緩やかに惑う

「……副長とはいえ遣り過ぎや。嫁入り前のおなごの首に傷残すなんて信じられへん。殺すつもりは無かったなんて言い訳でしかあらへんし。ほんまごめんな、なまえちゃん」
「いえ……もう、謝ってくださいましたし」
「なまえちゃんは優しすぎや。あんな怖い目に遭ってまた気ぃ失ってしまって……。さすがに皆怒ってたで。遣り過ぎやって。うちもさすがに口出さずにおれんかったわ。皆で怒ったらしぶしぶなまえちゃんを部屋まで運んで手当して行きはったけど。きちんと謝りに来たんやね、良かったわ」

 皆から責められる土方さんなんて想像つかなくて、申し訳ないと思いつつも笑ってしまう。私の顔をまじまじと見つめた歩さんは、ややあって何か企むようなそれでいて嬉しそうな表情になった。笑いながらもそれに首を傾げれば、彼女は「なまえちゃんって」と言葉を落とした。


「笑うといっとう別嬪さんやねぇ。可愛いわぁ」

 突然の誉め言葉に固まってしまう。穏やかに笑う歩さんこそかなり美人だし、正直あんまり説得力はなかったけれど、彼女にそう言われるのは素直に嬉しかった。


「あの……、これから沢山ご迷惑をおかけすると思いますが、なるべく早く仕事を覚えられるように頑張ります。よろしくお願いします」
「そんな丁寧にええのに。こちらこそよろしゅうね。女手は今までうちしかおらへんかったからほんま助かるわぁ。うちの仕事のひとつにあんたの見張りも含まれてるのは承知やと思う。でも、うちはあんたのこと信じてるさかい、それだけは覚えといて。なまえちゃんが困ってたらいつでも助けたる。だから、何でも相談して」
「歩さん……、ありがとうございます」

 あまりにも優しい言葉に少し涙ぐんでしまう。誰も知り合いのいない場所でこんな優しい人に出会えたのは本当に奇跡のようだ。信じている、という言葉がこんなにも嬉しいなんて。何度も頷けば、歩さんは小さく笑ったあと真剣な表情になった。
 

「今後のなまえちゃんの身の振り方なんやけどな。あんたの抱えている事情については、あの場にいた人間しか知らへん。近藤局長と、土方副長、山南副長、沖田さんに、永倉さん。それとうちの弟や」
「……弟?えっ、歩さんって弟さんいたんですか?」
「部屋の隅でひとりむっつり押し黙ってたのおったやろ。あの子がうちの弟。烝って言うんよ」
「すすむ、さん?」
「せや。まァ、不愛想な奴だけどよろしゅうな」

 彼女の言葉に昨晩の記憶を辿って思い出す。そういえば、一言も喋っていないイケメンがいた。彼のことだろうか。ものすごいイケメンだとは思ったけど、全然会話をしていないからあんまり記憶になかった。表情も淡々としていて、彼が何を思ってあの場にいたのか後から考えてもよくわからなかった。彼女に特徴を聞けば、確かに彼のことだった。歩さんの弟と聞いてものすごくびっくりしたけど、でも言われてみれば確かによく似た面差しだった。姉弟揃って美人だ。納得したように頷けば、彼女は小さく笑って言葉を続けた。


「ここには他の隊長も、隊士もぎょうさんおるけど、あの場におった六人とうちの他には誰にも漏らさへん。せやから安心しぃ。あんたの秘密が外に漏れへんように、うちらも気ぃつけるから」
「ありがとうございます……」
「あんたは表向きには、近藤さんの遠縁で、親を亡くして近藤さんを頼ってきたってことになっとる。今日全員に通達して、明日紹介することになっとる。ここで働く上で局長の親類ってことなら、誰も文句言ぃひんさかい。勝手やけども話合わせてほしいんや。ごめんな。都合の悪いこと聞かれたら覚えていないとか適当に流しといてくれって近藤さんも言うてはったわ」
「……わかりました。あの、何から何までありがとうございます」
「とりあえず、明日は洗濯から手伝ってもらおうか?仕事内容は洗濯掃除が中心やな。慣れたら食事の手伝いもしてもらうと思うわ」
「食事、も、ですか……?」
「……疑われているのに?って顔やな。まァ、そらそうか。んでも、ほんまに人手が足らへんし。毒でも盛られたらそらあんたを信用したうちらの問題や。これでも人を見る目はある方やから大丈夫。な?」
「歩さん……、ありがとうございます」
「ええんよ。細々したことはやりながら教えるけど、どうしても今日のうちに覚えといてほしいことがあるんや」
「なんですか?」
「着付けや。聞いた話では、あんたのいたところじゃこういう着物はあんまり着ぃへんのやろ?けど、ここではこれしかないさかい、ひとりでも着れるようになってほしいんや。着物はうちの小さなったのあげるからええし、後はあんたが着れるようになればええ」

