──執政官とこに行かなかったのか。
──行った。
魔導器研究所から調査執行書を取り寄せてね。
──それで中に入って調べたんだな。
──いや……執政官にはあっさり拒否された。
──
魔導器が本当にあると思うなら正面から乗り込んでみたまえ、と安い挑発までくれましたよ。
──自信があんなら乗り込めよ。
──いや、これは罠だ。ラゴウは騎士団の失態を演出して評議会の権力強化を狙っている。今、下手に踏み込んでも、証拠は隠蔽され、しらを切られるだろう。
──中で騒ぎで起これば、騎士団の有事特権が優先され、突入できるんですけどね。
──『騎士団は有事に際してのみ、有事特権により、あらゆる状況への介入を許される』ですね。
──なるほど、屋敷に泥棒でも入ってボヤ騒ぎでも起こればいいんだな。
──ユーリ、しつこいようだけど……。
──無茶するな、だろ?
──市中の見回りに出る。手配書で見た窃盗犯が、執政官邸を狙うとの情報を得た。
「おい、そういやフレン。リナリアはどうした?」
ユーリ一行が執政官邸を襲撃、それの対処に当たるべく、有事特権を利用してフレン隊がラゴウ邸に突入する──簡単だが一番手っ取り早い作戦を立てた彼らは宿屋を後に、各々準備に向かう。そこでユーリは、ふとそう言えばずっとリナリアの姿がどこにも見当たらない事に気付いた。投げ掛けられた尤もな質問にフレンの足はぴたりと止まる。フレンの脳内に甦るのは、先程のラゴウ邸前で起きた一連の出来事。リナリアが目の前で悪党に連れて行かれ、自分の不甲斐なさ、歯向かう事すら許されない強大な"権力"を痛感させられた瞬間。
フレンは、何も言えないまま拳を強く握り締めた。
「路地裏で会った時もフレン、一緒に居なかっただろ?アイツ、何かあればずっとフレンの事心配してるし、お前の傍から離れてるとこもあんま見ないからちっと気になってよ」
「……彼女は……」
珍しくなかなか煮え切らない態度を取るフレンにユーリは不思議そうに首を傾げて見つめていたが、彼とは長い付き合いのあるユーリである。フレンが言わんとする事を大体察知したのか露骨に表情を歪め、愛用の武器である剣をぶら提げた紐を握る手で拳を作って、フレンの続きを肩代わりする様に口を開いた。
「……ラゴウにでも連れ去られた……ってか?」
「…………」
「お前、あいつが昔っからろくでもねえ貴族やら大人やらに胸糞悪ぃ目に遭わされてたの、知ってるよな。なんで手放しやがった!」
「知ってるよ!知ってるからこそ、僕だってそんな事をさせるつもりは無かった!だが……彼女は僕の事を『信じてる』と言って、自らラゴウの元に行った」
「……で?お前はそれだけか。オレ達と一緒に乗り込まなくて良いってのかよ」
「彼女は僕が助けに行く事を信じてるって言ったんじゃない……ラゴウを根本的にどうにかしてくれるのを信じてる、って事だ。……ここで僕が自分の仕事を放棄して私情でリナリアを助けに行ったとしても……僕は彼女に怒られて拳骨を貰うだけだよ」
「……はっは、あいつの拳骨は痛ぇよな」
「だから僕も、彼女を信じて自分が出来る事をやる」
フレンがリナリアの身を案じ、心配そうにしているのは誰の目から見ても明らかだった。しかし、フレンの立場を守る為にリナリア自らラゴウに身を差し出した彼女の意を汲み、自分もリナリアが無事である事を信じ、騎士の名に賭けて必ずラゴウの悪事を暴くと決意したフレンの瞳に迷いはない。それに水を差す事は、例えユーリでも出来る筈がなかった。
「……わーったよ。あんまちんたらはしてらんねえが、屋敷入った時にリナリアの姿がねえか探しとく」
「ユーリ!?……しかし」
「ま、気にすんなって。お互い様だろ」
「……すまない、頼む」
「おう、任せときなって」
剣が吊り下がった紐を握る手でひらひらと手を振ると、ユーリはそのまま先を急いだエステリーゼ達の後を追い掛けて行った。
