やさしいひと

 私の肩をそっと叩いて反対側に歩いていった永倉さんを見送っていると、小さな声で名前を呼ばれた。その声が想像よりずっとしょんぼりとしていたから、申し訳なさが沸々と沸き上がってしまう。藤堂さんに悪気の無いことはわかっていたし、褒められているんだから、苛々してしまったのは単に私が狭量だっただけだ。


「……ごめんなさい」
「え……っ、なんでなまえちゃんが謝るの?」
「藤堂さんを傷つけてしまったから、です」
「……違うよ。それは俺のほう。不快にさせてごめん」
「いえ、私が少し卑屈に受け取ってしまったんです。かわいい、って言ってもらえたこと自体はすごく嬉しかったんです」
「……かわいいよ、なまえちゃんは、本当、かわいいと思う」
「ありがとう、ございます」
「いつも一生懸命に仕事してるし、穏やかに笑っていてくれるから、なまえちゃんに会うとすごく安心するし元気が出るんだ。今までそういう子と会ったことがなかったから、思わず比べるようなこと言っちゃったんだけど、いつも比べてるとかそんなことじゃなくて――ただ、すごく感謝してるって伝えたかった」
「え……?」
「ありがとう、なまえちゃん」

 優しく目を細めて笑った藤堂さんは、なんだか少しだけいつもと雰囲気が違った。それを辿る前に、いつもと同じく飄々とした笑顔に変わってしまって、少しだけ戸惑ってしまう。けれど、それを言及できるほどの言葉を持たなかったし、違和感を明確にもできなくて、ただ、そっと息を吐いてから微笑むことにした。


「私の方こそ、いつも藤堂さんに救われています。藤堂さんと話していると楽しいし、元気が出ます。ありがとうございます」

 心を込めてお礼を伝えれば、藤堂さんは少しだけ息を呑んでから嬉しそうに笑ってくれた。「ありがと」と呟いた藤堂さんはどこか照れ臭そうで、途端に私も少し気恥ずかしくなった。さわり、と風が吹き抜けていったのを合図に、縁側に座る。箒は横に置いて、さっきとは逆に今度は私が、ぽんぽん、と隣を叩けば、藤堂さんは驚いたように目を丸くした。


「休憩の続き、付き合ってもらえますか?」
「……うん。うん、もちろん」

 藤堂さんの顔があまりにも満足そうだったから、私は思わず吹き出してしまう。そうしてさっきの永倉さんの言葉を思い返す。もしも、私が優しいのだとすれば、それはやっぱりこんなふうに優しくしてくれる人がいるからなのだと思った。優しくされれば、優しくしたくなる。それはすごく尊いことで、忘れてはいけないこと。
 現代での生活では、何不自由無かった。だからこそ、そのことに改めて感謝したことは無かったように思う。人から悪意を向けられたことは覚えている限りでは無くて、優しくされることを享受してばかりだった。でもこの時代に来てから、優しくしてもらうことがいかに有難いことか、というのを実感した。見ず知らずの、言ってみれば優しさを向ける理由のない相手に、それでも優しくしてくれる。それは本当に得難いもので、だからこそ、有難みを忘れてはいけない。時々、忘れてしまいそうになるけれど、当たり前と思ってはいけないのだ。
 帰りたい、とばかり思っていたけれど、ここでの生活は、私にとって意味のあるものに変わりかけていた。ただ、それを認めてしまうのは、元の時代での生活を捨ててしまうことになりそうで、私は、気づかない振りをした。

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