「……容態は安定して、今はぐっすり眠っています」
「……そうですか、良かった」
「ありがとうございました、彼女を助けてくれて」
「いえ、僕も偶然通り掛かっただけですので」

あの後、ゆっくりとした足取りながらも宿舎に着いた二人は、騎士団の軍師であるガリスタ・ルオドーの元へ向かった。リナリアの事情の諸々を知っているらしいガリスタはそのまま彼女を備え付けのベッドに寝かせ、引き出しから彼女専用の薬だろうか──それを取り出すと、注射器でリナリアの細い腕に打ち込んだ。慢性的に引き起こる発作だと言っていたから、ガリスタは対応に慣れているのだろう。
薬の副作用か、はたまた安心したからなのか、リナリアはすぐに深い眠りに落ちて行った。すっかり薬も効いているのだろう、穏やかに寝息を立てている。
「フェドロック隊長も心配してましたし、後で報告に行かないと」
「…………」
「──何か言いたげですね?フレン」
「っえ?あ、いや……」
「構いませんよ、誰も聞いていませんし……私が答えられる範囲で良ければ答えましょう」
長い睫毛に縁取られた双眸を閉ざし、安らかな面持ちで眠る彼女の少女らしさを残したまろみ帯びる白い頬を、フレンは何とも言えぬ怪訝な表情で見下ろす。そして、何かを諦めた様に一つ息を吐き出すと腕捲りした儘であったシャツの袖を下ろし、ボタンを留めながら口を開いた。

「……どうして彼女はシゾンタニアに来るんでしょうか。何の発作なのかは分かりませんが、帝都に居た方がもっと良い治療も受けられるだろうし、検査だって……」
「ふむ……」
「リナリアは慢性的に起こる発作だと言っていました
。それなのに……」
フレンはそこまで言って、後が続かなくなったのか、口を閉ざした。こうは言ったが、別に彼女を此処から──シゾンタニアから追い出したいわけじゃない。訓練や任務で疲れている騎士に代わって料理や洗濯、宿舎の掃除、雑務などをこなしてくれる彼女には非常に助けられているし、彼女が発作を起こして苦しい思いをするかも知れないと言うのを承知の上で、それを選んで此処に居るのだから、自分が口を挟むべきでは無い事も重々理解している。
しかし、正式な騎士ではないリナリアが何故そうまでしてシゾンタニア──もっと言えば、フェドロック隊に固執するのか。それだけがフレンには分からない。
彼女の寝顔を見つめるフレンの横顔を、ガリスタはじっと眺めながら、やがて、小さく首を横に振った。
「これは彼女自身の事になりますから、私の口からは言える事はありません。そもそも、私でも彼女に関しては知らない事の方が多い。……ただ──」
「……ただ?」
「騎士団においても、評議会においても、彼女の立場はあまりにも厄介だと言う事だけは、言っておきましょうか」
「厄介……」
それは、リナリアを紹介された時にヒスカとシャスティルの言っていた『リナリアは騎士団長アレクセイの娘』と言う噂に起因するのだろうか。貴族達にもその噂は流布され、騎士団の間でも評議会の間でも周知の事実になりつつある、とも彼女達は言っていた。騎士団長の娘だと言うのが噂通り真実なのであれば、確かに評議会にとっては、ガリスタの言う『厄介』になり得そうではある。
だが、あくまで『評議会にとっては』と言うだけで、騎士団長の娘が騎士団にとって『厄介』になる──と言うのは、どこかおかしい様に、フレンには思えた。
「それは、彼女が『アレクセイ騎士団長の娘』だからですか」
「……おや、知っていましたか」
「彼女と顔合わせした時に教えてもらいました」
「まあ、騎士団に居れば遅かれ早かれ知る噂でしょうから知っていてもおかしくはないですが」

──このまま話していても埒が明かない気がして来た。
ガリスタ自身が答えられる範囲で、とは前置かれたし、何もかの答えを此処で得られるとは思ってなかったものの、自分が何を問い掛けてもこの軍師は言葉巧みに上手くはぐらかし、このまま何一つリナリアに関する真実を教えてくれなさそうな気がする。ヒントを与えられた様な感じもしない。これ以上話していても時間の無駄だ──そう捉えたフレンは、失礼を承知の上で、先程自分が投げ掛けた問いの答えをガリスタに急いた。
「──先程の私の問い、肯定と受け取ってもよろしいでしょうか」
「……私から貴方にもう一つ、言っておきましょうか」
「話題の転換は肯定と受け取りますが」
「リナリアについては真偽が定かではない事が多すぎて、騎士団にいる限りはある事ない事様々な噂が耳に入る。謂れのない噂も否定せず、噂に混じった悪意すらも全て受け止め、今日まで生きて来たのがリナリアです」
「……何が言いたいんですか?」
「彼女を知りたいのなら、そう言った噂から辿った方が、あるいは早いのかも知れませんよ」
ガリスタのまるで女性の様な細い指先が、リナリアの目元に掛かった髪をさらりと退け、そのまま優しく真っ白な頬を撫でた。
その一連の動作が、どこか艶かしくも感じられる手付きにフレンは、憤りにも悪寒にも似た──妙な感情が込み上げ、ガリスタの手を反射的に掴みそうになって、それを理性で抑え付ける。まるで、彼女が愛しくて、恋しくて、焦がれていて仕方が無い様な──そんな感情を彷彿とさせる、指先だった。