──ユーリ達も、船でトリム港に渡りたいと言う理由で、港を封鎖しているラゴウを何とかしなければならない事情がある。しかしこれは騎士団と評議会、ひいては帝国の抱える問題である以上、フレンはユーリ達を巻き込むつもりは毛頭なかった。それもあって、リナリアの身をユーリに託すと言う事態には自分自身どうしても納得はいかなかったし、拭い去れぬ違和感もある。だが──ユーリ達が居なければ、この当たり前の様に行われている悪事を暴くのに、一体どれだけの労力を割かねばならなかったのか。
異例の若さでの小隊長昇進。その肩書きを背負った事で驕ったり、慢心などした事は一度たりともない。しかし、自分が目指す理想の実現へはまだまだ程遠い現実に頭が痛くなりそうだ。だからと言って、立ち止まっている暇は毛ほどもないのだが。
仲間達と合流するユーリの背中を暫く見つめていたフレンだったが、それを振り切る様に彼に背中を向けると、ソディアとウィチルの元に戻るのだった。
*
「……い、っ……つぅ……」
ぴちょん、と。どこからともなく聞こえる水滴の落ちる音で、リナリアはふと意識を取り戻した。それと共にゆっくり身体を起こすと、頭に鈍い痛みが走り、口から引き攣った声が零れ落ちる。
周囲を見回してみるも、ろくな明かりがなく、全体的に薄暗い。
──ラゴウ邸に入った時からの記憶がない。
多分、ラゴウ邸に入った瞬間、誰かに後頭部を強打されて意識を失ったのだ。まあ、誰かと言ってもそれがラゴウの配下の人間であると言う事は言わずもがなではあるが。
そして、意識を失ったリナリアはここまでどうやって来たのかも、ここがどこなのかも分からずじまいのまま、放り出された、と言う事になる。ラゴウ邸のどこかである事しか、彼女には分からない。
腰に携えていた二本の剣はない。どうやら、武器はラゴウに回収されてしまったらしい。だからなのか、ただ単純に舐めているのか、手足は拘束される事なく、リナリア自身は自由の身だ。流石に全身くまなくは探していないのか、腿に付けられている
武醒魔導器も無事だ──万が一、取られていたところで、魔術は変わらず使えるのだからそれ自体はさほど問題ではないが。
頭痛が治まったところで、リナリアは足元に注意しながらゆっくりと立ち上がる。改めて周囲を見回すが、やはり暗い上に湿っぽい。更には、嗅覚がおかしくなってしまいそうなほど、やけに鼻に突く匂いがこの室内には充満している。鉄の錆びた匂いと、何かが腐敗した様な匂いと、獣臭──挙げればきりがないほどの匂いが数多く混ざり合って、リナリアは顔を顰めながら思わず鼻を押さえた。
取り敢えずここがラゴウ邸のどこなのか、それを探り当てなければ──その瞬間、水が滴る音に混じってか細く、誰かが啜り泣く様な声がリナリアの鼓膜を掠める。自分以外の誰かが、此処に居る。どうしてこんな場所に?そんな疑問よりもまずは身体が動いたリナリアは声のした方へと駆け寄って行った。すると、そこには──
「……こ、子供……!?」
一人の子供が部屋の隅で小さくなって泣いていた。暗さに僅かながら慣れた目が、この部屋のあちらこちらに散らばっている白骨を映し出す。それが人のものなのか、魔物か何かのものなのか──砕け散りすぎていて定かではない。
しかし、なぜこんな場所に子供がたった一人取り残されているのか。……まさか、これもラゴウの仕業だと言うのだろうか。ラゴウには女を嬲り、民衆を虐げる趣味だけでなく、子供を囲う趣味まであったのか。込み上げる不快感を何とか胸の奥に沈め、リナリアはそこにいる子供と視線を合わせる様にこの場にしゃがみ込むと、出来る限り優しい声色で声を掛けた。
「……ぼく、こんな場所でどうしたの?パパとママはどうし──」
「……リナリア!?」
しかし、そんなリナリアの言葉が最後まで紡がれる事はなかった。誰か別の声に遮られる事になったからである。記憶に新しい、聞き慣れた声のトーンにリナリアが、自分の名前を呼んだ声の方を振り返ると、そこにいたのは彼女が予想していた通りの姿があった。
「──ユーリ!?」
姿かたちがほとんど黒に覆われている男は、薄暗い闇に紛れて全体の輪郭を認識するのは少々難しいが、間違いなくそこにいるのはユーリ・ローウェル──正確には、彼だけでなくラピード、カロル、リタと言った彼の仲間達も全員その場にいた。本来、既にフレン及び騎士団に保護されていてもおかしくはないエステリーゼさえもそこにいる。
