拍手お礼文・『わがままを誰かの為に』のアリマサの話


 
 怯えるように身体を震わせた少女。
 涙で潤んだ、薄く雲を引いた青空のような水色の瞳。
 トレーナーなんて誰でもいい、どうでもいい、そう思っていた俺は彼女を見てその考えを覆した。
 どうでもよくなんかない。
 俺のトレーナーは、パートナーになるのは、彼女じゃないと嫌だ。
 一目見て俺はそう思った。
 震える彼女を俺が、俺自身の手で守りたかった。



 俺が産まれたのは岩みたいな厳しい顔をした博士がいるポケモン研究所だった。
 同じ時期にタマゴから孵ったナエトルや他のポケモン達と穏やかで退屈な小さな町でじゃれ合う日々。じゃれ合いながらレベルを少し上げて、一定のレベルに達したポケモンからじゃれ合うのが禁じられていく。
 暇で暇でしょうがなくて、けれどいずれ新米トレーナーに引き渡されることは知っていたから少しの辛抱だなんてナエトルと励まし合いながら過ごしていた。
 そんな面白味のない研究所には訳ありのポケモンが連れて来られることもある。
 そうして出会ったポッチャマは酷く偏屈な奴で、ナエトル、ヒコザル、ポッチャマというシンオウ御三家と呼ばれるポケモンだったため俺達はセットとして扱われることが多かったのに、いつまで経っても馴染もうとしなかった。
 最初の頃はナエトルと二匹でポッチャマを構っていたが、一言も喋らないポッチャマが慣れない場所に緊張しているのではなく俺達を下に見ていて話さないのだと気付いてからはそんな気も失せてしまった。

「あの子は人に捨てられたことを認めたくないんだろうね」

 そう言っていたのは、ポケモン研究所にずっと前から居るカゲボウズだった。
 カゲボウズは、このシンオウ地方から遠く離れた陸と海を超えた先にあるホウエン地方のポケモンだ。ゴーストタイプという、新米トレーナーのパートナーになるには癖のあるポケモンだった為になかなか引き取り手が見付からず随分と昔からここに居るらしい。
 同じぐらい長く居るニャースも、カントー地方のポケモンでシンオウ地方では珍しいポケモンだからと新米トレーナーのパートナーに選ばれずにいる。なんでも昔他の地方のポケモンをパートナーとして旅に出た子供が悪質なポケモンコレクターに襲われてパートナーのポケモンを連れて行かれた事件があったせいで、旅に出る予定のある子供のパートナーにシンオウ以外の地方のポケモンを宛てがうことは滅多に無いんだそうだ。
 そんな二匹は元々ポケモントレーナーの元で産まれて、色々あってこのポケモン研究所に行き着いたらしい。
 シンオウ地方には居ないポケモンで、トレーナーに育てられる前に手放された彼女達はポッチャマに強く同情しているようだった。

「誰も悪くないのよ。仕方の無いことなの。人の都合とポケモンの都合が重ならないことは珍しいことじゃないの。あの子があんな風なのも、それであなた達が嫌な思いをするのも、ポケモンであるアタシ達にはどうする事も出来ない事。だからせめて、あの子のことは放っておいてあげて。あの子があれ以上傷つかないように」

