しだけ笑って、「なまえちゃんがあまりにもかわいいから」と返事をした。


「初めて会ったときは、お淑やかな子だと思ってたからさ」
「え……?」
「黙っていれば花の妖精みたいなのに、こうやって話してるとそんなふうに思わないから」

 褒めたかと思えば貶してくる藤堂さんにどんな表情を浮かべたら良いかわからなくて無言でいれば、少しだけ顔を青くした永倉さんが「そのくらいにしとけ……」と小声でつぶやくのが聞こえた。その横では原田さんが藤堂さんに必死でアイコンタクトを取ろうとしているのが見えて、小さく息を吐く。


「今もぐーって伸びをしたでしょ?男の前じゃ畏まったり澄ました顔をする女の子ばっかりだから、なまえちゃんみたいな子って本当にかわいいなって思うわけ。ありのままというか、なんていうか、良い意味で期待を裏切られるというか。うん。他の女の子とは違うね」
「……へえ、そうなんですか」
「うん。他の女の子にないかわいさだよ、ほんと。めちゃくちゃかわいい。他の女の子も顔はかわいい子も多いけどね、なまえちゃんはほんと小動物そのまんまな感じですごくかわいい。なんかこう子どもみたいな、」
「……藤堂さん」
「ん?」
「私、少しだけ気分が悪くなったので、自分の部屋で休みますね。太陽に当てられたのかも……ということで、永倉さん、原田さん、失礼します」
「え?大丈夫?」
「はい。でも少し休みますね」
「うん。お大事に」
「はい。すみません。永倉さん、原田さん」
「え?ああ、うん……」
「おっ?あ、ああ……」

 少しだけ瞬いたあと心配そうな顔をした藤堂さんに小さく息を吐いて、ぱっと縁側から立ち上がって歩き出す。苦笑した永倉さんには私の感情の機敏なんて手に取るようにわかったんだろう。驚いたような原田さんにも、私が太陽に当てられたわけではないことはわかっただろう。
 藤堂さんに悪気はないだろうけれど、他の女の子と比べてかわいいとか言われてもあんまり嬉しくないどころか、なんだか少し悲しかった。藤堂さんってモテるんだな、とは思ったけれど、なんだかこう釈然としないというか、モヤモヤというか、イライラというか。自分自身の心の機敏までもはわからなかったけれど、なんだかこう、あのままあの場にいたら自分がすごく嫌なことを言いそうな気がした。一応自室の方まで歩いて、それからゆっくりと裏庭に足を向ける。こういう時は、掃除の続きをして無心になるに限る。





「……平助」
「言わないで。さすがにわかってるから」
「ならなんであんな言い方するかな」
「……だってさァ、だって」

 溜息を吐いた俺を見て拗ねたような顔をした平助に苦笑いしか出てこない。顔は良いからモテる平助だけど、これがあるからどっちかっていうと女には嫌われる性質だ。ただ、かわいい、と言えば良いだけなのにいらないことまで付け加えてしまう。ぺらぺらと回り過ぎる口から出る言葉が薄っぺらく聞こえるのは本人もよく知っていることだ。ほんと、不器用で世話の焼ける奴だと思う。思いっきりへこむくらいなら、彼女の顔色が変わったあたりで止めれば良いのに。気づかないほど鈍感じゃないくせに。


「……嫌われたと思う?」
「さぁな?そう思うなら謝れば良いんじゃない?」
「うっ、新八っつぁん他人事みたいに……」
「だって俺はあんな失礼なこと言わないから」
「……だよね……はぁ……」
「まァ、なまえはいい奴だろ。謝りゃ許してくれるって」

 左之助の言うとおりみょうじさんはすごく良い子だ。二人は知らないけれど、彼女の背景も考えれば本当によく頑張っていると思う。いくら褒めてるとはいえ、平助の言葉は値踏みしているようだったし、他人と比べられるのは普通に考えてとても不快だろう。けれど、彼女は怒鳴り散らすでなく、不快感を飲み込んでうまく言い訳をしてここを離れた。おそらくは平助を傷つけないために。だから、すごく良い子だ。あれを言ったのが平助じゃなきゃ、俺もみょうじさんのかわりにすごく怒ってると思う。だから少しくらい言葉が刺々しくなってしまうのは許してほしい。ズーン、と沈み込んだ平助の肩を叩く左之助に目配せをして、ひとつ溜息を吐いて、ゆっくりこの場を後にした。





「あいつ悪気はないんだ、あれでも」
「……うん。知っています」

 さぁ、と葉々の間を吹き抜けていく風が肌を擽る。春の風は気持ちが良い。掃き掃除をしながら見上げた空は雲が動いて、さっきとはまた違う表情だった。ぼんやりとそれを見上げていると、永倉さんの声がした。振り向けば、声の通り苦笑いをした彼が私の後ろに立っていた。


「俺が言うことでもないけど、許してやってほしい」
「……最初は、私も、藤堂さんの言葉で傷ついたんだと思ったんです」
「違ったの?」
「……ここ、では、私は異質なんだなぁ、と改めて感じたというか……」
「え……?」
「“他の女の子とちがう”って、やっぱり、こう、なんか……」

 寂しく思ってしまった。ここに馴染みたくないと思いながらも、一方では、生まれた場所ではないこの時代には心底馴染めないのか、という寂しさが込み上げてきたのだ。悲しい、と感じたのはそういうことだった、たぶん。
 私の拙い説明で理解してくれたのか、永倉さんは一瞬驚いたように目を見開いてから、小さく息を吐いた。


「確かに違ってはいる。でも、それは、良いことだと思うよ」
「え……?」
「平助が言いたかったことは、もう一度ちゃんと平助から聞けば良いと思うから、これは俺の考え。きみは確かにこの時代の女性とは違う。雰囲気も、仕草も。それは、きみの生きていた時代が平和だったからだと思う。それはすごく良いことだよ。世界から、家族から愛された結果がきみなんだと思うし。でも、寂しく思ってくれるのなら、俺は嬉しい、かな」
「うれしい、ですか……?」
「少しは俺たちに心を開いてくれてるんだなって」
「……っ」
「その寂しさを取り除いてあげることはできないのかもしれないけど、少なくとも俺はみょうじさんの味方でいたいと思ってるから、何かあったら頼って」
「永倉さん……」
「もっとも、そう思ってるのが俺だけじゃないってこともみょうじさんなら知っていると思うけどね」

 そう言って視線を木々の向こうに向けた永倉さんにつられるように視線を向ければ、しゅん、と肩を落とした藤堂さんがこっちへ歩いてくるところで、なんだかすごく心が温かくなった。


「……ほんと、みんな優しすぎです」

 少しだけ泣きそうになりながら呟けば、横で小さく笑う声がした。


「それは、きみが優しいからだよ」

 五月の風が木漏れ日を大きく揺らしていく。溶けるように優しい声に乗せて言われた言葉は、私の心の中にずっとずっと消えずに残った。それは、まるで救いのようだった。

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