屯所の戸をブチ破りそうなほどの勢いで戻ってきたアユ姉は、そりゃもう真っ青で、その背中に担がれているのは意識のない上にずぶ濡れのみょうじさんだったもんだからその現場を直接見たっていう鉄くんの慌てようはそりゃもう凄まじかった。ちょうど隊務から戻ってきた俺んとこに真っ青な顔で走ってきて、いつになく強い力で俺を引っ張っていって、そのまま大慌てで人手を集めに行った。俺はといえば、アユ姉の背中に乗っているみょうじさんの有様に、慌ててそこらへんから着物や毛布を掻き集めた。息をしているのか一瞬心配になったけれど、どうやら気を失っているだけのようで、少しだけ安心した。ありったけの布類を集めたあと、アユ姉から彼女の体を受けとる。その冷たさに思わずぞっとしたけれど、アユ姉の後ろから、見慣れた町医者の姿が見えてほっとした。のも束の間、彼に抱えられている同じくずぶ濡れで真っ白な顔をした少年に、思考が止まってしまった。
「いいから!永倉隊長は早くなまえちゃんをあっちの部屋に寝かせて!なまえちゃんはウチが着替えさせるから!原田隊長はお湯持ってきて!鉄くんと藤堂隊長はそっちの少年着替えさせてからとにかくあっためて!先生はこの子から見てください。なまえちゃんよりも長ぅ川にいたから。辰之助さんと烝は先生の手伝いして!他の人はとりあえず火鉢持ってきて!」
動きの止まった俺を見たアユ姉が、怒鳴らんばかりの勢いで指示を飛ばした。その声にハッとして慌ててみょうじさんを抱え直す。氷のように冷たいみょうじさんを一刻も早く温めないといけないが、いくら何でもここで着物を脱がすわけにはいかない。俺が早く移動しないと、それだけみょうじさんを危険に晒すことになる。この状況の理由を尋ねたいが、そんなものは後回しにするしかなかった。
集まってきた人間にすぐさま的確な指示を出していくアユ姉はすごいの一言だけど、その顔は青白くて、声も震えてて動揺があらわになっていた。それはアユ姉らしくなくて、けれど、その気持ちはわかる気がした。
アユ姉は、みょうじさんのことをとても可愛がっているから。
たとえばみょうじさんが間者だったとして。その殺害を命じられたのなら、アユ姉は躊躇なく実行するだろう。その覚悟は、アユ姉だけではなくて、俺にもある。総司、烝にもあるはずだ。けれど、それとは別として、俺は、みょうじさんのことを好ましく思っている。もちろん、人柄を、だ。とても良い子だと、見ていて思うから。アユ姉もそうなんだろう。俺よりもずっと長くそばにいる分、たぶん、とても強くそう思っているはずだ。
足を動かしながら、ちらりと後ろを振り返ると、みんなそれぞれ言われた行動をとりながらも、みょうじさんを心配そうに見つめていて、俺は、なんだかそれがとても嬉しかった。
「はァ!?馬鹿かこいつは……ッ!」
「まあまあ、トシ、落ち着くんだ」
アユ姉から報告を受けた土方さんは、ひどく顔を顰めてぐしゃりと髪を掻き回した。その横では、近藤さんが苦笑して、土方さんの肩をぽんぽんと叩いている。
服を着替えて、体を温めるように沢山の布団を掛けているみょうじさんの頬は薄く色づいてきていて、体温が上がってきているようだった。医者の見立てでは体温が上がってくれば命には大事ないようだが、体がひどく冷えた分、風邪はひくだろうから、今度は熱が上がってくるだろう、とのことだった。熱が上がりきるまでは体を温めるため、火鉢の火を絶やさないように注意して彼女の様子をみていた俺とアユ姉のところに局長副長がやってきたのは医者が帰ってから半刻ほど後のことだった。事情の報告だろうと、部屋を出ようとした俺を止めたのは局長だった。俺も心配だろうから同席して良いとのことで、アユ姉から事情を直接聞くことになった。
そうしてアユ姉が語った事の顛末は、そりゃもう予想以上の話だった。
偶々溺れていた少年を見つけたみょうじさんが、迷う暇もなく川に飛び込んで彼を助けた、という。川から出てきたときには少年は呼吸が止まっているように見えたそうだけれど、彼女が彼の胸を何度か押していると少年が息を吹き返した、ということだった。
土方さんじゃないが、みょうじさんを思わず怒鳴りつけたい衝動にかられた。
いくら人助けだろうと、女の身で、たったひとりで川に飛び込むなんて自殺行為だ。それも。知っている人間を助けるためならいざしらず、まったくの赤の他人を。
それを、ためらわずにしたというのなら、彼女は――死んでも、良いと思っていたんじゃないだろうか。
そう思ったら、胸の中が燃えるように痛くなった。痛くて、悔しかった。虚しかった。そして、ひどく悲しかった。結果的には彼女は生きているし、彼女が助けた少年も生きている。でもそれは結果論だ。二人とも死んでいたかもしれない。その可能性の方が高かった。だってみょうじさんは俺よりも小柄な、力仕事とは無縁だったごく普通の子だ。本当にただの女の子。
たった二月。出会ってからそれだけしか経っていないけれど、彼女の人柄を見極めるには十分だった。
俺は、彼女を信じたいと思っていた。
屯所に住む人間は、もう、彼女のことを受け入れているんだろう。事情を知っている者も、知らない者も。仲間だと。でも、他ならなぬみょうじさん自身が受け入れていない。仲良くしているように見えていても、彼女にとって、“ここ”は生きる理由には成りえていない。それをまざまざと突きつけられたから、こんなにも、悲しいんだ。