 ニャースの言うことは、正直俺には理解出来ない。ポケモンだって人だって、元々同じで群れる生き物だ。ポッチャマみたいに周りを拒む奴は生きていけない世界なのに。
 折角出会えて揃ったシンオウ御三家なのに。
 ほんの少し会話をすることさえも出来ないのか。
 そう思うと酷くむしゃくしゃして、ポッチャマがそうなった原因である人間のこともろくでもない生き物だと思った。ポッチャマの態度にはめちゃくちゃ腹が立つしもう話し掛けてやりたくないと思うが、同じ境遇だというカゲボウズとニャースの顔を立てて憎んだり蔑んだりはしない。仕方の無いこと。結局、比較的恵まれた環境にいる俺には完全に理解することは不可能なことだ。
 だから代わりに、そんな状況にした人間に悪感情を抱いた。行き場の無いもやもやをぶつける先が欲しくて。
 人間を全部引っ括めてろくでなしだとは思わない。俺は研究所生まれで、研究所の人間にはとてもよくしてもらっている。研究所のある町の住民も穏やかで良い人ばかりだ。俺が直接知っている人間は皆悪い所を見つける方が難しい。
 それでもカゲボウズとニャース、ポッチャマのことがあるから、色んな人間が居ることを知っている。知ってしまった。
 俺達ポケモンはトレーナーを選べない。まだ野生なら捕まる前に逃げ出すことも出来るが、逃げ切れることはとても珍しい。俺のような人間に世話をされているポケモンは選ばれたらこちらの意思なんて関係無く引き渡される。
 どんな人間の元に行くことになるか分からない。特に新米トレーナーの子供はどんな人間に育つか分からない。とんでもなく酷い人間の手持ちにさせられるかもしれない。そう思うと、退屈を持て余して未来に期待していたことが全部色褪せた。
 何もかもがどうでも良くなった。多分この時の俺はやさぐれていたんだろう。良いことも悪いことも確率は半々。期待して期待外れだったら、なんて思うのは酷く疲れる。だから最初から悪い方になった時のことを考えて覚悟を決めて、誰がトレーナーになっても構わない、自分がどうなろうとどうでもいいと、投げやりになった。
 その方が、期待を裏切られたなんて思わなくて済む。
 それからの俺は何をするにもやる気が起こらず、ただただ無気力にぼんやりとして時間を費やした。
 レベルが上がってはいけないと他のポケモンとじゃれ合うことは禁じられていたから、俺が何もせずにいても研究所の博士や博士の助手達は気にしない。
 ナエトルは何か言いたそうな顔をしていることはあったが、結局何も言わずいつも通り接してくれた。
 そうして幾年か経ち、いよいよ俺、ナエトル、ポッチャマも新米トレーナーの元に行こうかという話が研究所で出るようになった。
 俺達は引き取られてからその話が出るまでそれなりに時間が掛かった方だ。俺やナエトルより後にこの研究所に来たポケモンが既に何匹もトレーナーに引き取られていっている。隣の街コトブキシティにはトレーナーズスクールがあって、そこを卒業したトレーナーがここにポケモンを求めてやってくるのだが、どうやら博士は俺達三匹を同時に旅立つ三人の新米トレーナーに渡したかったらしい。
 シンオウ御三家であるナエトル、ヒコザル、ポッチャマはセットとして扱われる。人気はあるが珍しいポケモンの俺達は単体で選択肢にあげられることは無いそうだ。
 だから、三人組の新米トレーナーが来るのが待たれていたのだが、トレーナーズスクールを卒業したトレーナーは殆どの場合一人で訪ねてくるのでなかなか引き取り手が居なかったんだとか。
 今この町と隣のフタバタウンには同い年の三人の子供がいる。
 フタバタウンの二人は博士の知己の子供でこの町マサゴタウンの一人は研究所で働く研究員の子供。
 恐らく同じ時期に旅に出るだろう三人のパートナーになる為、俺達三匹は準備を始めることになった。
 まだ右も左も分からない子供と旅をするということで出来る範囲で手助けできるよう教えてもらったことを復習し、レベルが上がらないようにしていたせいで鈍った体を軽く運動してならす。
 俺はただ言われた通りに動くだけで真面目に取り組んでは居なかったが、ナエトルは必死な様子で体を動かし、博士や研究員達の言葉を聞きそれを後で自分で暗唱したりして覚えようとしていた。ナエトルは戦闘に向いている性格じゃないのに、パートナーとなる子供の為に懸命になっている。俺は正直そんなナエトルが羨ましかった。俺はどうにも、どんな奴か分からないまだ見ぬパートナーの為に必死になろうとは思えなかったから。

 面白味のない日々。
 それが変わる日は近い。
 どう変わるのかは、俺には分からないまま。

 ゆっくりと、けれど確実に時間は過ぎていく。
 旅立ちの日がいつかは誰も知らない。研究所の奴らが言っていたのはただの予想で、実際に子供が旅立つかどうかは未だ分からないままだ。
 旅立つ予定の子供は少年二人、少女一人。
 少年二人の方はポケモンに興味津々でいつ旅立つと言い出してもおかしくない様子らしい。
 だが少女の方はなんの情報も無い。