 何から何まで有難い申し出に少し罪悪感を抱いてしまう。こんなに良くしてもらって良いのだろうか。そう思っているのが顔に出てしまったのか、歩さんは小さく苦笑して、「ええんよ」と言った。


「妹ができたみたいで嬉しいんよ。うちの弟は不愛想やからね。可愛いとこもあるんやけど、姉らしいことなぁんもさせてくれんと少し寂しくてね。着物もほんまにうちのお古やから申し訳ないくらいや」
「そんなこと……あの、ありがとうございます」
「そのかわり。今日のうちに覚えてもらえるよう、ビシバシと教えるから覚悟しときぃ」
「ふふ、はい。わかりました」

 確かに、姉がいたらこんな感じかなと思うような話しぶりで接してくれる歩さんに感謝しかなかった。兄とはまた違う、見守るようでいて少しスパルタな感じ。胸が温かくなって、自然と不安は掻き消えていった。




 
 朝ごはんのあと、昼ごはんまでの準備の間を使って、歩さんは色とりどりの着物を持ってきてくれた。全部で十着程度あるそれは、驚いたことに私用に仕立て直しがしてあった。最初に着替えさせた段階でおおまかな寸法がわかったため片手間に直したのだと言われ、あまりの女子力の差に少し落ち込んだ。家庭科の成績は悪くは無かったけれど、そんなことは流石にできない。慣れれば簡単と言われたものの、私が習得するには膨大な時間がかかりそうだと感じた。着物だけでなく、帯や髪紐などの小物まで持ってきてくれ、正直だいぶテンションが上がった。床に広げられた着物のうち半分は華美ではなく、家事をするのに丁度良い色と素材に思われた。もう半分は桃色地に市松模様だったり藍地に小花が描いてあったりして全体的にお洒落な感じだった。歩さんは小さく笑うと、「たまには可愛い格好もしてほしいんや、あんた若いんやから」と言ってくれた。仕事着と私服的な感じで揃えてくれたところをみるに、彼女は本当に思いやりに溢れた人なのだと感じた。
 そこからはまず自分の着物を脱いで、脱いだ着物の手入れの仕方を教えてもらった。次に、着物の下に着る下着――襦袢の着方から順番に着付けを教わり、襟の合わせ方やきちんとしないといけない部分を重点を押さえて教えてもらい、歩さんが昼ごはんの支度に向かう前には、なんとか自分で帯まで締めることができるようになった。明日からは自分で着ないといけないため、何度も繰り返して動作を体に染み込ませていく。全身鏡が欲しいと思ったけれどそんなものはあるはずもなく、歩さんから見て「大丈夫」と思ってもらえるくらいに繰り返した。そのあとは、襷の結び方と、髪の結い方を習う。胸元まで伸ばした髪は今は髪紐でひとつに軽くくくっているだけだけれど、それだと邪魔になるから、手早くできるけれど解けにくい結い上げ方を習って実際にやってみる。思いのほかうまくできて嬉しくなる。元々ヘアアレンジは好きで、友人の髪もいじらせてもらっていたくらいだ。現代ほどアレンジの自由は無さそうだけど、慣れたら編み込みとかしてみたいなぁ、と密かな野望を胸に抱くくらいには楽しんでしまっていた。


「うん、完璧やぁ。なまえちゃん結構手先器用だったから安心したわぁ」
「ありがとうございます。なんとかできそうです。でも、これ、本当にお借りして大丈夫なんですか?」
「ええのええの、借りるなんて言わんと貰ってやって。もう小さなってしまって着る機会もないさかい」

