「……おい」
「へえ〜〜……見た感じは本当に人間とそこまで差異はないのね……カーリャと違って羽が生えてるだとか、姿が透けて見えるだとか何も特別なこともないし……」
「おい、話聞けって」
「人における三大欲求に関してはどうなのかしら。鏡士と感覚を共有してるってことだけどその辺りも共有してたり……?」
「無視してんじゃねえ!」
マークはあまりにも近い距離でまじまじと顔やら身体付きやらを眺めるナマエに、遂にその声を張り上げた。しかし、そんな様子など意にも介さないナマエは顎に手を当て、感心したようにぶつぶつ声を上げながら瞬きも忘れてマークの姿を眺め──もはやこれは観察と言ったほうが近いだろう──そして、溢れ出る好奇心を抑え切れなかったナマエは観察だけでは足りなくなったのかゆっくりと顎に添えていた手をマークへと伸ばした。
が、伸ばした腕をマークに掴まれ阻まれてしまい、マーク自身に触れることは叶わない。そこで漸く、ナマエは視線を意図的にマークへと合わせた。
「なんで止めたのかしら?」
「そりゃ止めるだろ。好き勝手弄くられたらたまったもんじゃねえからな」
「そんなことしないわ」
「どうだか。さっきも話聞けっつってんのに一切聞く耳持たなかっただろ」
「……えっ、いつそんなこと言ってたの?」
「マジで聞こえてなかったのかよ!」
どうやら、先ほどのマークの訴えは意図して無視されていたわけではなく、本当にその耳に届いていなかったらしい。結構な声量で声をあげたつもりだったが、とんでもない集中力だ。研究者と言うのは、研究対象を前にするとみんなこうなのか。そう言えば、自分を具現化した主人──フィルにも似たようなところがある気がする──マークは露骨に疲れたようにがっくりと肩を落としながら呆れたと言わんばかりの溜息を吐き出すと、掴んでいたナマエの腕を離した。そのまま近場にあった手ごろな木製の椅子に腰掛け、その位置からナマエの顔を見上げる。
「そんなに知りたいもんかね、俺のこと」
「俺のことって言うか鏡精自体に興味があるのよ。鏡精だけじゃなく、私が知らないことは全部知りたいの」
「ふーん……」
「この世界に具現化されて、私の知らないことがたくさん増えたわ。そりゃそうよね、違う世界から色々な人たちが具現化されて、その世界にしかない独自の文化が持ち込まれているんだから」
そう語るナマエの表情は、いつになく輝いているようにマークの目には映った。まるで好きな料理ばかりを目の前に並べられた時の子供のような、純粋で、まっすぐで、ひたすらに無邪気な瞳。
マークは何故だかその無垢な少女のような眼差しから目が離せなくなって、今度はマーク自身がナマエの顔をまじまじと見つめるはめになった。
「……知るってお前にとってそんなに幸せなことなのか?」
「え?」
「顔が、なんつーか……こう、楽しそうに見えたから」
マークとナマエの二人がいる部屋の外から聞こえる声は複数の男女のそれが入り混じり、少し騒々しいほどに賑やかだ。少し前まで混ざる声も誰が誰のものか聞き分けが出来るぐらいには数も多くはなかったはずなのに、今では完全に聞き分けしきれないほどに混ざり合う声の数が多い。それだけ、このティル・ナ・ノーグに具現化された人間の数も増えたと言うことで。
喧騒は確かに近いところにあるはずなのに、やけに遠くから聞こえているような気にマークは陥った。まるで賑やかな空間から二人だけが切り離されたみたいだ。
「人間は知的好奇心をどうやっても抑えきれない生き物だから。それが罪と分かっていながら、追求することを止められない……強い好奇心って時に罪深いものよね」
「知ることは罪なのか?」
「いいえ、知ることは人に許された権利だと思うわ。知らなければ出来ないこともたくさんある」
「知って後悔することになっても?」
「知らないで後悔することの方がよほど嫌よ、私は」
ナマエの言葉に、マークは反射的に視線を落とす。彼女の言葉から滲む強い意志に、ふと脳裏を過ぎるのは自らの主人のことや、主人と同じ鏡士の少年少女の姿だった。
──きっと彼らも、知ったことで後悔したことは沢山あっただろう。得た知識に縋って、結局彼らは多くの失敗と更なる後悔を背負うことになっただろう。
けれど、彼らに知識がなければ今のイクスやマーク自身は存在していない。
知りたくなくても、知って後悔することになっても。知らなければ人とは前に進めないのだ。
「……なんかわかる気もするな」
「でしょう?だから私は追求することをやめないの」
「じゃあ、良いこと一つ教えてやるよ」
「え?なになに!?」
案の定、マークの方へ身を乗り出してきたナマエの細い腕を掴んだマークはそのまま自らの方へ引き寄せると、彼女をすっぽりと包み込むように抱き締めた。あっさりとマーク自身が作り上げた両腕の檻の中へと閉じ込められてしまったナマエは何がその身に起きているのか理解が追いつかないらしく、目を丸くしたまま、マークの腕の中できょとんと彼を見上げている。
「お……おお?」
「こうやって抱き締めてみると随分小さいんだな、お前」
「ちょっと、マーク……さん?どうしたの?」
「お前のことを、俺も少し知りたくなった」
「えっ?」
「それと、基本的にフィルと感覚は共有してても欲求までは共有してねえから三大欲求だのなんだのはよくわからん。……ただ、これは俺も今分かったんだが」
マークは腕の中で大人しくしたままのナマエの旋毛を見つめながら、自分が持つ肉体のそれとは随分と感触の違う彼女の身体を抱き締めたまま一息置いてから言葉を続けた。
「誰かに触れたいって欲求は確かに鏡精にもあるみたいだ」
「えっ……もしかしてあの二人、あの二人ってそう言う!?きゃ〜〜!!」
「ちょっとマルタ、落ち着きなさいよ。まだ決まったわけじゃないわ」
「でもシェリアだってにこにこしてるじゃない!」
「それは勿論……ねえ?」
「あとで根掘り葉掘り聞いちゃおーっと♪」