「フタバタウンに居る子達は、どんな子なんでしょうね?」

 ナエトルはたまにポツリとそう呟く。
 恐らくナエトルはマサゴタウンに居る少年、コウキと旅に出ると思う。コウキは研究員をしている夫婦の子供で日頃から研究所に出入りしているが、あいつはナエトルとすこぶる仲がいい。
 ナエトルがフタバタウンの子供を気にするのは、俺とポッチャマを心配してのことだろう。ポッチャマは相変わらず取り付く島もないし、俺の心境の変化にナエトルはきっと気付いている。

「良い子だと、いいですね」

 俺が何も言えずにいればナエトルはそう言って話を締めくくる。何度も繰り返し繰り返し、まるでまじないのようだ。

 まじないが効くかどうかは分からない。フタバタウンの少年のことは度々話題に上ったが、フタバタウンの少女のことは、誰も知らない。

 季節が一巡して、雪解けの時期が来た。雪深いシンオウでは冬の間は何も出来ない。また鈍ってしまったからと俺達三匹はナナカマド博士とコウキに連れられてシンジ湖で体を動かすことになった。
 コウキは少しずつ研究所の手伝いを任されるようになっていて、今日俺達と一緒に来たのもフィールドワークの仕方を博士に学ぶ為だ。
 博士とコウキの指示に従って体を動かし技を放つ。それを見て博士はポケモンの特徴や個々のポケモンの性格の見分け方などをコウキに教える。
 そうして数十分経ってほどよく体が温まった頃に、博士のポケギアから音が鳴り響いた。
 いつも元から険しい顔の博士が更に表情を険しくさせ、ポケギア越しに誰かと話をしている。短くも緊迫したやり取りの後、博士は急いで研究所に戻ると言って辺りを片付け始めた。コウキも慌ててそれに従い、俺達はモンスターボールに戻されて来る時と同じように鞄にしまわれた。
 だがよっぽど慌てていたのか、博士とコウキの足音は遠ざかり俺達が入った鞄はそのまま地面に置かれたまま。
 俺達はシンジ湖のほとりに置き去りにされた。
 パニックになったナエトルの声が鞄の中に響きガタガタと揺れる。声は聞こえないもののポッチャマも混乱しているのかナエトルとは別の振動が伝わってきた。
 俺は、何となく何もせずにいた。もしかしたら冷静ではなかったのかもしれないが、少なくとも取り乱したりする程拙い状況だとは思っていなかった。
 慌てていたといっても、流石に博士もコウキも研究所まで帰れば俺達のことを思い出すだろう。研究所とシンジ湖はそう離れていない。迎えはすぐに来る。

「ちゃんと迎えに来てもらえるでしょうか……」
「大丈夫だろ。どんなに遅くたって今日中には気付いてもらえるさ」

 落ち着きなく振動する鞄。このまま揺らされ続けると酔ってしまいそうだ。
 なんとかナエトルを落ち着かせようと他愛ない話を投げ掛けていけば、次第にナエトルの雰囲気が穏やかなものに戻っていく。
 シンジ湖のほとりは静謐な空気に包まれていて、ナエトルが静かになると耳に痛いぐらいの静けさが際立つようになった。ポッチャマは息を潜めているかのように存在感が薄くなっていて、ふと俺とナエトルの会話が切れると無音の空気がのしかかってくるような錯覚に襲われる。
 風もなく空をポケモンが飛んでいくこともない。
 ……だから、普段なら気付かないような微かな違和感に気付けた。

「ナエトル、ポッチャマ。隠れているやつがいるの、分かるか」
「……苛立ってるような? ピリピリした空気が、少し……」
「…………」

 相手は隠しているようだが、隠しきれないささくれだった気配がある。
 近くはないが遠くもない。恐らく俺達が入っている鞄に気が付いている。
 もしかして、ここを住処にしているポケモンだろうか。自分の縄張りを侵されたと思って俺達を狙っている、とか。もしそうだったら拙い。
 俺達は新米トレーナーの最初のポケモンになる為、新米トレーナーと一緒に成長していけるようレベルが低い。もし相手が強いポケモンだったら、鞄に入れられたままでどうしても後手に回るしかないこの状況だと逃げることも難しい。
 どうすればいいのか。
 鞄の中からでは相手の正体さえ分からない。
 じり、とにじり寄る小さな音にせめてと思い身構える。