 そのあとは細々としたこと――生理になったときの対処方法とか、お風呂のタイミングとかを教えてもらう。なかなか自分からは聞き辛かったことだから本当に助かった。やはり現代とは対処方法もだいぶ違うようで正直めんどくさいと思ったけれどしょうがない。お風呂のタイミングは男所帯のためかなり気をつけないといけないようだった。歩さんや私のような屯所で働く女を守るため、厳しい隊の掟が定められていて、襲いでもしようものなら粛清の対象なのだという。その厳しさは隊士の誰もが理解していて、ほぼ紅一点ではあるものの襲われることはほとんどない、らしい。


「でも全く無いわけやないの。時々バレないやろ思って襲って来ようとする男もいる。今まで何人かそれで粛清されてるんや。だから、気をつけていてほしい。なまえちゃんおっとりした雰囲気だし、襲いやすそぉ思う人間がおるかもしらん。勿論ほとんどの隊士は弁えてはるけどな。脅すわけちゃうけど、何かあったらあかんから、お風呂や着替え、寝るときも少しでもおかしいと思ったらきちんと助けを求めるんや」
「はい」

 先日の浮浪者たちに襲われそうになったときのことを思い出す。あんな目にはもう遭いたくない。きちんと自衛しよう、と強く心に刻みつける。


「それじゃ、今日の目標は達成できたことだし、昼ごはんにしよか」
「はい。ありがとうございました」
「ごはん食べ終わったら屯所んなか案内するわ。うちが、って言いたいとこやけど、ちょっと用事があって案内できひんのんや。せやから、沖田さんに頼んだわ。今日は非番やから暇なんやって言ってはったから。昼食べ終わったらここに来はるわ」
「ぅえ……っ、あ、は、はい」
「なんやその声、どっから出したん?――緊張せんでええよ、沖田さんとーっても話しやすい人やから」

 あまりにも予想外の人選に思わず声がひっくり返ってしまった。驚いたように瞬いた歩さんは楽しそうに笑うと、そう補足してくれたけれど、あんまり効果はなかった。


「(だって!あの!沖田総司だよ!緊張しないはずがない!)」
「あらー、かっちこちに緊張してはるわ……。土方さんが良い?」
「え!?いや、沖田さんが良いです!」
「ぷっ、あんた正直やなぁ。大丈夫、大丈夫。沖田さん近所の子どもらともよう遊んではるし、優しい人やから」

 土方さんに案内させるなんて恐ろしいことを言い出した歩さんを慌てて止めると、私があんまりにも必死だったからか彼女は噴き出した。けらけらと笑う歩さんは当初のイメージとは違って案外ノリが良い人らしい。彼女の言う沖田さんの普段の様子からして、本当に優しいんだと思って、肩の力を抜く。そういえば昨日もどちらかといえば私の味方になってくれていた感じだったし、怖い人ではないんだろう。明日からはここで働くのだから、少しでも他の人とも打ち解けておいたほうが良いはずだ。そういう意味もあって歩さんは沖田さんに案内を頼んだんだと思う。だからきっと大丈夫だ。
 でも一方で、頭のどこかで冷静な自分が言う。あの沖田さん――沖田総司が、こんな怪しさ抜群の女の言葉をそうそう信じるだろうか、と。彼はきっと歴史に伝わる通り、とても聡明な人だ。あの満月の夜、彼から感じた威圧感のようなものを思い出す。ああいう雰囲気を持つ人が、夢物語のような私の話を真っ向から信じるだろうか。否、そうそう簡単には信じないだろう。だから、私に歩み寄ってくれるのはきっと何かしらの理由があるんだと思う。彼は確かにすごく良い人なんだとは思う。でも、それは、ここで生きている歩さんから見て、だ。新選組に何かしらの危害を加えるかもしれない人間に対しては、きっと、とても怖い人なんだと思う。だから多分、立ち位置もあやふやな私は、見極められている。近藤さんや土方さんが俯瞰して、歩さんや沖田さんが近くから。きっとそういう役割なんだと思う。私を信じているんじゃない。きっと、私の目的を探るために近づいている。でも、それでも良い。私は、ただ元の自分の居場所に帰りたいだけなんだから。新選組に危害は加えない。加えられるはずもない。だから、それで良いんだ。


(でも、どうして少し胸が痛むんだろう……)

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