リナリアとガリスタの間に横たわる関係性は一体どんなものなのか。それを邪推せずにはいられない、見せ付ける様な仕草であったが、フレンは何も口にはしない儘、そっと視線を伏せた。
「私はフェドロック隊長に報告に行って来ます。……貴方も、そろそろ部屋に戻りなさい」
フレンの様子を知ってか知らずか、ガリスタは返事も待たずにそのまま部屋を出て行ってしまう。元々、そこまで長居をするつもりは無かったのだが、結果として結構な時間をこの場所で過ごしてしまった。
伏せていた視線をゆっくり持ち上げると、視界にはベッドに横たわって身じろぐ事も無く昏々と眠り続けるリナリアの姿が映る。
「……リナリア、君は……」
──初めて見た時から、妙に気を惹かれる女性だった。彼女を見ているとどうにも落ち着かない気持ちに駆られるし、自分が知らないリナリアの事を、知りたくなってしまう。探りたくなってしまう。シゾンタニアではこんなにも笑顔で居るのに、初めて見た時の、あの全てを諦めきった様な、冷えた表情はなんだったのか。何を抱えて、生きているのか。考え出せばきりがない。
そんな感情に左右されている場合ではないのに、自分の意志と乖離して、気付けば彼女を目で追ってしまう。この、自分が抱えている今までに感じた事のない様な不安定な気持ちは一体なんなのか──フレンは自分で答えが出せそうになかった。



「……」
部屋を出たガリスタは、すぐにナイレンの部屋には向かおうとせず、廊下で一人、窓から差し込んでいる月の青い光を見上げていた。その双眸は眼鏡の奥に隠され、良く見えない儘。
「やはり貴方は、最高の被験体ですよ──リナリア」



フレンがリナリアの元から部屋に戻ると、部屋を同じくするユーリはすっかり眠っているかと思いきや、自室の窓際に腰掛け、器に山盛りになったグミを頬張りながら外の景色を眺めていた。
「……ユーリ、こんな時間までまだ起きてたのか。しかも、グミはおやつ感覚で食べていいものじゃないって何度言えば……」
「あーはいはい、お前の小言は聞き飽きた!……つーか、そんな事ぁどうでも良いんだよ。遅かったなフレン。……リナリアの様子、どうなんだ?」
「……ああ、彼女が心配で起きていたのか」
シャワーを浴びる準備をしながらふと何でもない様にユーリの様子を伺うも、それでもユーリは動揺一つ見せず飄々とした様子で片手を軽く振り払う。彼は元々そこまで感情の振り幅が大きくない男だ。揶揄めいた言葉の一つでも投げ掛ければ多少なり面白い反応を見せるユーリが見れるかとも思ったが、やはりこれしきの事で動じる彼ではないらしい。
「そんなんじゃねーよ。ヒスカとシャスティルがやたら心配してたから、結構ヤバイ状態なのかって思ってただけだ」
「それを心配って言うんじゃないのか?」
「別に良いだろオレの事は!それよりもリナリアはどうだったんだよ」
「……心配はいらないそうだ。僕から見ても、もう随分落ち着いていたし明日には復帰してると思う」
「……そうか、なら良かったじゃねえか」
そう言ってユーリは掌に乗せていたグミを一気に口の中に放り込むと、咀嚼しながら窓枠から降りた──口ではああ言っていたものの、やはり、フレンの口からリナリアの状態を直接聞けるのを待っていたのだろう。昔から、どうやっても素直になれない天邪鬼な男なのだ。

しかし、分かり難くも安堵を表に出すユーリを余所にフレンはと言うと、その表情はいつにも増して暗い様に見えた──ガリスタからあんな意味深な、思わせぶりな事を聞かされてしまったらその表情も止むを得ないのかも知れないが。
「……んだよフレン、リナリアは無事だって分かったのにやけに暗いな。まだ懸念しなきゃならねえ事でもあんのか」
「……いや……そう言うわけじゃないんだが」
「?」

「──やっぱり、彼女は……リナリアはシゾンタニアに居ない方が良い、と思ったんだ」