「やっと着いたぜ、シンジ湖ー!!」
「ま、待ってよジュン! やっぱりポケモン持ってないのにわたし達だけで草むらに入るなんて駄目だよ……!」

 突然沈黙を引き裂いた大声に思わず体が跳ねた。モンスターボールに頭が当たってガタリと音をたてる。
 子供の声。近寄ろうとしていた気配の意識が子供の方に向いたのが感じ取れた。駄目だ。子供はポケモンを持っていないと言っている。この付近にはそうレベルの高くないポケモンしかいないといっても、幼い子供がポケモンに立ち向かうなど無謀でしかない。
 鞄は開かない。気付いて開けてもらわなければ俺達は出れない。

「うわぁ!」
「ジュン!? 何が……ポケモン!」

 何かの唸り声が響き渡る。子供達が逃げているのか草を踏みつける音が絶えず聞こえ続けている。
 距離は離れている。どうにかこの鞄の存在に気付いてくれれば……。俺はモンスターボールの中で飛び跳ねて鞄を揺らす。俺の意図に気付いてくれたのかナエトルとポッチャマも同じように揺らしてくれた。
 鞄がガタガタと大きな音をたて始める。

「っ、……なにこれ、鞄?」

 足音が近付き、少女の呟く声が聞こえた。
 鞄の留め金を外す音。真っ暗だった鞄の中に光が差し込む。

「ポケモン……」

 モンスターボール越しに見えた青い髪の少女は、へにゃりと眉を下げ涙目で鞄の中を覗き込んでいた。
 すぐ上に広がる青空のような水色の瞳に思わず魅入る。ドクンドクンと鼓動が早まり体が熱を持って、居てもたってもいられないような不思議な感覚に襲われて俺は無意識に尾の炎を燃え上がらせた。目を逸らしたいのに逸らせない。この感情は、いったい。

「くっそー! しつこいぞ!」

 もう一人の子供の声が聞こえてハッと正気に戻る。今は、そんなことを考えている場合じゃない。
 視線を巡らせると金髪の少年が木の枝を振り回してコリンクに立ち向かっているのが見える。あの木の枝は、さっき俺達が体を動かす時に使っていた丸太についていた枝だ。博士達は片付けていたようだが片し忘れだろうか。あまり良い事ではないが今はそれがありがたい。コリンクは人間の子供より素早いから、ただ逃げるだけで抵抗せずにいればあっという間に襲われていた筈だ。
 少女の手がモンスターボールに触れる。離さないというかのように強く強く握り締められる。

「お願い……助けて……」

 最初にモンスターボールから出されたのは、俺だ。次いでポッチャマが飛び出し、ナエトルが最後。
 コリンクの目が少年から俺達に向けられる。
 俺は真っ先にコリンクへと突っ込んだ。腕を振り上げてコリンクの体へ爪を滑らせる。肉を抉る手応え。コリンクの呻き声に、これが相手を傷付ける感触かと体に刻み込む。研究所でのなまぬるい特訓とは違う、戦闘。
 何度かコリンクに爪をたて、コリンクを子供達が居ない方へと追いやる。
 コリンクの背後には湖。最後の一発とばかりに足元を狙えば、コリンクはバランスを崩して水の中に落ちていく。上がった水飛沫は、二つだ。
 もがくようにしてコリンクが水から顔を出したがすぐにその姿は水の中に消える。いくつもの気泡が白く浮かび上がってきて水の中で何が起こっているのかは分からない。だがなんとなく予想は出来る。今ここに姿が見えないポッチャマは、水の中でコリンクと戦っている。水の中はポッチャマの独壇場だ。
 けれどそれは、コリンクが体勢を立て直すまでの間。
 コリンクは電気タイプ。水の中で放電されれば水タイプのポッチャマはただでは済まない。今はポッチャマの方が優勢だが、覆されるのは一瞬だ。