ここがノール港などの街中だったなら、この再会も"偶然"の二文字で片付ける事も出来ただろう。しかし、自分が今どの辺りの場所にいるかまでは分からないとは言え、自分の居る場所がラゴウ邸のどこか、と言う事は間違いない。それなのに、何故彼らがラゴウ邸に居るのか。予想だにしなかった遭遇に、リナリアは目をぱちぱちと瞬かせてその場でユーリをじっと見上げたまま動けずにいた。
「ここで会えたのはラッキーだったな、わざわざ得体の知れねえ場所を探し回る手間が省けたぜ。……ったく、フレンの身を案ずる気持ちは分かるが、あんま無茶して逆にフレンに心配掛けさすなよ」
「ご、ごめんなさい……って、それよりも!ど、どうしてユーリが……ユーリ達がこんな場所にいるの!?」
「ああ、そりゃ──」
「その前に……リナリア、その子。一体どうしたんです?」
「と、そう……さっき泣いてる声がしたから来てみたらこの子がいて……ねえ、ぼく?何があったか、話せるかな」
「……こわいおじさんにつれてこられたんだ……パパとママがぜいきんをはらえないから、って……」
「……それもこれもラゴウの仕業?酷い……」
「ねえ、ユーリ。もしかしてこの子、さっき街の入口で会った両親の……」
「パパ……ママ……かえりたいよぅ……」
リナリアは詳しくは知らないが、ユーリ達がノールの街に訪れた時、入口で出会った両親は税金の滞納を理由に人質に取られた子供を救う為に怪我をした身体を引き摺ってリブガロに何度も挑んでいたのだと言う。詳しくはユーリ達も聞かなかったが、こんな場所に子供自ら迷い込む筈もない。両親に会いたいと啜り泣くこの子供がその両親の子供で間違いないだろう。
エステリーゼはその子供に駆け寄ると、リナリアと同じ様に目線を合わせるべくその場で膝を曲げて、子供の顔を覗き込んだ。
「大丈夫、もう大丈夫だからね。お名前は?」
「ポリー……」
「ポリー、男だろ?めそめそすんな。すぐに父ちゃんと母ちゃんには会わせてやるから」
「……うん……」
ポリーと名乗った男の子が泣き止むまでその場に待機していたユーリ一行は、その間にリナリアがラゴウに捕らわれていた間、フレン達騎士団の面々と共同戦線を張った事を説明した。
「なるほど、有事特権……考えたね、フレン達も」
「オレ達がラゴウ邸で騒ぎを起こして、それを理由にフレン達が有事特権とやらを使って強引に突入する。簡単だろ」
「……ラゴウ相手にそれで事が済めば良いけど」
「あん?」
「ううん、何でもない。何にせよ、早く行かないとね。……ポリー、そろそろ行けそう?」
「うん……だいじょうぶ」
「ん、いい子だね。じゃあ、行こっか」
リナリアはそう言うとポリーの小さな手をきゅっと握り、軽く引っ張って歩き出した。それと共に、薄暗く、じめっとした不気味な道を歩く事になるポリーを怖がらせない様に、少しでも楽しい話をし始める。
そんな二人の背中を見て、カロルはぽつりと呟いた。
「……リナリアって、面倒見の良い人なんだね」
「あー、かもな。面倒見が良いっつか、お節介っつーか」
「リナリア、凄くしっかりしてる人ですよ。わたしに姉が居たらこんな感じなのかなっていつも思います」
「いるわよね、世話好きな奴。あたしは絶対勘弁だけど」
そんなリナリアに対する会話を交わしながらユーリ達も二人の後に続いた。リナリアの事を良く知っていそうなユーリやエステリーゼが彼女について多くを語ろうとしない以上、カロルやリタは憶測や主観でしか彼女については計れないが、それでも二人の認識は決して悪い人ではなさそうである、と言うところで落ち着いた。
「あ、そうだ。リナリア」
「何?ユーリ」
「お前、ラゴウの野郎に何もされてねえよな」
「急にどうしたの?されてないよ」
「……なら良いんだけど、さ」
「……もしかして、心配してくれた?」
「フレンがな」
「そっか。ふふ、ありがとユーリ」
「礼なら無事にここ出てからフレンに言えよ」
「うん、そうする」
そんな些細な遣り取りの中でユーリの心遣いやぶっきらぼうな優しさを感じ取ったリナリアは、相変わらず素直ではない天邪鬼なユーリに対し、込み上げる笑いを隠そうともせず、零した。