「ポッチャマ! そろそろ上がれ!」

 そう叫んだのは、棒を片手に握り締めた少年。
 その声が聞こえたからかどうなのか、ポッチャマは勢いよく水から飛び出した。草の上に降り立ってぶるぶると体を震わせて水を飛ばし、ふんとその場に仁王立ちする。その直後に水の中からバチバチと火花が散った。コリンクの電気。湖全体に白い稲光が奔って、ちらほらと水の上に浮かぶものがある。湖を住処にしていたポケモン達だ。ポッチャマは間一髪だったみたいだ。
 遅れてコリンクがよたよたと上がってくる。だいぶ弱っているようだが、その目はいまだぎらぎらと燃え滾ったまま。一対三だというのに、まだ立ち向かってくるのか。
 コリンクが一歩を踏み出し、──そこに勢いよく突っ込む影。
 前に傾くようにして甲羅からコリンクに突き当たるのはナエトルだった。何度も何度も、よろめいたコリンクに追い討ちをかけるように体当たりを繰り出している。ナエトルとコリンクの体重はほぼ同じぐらい。地面にしっかりと足をつけることも出来ず攻撃を受け続けるだけのコリンクは、体当たりをくらう度に後ずさっていく。
 とどめとばかりに一際力強く土を踏み締めて溜めたナエトルが力一杯突っ込むと、コリンクは草むらから森の木々の方へ吹っ飛び、やがてゆっくりと遠ざかっていく足音と共に気配を消した。
 終わった、ようだ。

「……っあー、びっくりした!」

 ドサッと草の上に座り込みながら少年が息を全部吐き出すように叫ぶ。
 少女はそんな少年を心配そうに見てから少し目を吊り上げて「だから草むらに入るなんて駄目って言ったのに」と拗ねたように言った。

「それにしても、こいつらなんでこんなとこに置いてかれてたんだ?」

 座り込んだまま少年が肩越しにこちらを振り返るのになんとなく居心地の悪さを感じて湖の方を見る。
 ポッチャマは足元の石を軽く蹴飛ばしていて、ナエトルは困ったように首を傾げながら俺に視線を向けていた。
 尋ねられても、人間とポケモンでは言葉は通じない。

「モンスターボールに入ってたってことは、誰かの手持ちのポケモン、ってことだよね……」
「手持ち……手持ちかぁ……良いなぁ、こんな強いポケモンにパートナーになってもらいたいぜ」

 少年の言葉でふと気付く。この子供達はポケモンを連れていない。年頃はコウキと同じぐらいだ。マサゴタウンで見掛けたことが無いということは他の町の子供。
 思い出したのは、俺達のパートナーになる予定の子供はフタバタウンの少年と少女だということ。フタバタウンはこのシンジ湖と俺達が普段いるマサゴタウンの間にあるちいさな町だ。
 もしかしたらこの二人が、俺達のパートナーになる子供なのかもしれない。
 ちらりと視線を向けた先にいる、頼りなげな華奢な少女。勝手に心臓が慌ただしく鳴り始めて落ち着かない気分で先程のポッチャマのように足元の石を蹴り飛ばす。
 フタバタウンの少年はポケモンを欲しがっている。フタバタウンの少女のことは、何もわからない。
 俺はこの少女のパートナーになりたいとまだ会って間もないというのに思い始めているけれど、彼女がどう思っているかわからない。選ばれるかどうかもわからない。
 俺は、彼女に選ばれたい。

「あっ! きみ達、もしかして、ポケモン使っちゃった……?」

 ばたばたと酷く落ち着かない足音に意識を引き戻されて、一拍遅れてコウキが戻ってきたのだと気付いた。
 少年と少女が目に見えて顔色を悪くして何やら言い訳を始める。
 ああ、もう戻らないといけないのか。
 そう思うと心臓はきゅっと小さく痛んで瞬く間に冷えていく。彼女と、離れたくない。

「僕達はマサゴタウンにあるポケモン研究所に戻らないといけないけど、もしきみ達がポケモンに興味があるなら研究所に来てみない? 新米トレーナーに渡されるポケモンがいるんだ」

 俺達はコウキの手で鞄の中に戻される。
 コウキの言葉の後、返事は聞こえてこない。鞄の中からでは子供達の反応は見れなくて不安と焦りがもやもやと心を覆い尽くそうとしてくる。
 彼女が、研究所に来てくれたら。
 そしたら俺は、何がなんでも彼女に選ばれるようアピールするのに。
 トレーナーなんてどうでもいいと思っていたことなんて、とっくに彼方へと追いやられていた。
 コウキが歩き始めて揺れる鞄の中、俺はずっと彼女のことを考え続けていた。

 そしてその後の出来事は、俺にとっての幸い。
 彼女は研究所へとやってきた。
 研究所で、彼女は迷いなく俺を選んでくれた。
 その時のことを、その時感じた想いを、俺はきっと一生忘れることはないだろう。

「あなたの名前は今から、アリマサ。アリマサ、だよ。……よろしくね」

 彼女のものであるという証の名前。この名前を失うことは絶対に有り得ない。
 よろしく、と鳴き声をあげて俺は彼女の、ヒカリの腕に抱き着いた。ヒカリの柔い肌に傷を付けないよう、けれど簡単には離れないよう力を込めて。
 俺が、ヒカリのパートナーなんだ。
 そう改めて、自分の心に刻み付けた。

 研究所を出ると少年、ジュンが待ち構えていた。
 せっかちな性格らしくいきなりポケモンバトルを挑まれたが、俺はなんとか勝つことが出来た。
 相手はポッチャマで相性的には俺の方が不利だが、まだ俺達は自分達のタイプの技を覚えていなかったから素早さで勝る俺の方に分がある。
 ジュンは旅に出るようで、ヒカリにまたバトルするぞと一方的に言い放つと凄い勢いで走り去ってしまった。
 旅。
 ヒカリは、旅に出るのだろうか。

「ねぇ、アリマサ。わたしね、旅に出るなら一緒に行きたい人がいるの」

 俺が思っていることを察したかのように、ヒカリは呟くように言う。

「わたし、お姉ちゃんと旅に出たい。お姉ちゃんは、わたしのせいで心が死んでしまったの。お姉ちゃんはポケモンが大好きな人だから、家を出てポケモンと沢山出逢えば、もしかしたら元に戻るかもしれない」

 だから、一緒に旅に出てもいい?
 不安そうな瞳にじっと見つめられて、嫌だなんて言える訳がなかった。その目を見れば、ヒカリがどれだけ姉のことを思っているか察することが出来る。
 正直不満は無い、と言えば嘘になるが、だからといって絶対に二人で旅したいと言える程の不満じゃない。
 俺達はヒカリの家があるフタバタウンへと向かった。ヒカリが旅立つことをヒカリの母親に伝え、ヒカリの姉を迎えに行くために。

 そこで出会ったヒカリの姉に、俺は得体の知れないモノへの恐れを抱いた。
 顔立ちはヒカリとは似ていない。雰囲気もまるっきり違う、本当に姉妹なのか疑うぐらいおかしな女。
 そして、湖の匂いを纏う、俺なんかより遥かに強いポケモンの気配。
 その女は、まるで穴のように思えた。真っ黒な穴がぽかりと口を開けているように見えて一瞬怖気付いた。踏みとどまったのはヒカリが女に笑いかけたからだ。
 ヒカリは、姉は心が死んだのだと言っていた。確かにそのようだ。真っ黒な黒い穴の中には、何も無い。何も見えない。
 女が笑った時、ほんの少し穴が揺らいだ気がしたがそれも一瞬で、黒い穴は暗い家の中にただただ口を開けている。
 ヒカリは穴に手を伸ばす。
 女の手を引いて、穴を引きずり出す。
 俺は、覚悟を決めた。恐ろしくても立ち向かおうと思った。ヒカリのために。
 ヒカリがこの女を気に掛けるなら、俺も気に掛けよう。ヒカリがこの穴をどうにかしたいと望むなら、俺も手助けしよう。
 きっとそれがヒカリを守ることになる。
 ヒカリと同じように手を伸ばす。触れた肌はヒカリと違って冷たく、ヒカリと同じで柔らかい。

 ヒカリが笑うなら、それが正解だ。
 俺はヒカリのパートナーなのだから。

 俺とヒカリに手を引かれて、穴はゆらりゆらりと揺らいでいた。
 その奥に何があるのかは、分からない。

20190204






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