ユーリ達は壁に備え付けられた揺らめく燭台の明かりだけを頼りに足元に細心の注意を払い、ラゴウの屋敷の地下内部を進んでいた。辺りからは魔物の気配もする上に、行く先々で扉には鍵が掛かっている。しかもその扉を開ける鍵は大抵が魔物、見張りの人間達が持っていると言う始末。ポリーの存在がある手前、出来る限り戦闘は回避したいユーリ達であったが、そうは問屋が卸さない様だった。先程、別の部屋で倒した魔物が持っていた錆びた小さな鍵を手中で弄びながら、ユーリ一行は次に進む為の扉を目指す。
その道中で、ふとユーリは自分の前を歩くリナリアにとある違和感を抱き、不躾にも頭の天辺から爪先まで見渡した後にぽん、と手を打った。
「そういやリナリア、武器どうしたんだよ。お前双剣使ってたろ」
「あー、それね。ラゴウに取られたっぽいんだ……。
武醒魔導器は取られてなかったから魔術とか体術とかで戦えはするけど」
「探さなくて良いのか?」
「まあ量産品の剣だしそろそろ新調しようとは思ってたからどっちでも良いかな。見つかったら良いなー、程度で」
ハルルでは街を襲った魔物を退けるべくその剣技を披露し、シャイコス遺跡ではフレンのフォローで魔術を使用したリナリアは、剣も魔術も、場合によっては足技での体術もこなせる──意外にも万能型であった。小柄な体躯を活かした軽い身のこなしと、手数の多さで敵を蹴散らし、無属性と氷属性を主に得意とした魔術で追い詰め、時には治癒術や補助魔術で味方を援護するオールラウンダーである。
だが、剣技に長けたユーリや一撃の大きいカロル、素早さに定評のあるラピード、多種多様な魔術を行使するリタ、治癒術に長けたエステリーゼらと違い、リナリアは基本的には何でも出来るが、これと言って特筆すべき点はない、典型的な器用貧乏だったのだ。それは、誰と組ませても変わらぬ強さを発揮し、何でも器用にこなすが故に、相方の弱点を補えると言う大きな強みでもあるのだが──それがいずれ、彼女自身の心に闇を落とす要因の一つになろうとは──この時点で彼女自身が、ましてやユーリ達の誰かが知るはずもなかった。
何はともあれ、そんな彼女だからこそ、ラゴウに剣を取られたところでリナリアにとっては痛くも痒くもないのである。
武醒魔導器さえあれば魔術は問題なく使用出来るのだから──まあ、例え
武醒魔導器がなくとも、リナリアはさして問題でもないのだが──それをわざわざ口にしようとはしなかった。
鍵を扉に挿し込み、一度それを回すと元々錆びていたその鍵は壊れ、鍵口から抜けなくなってしまうがそんな事はユーリ達に関係ない。とにかく、目の前を阻む扉が開いて先に進めれば良いのだ。立て付けの悪い扉を足でこじ開けた先にはそう長くはない通路が広がっており、先ほどから何回か見ている光景にユーリは溜息を吐いた。
「ねえ!リナリア……さん」
「リナリアで良いよ。えっと、貴方は……カロル、だよね?」
「うん。じゃあ、リナリア!聞きたいことがあるんだ。騎士団にいたユーリってどんな感じだったのかなあって」
「え?」
「だって、ユーリが騎士って……ちょっと考えにくくいんだもん。ユーリが騎士団にいたときの知り合いなら、知ってるかなって思ったんだ」
紐にぶら下げた剣を揺らし、先頭切って歩いているユーリの背中を眺めながらカロルはリナリアを見上げながら首を傾げた。
カロルの中にある騎士のイメージと言えば、まさしくフレン・シーフォがそれに当たる。ギルド側の人間である以上、帝国及びそれに属する騎士に対してはあまり良いイメージの無かったカロルであるが、それでも、フレンの様に真面目で、規律にしっかり従い、他者への配慮も忘れない優しさを持った理想の騎士像──みたいなものはあった。
だからこそ、ぶっきらぼうで分かり難い優しさこそ持ち合わせているものの、お世辞にも真面目とは言えず、良くも悪くも自分らしく、正直に生きているユーリが、型にがっちり嵌りきった騎士団で一時でも騎士をやっていた、と言う事実がカロルには想像も出来なかったのだ。
かく言うリナリア自身も『ユーリは騎士らしくない』と言う言葉には昔も今も同感なのか、思わず笑いを零した。
「ぷっ、確かにユーリは騎士団に居た時から全然騎士らしくなくて……問題児扱いされてたし、ちょっと浮いてたよ」
「あ、やっぱりそうなんだ!そこはユーリらしいや」
「そう。今とあんまり変わらなかったよ、ちょっと荒療治なところも、何かと一人で無茶しがちなところも、自分に正直なところも……あ、でも昔は今よりやっぱりちょっと子供っぽかったかな」
「子供っぽい?ユーリが?ユーリは産まれた時からずっとあんな感じなのかと思ってた」
「でも、ユーリが騎士団に居たころはフレンの方がもっと……」
途中まで言い掛けて、リナリアは突然口を閉ざす。それと同時に足取りもぴたりと止まり、カロルも慌てて足を止めた。ずっとリナリアに向けられていた視線を真っ直ぐ前に、自分達が進むべき方向へ向け直すと、その先では扉を軽く開いて此方を待つユーリが居る。開かれた扉の先には何やら鉄格子の様なものが待ち受けているのが伺えた。リナリアは露骨に顔を顰め、ユーリを見上げる。そんな様子を見て、ユーリは小さく肩を竦めた。
この一帯は虱潰しに探し回ったのだがどこも行き止まりで、この道しか先に進める場所は無い──どちらにせよ、自分達に後戻りは許されていないのだ。ならば、罠を覚悟でこの先に進むしかない。
「鉄格子……魔物を飼っておく為の檻かな」
「ここに魔物と人を一緒にぶち込んで見世物にして楽しんでるんじゃねえか」
「うげっ……!」
「ちょっと、ユーリ!子供の前です」
ユーリの言葉そのままを受け取り、豊かな想像力でその光景を脳裏に思い浮かべたカロルは思わずその場で後退りしながら引き攣った声を上げた。こんな密室空間に魔物と人間を一緒に放り込んだらどうなるか──言葉にしなくても結果は明白だろう。凶暴な魔物を前に足掻き、藻掻く人間の無様な姿を鉄格子の外から眺め、ラゴウは愉悦に浸り、悦楽を得るのだろう。導考えても正気の沙汰ではない。
皆にラゴウへの不快感が募る中──靴底が地を叩く小気味良い音と共にその張本人、ラゴウは現れた。
「はて、これはどうした事か。美味しい餌が増えていますね」
「あんたがラゴウさん?随分と胸糞悪い趣味をお持ちじゃねえか」
「趣味?ああ……地下室のことですか。これは私の様な高雅な者にしか理解できない楽しみなのですよ。評議会の小心な老人どもと来たら、退屈な駆け引きばかりで私を楽しませてくれませんからね。……その退屈を平民で紛らわすのは私の様な選ばれた人間の特権というものでしょう?」
檻の外からでは相手も手が出せないと踏んで優位に立っているのだろう、余裕綽々の笑みを携えたラゴウは、家畜か何かを品定めする様な──おおよそ、対等な立場の者を見る目ではない嘲笑に満ちた冷ややかな視線をユーリ達に向けながら、わざとらしく大仰な仕草で語る。
人間とは金と権力に溺れると、一般的な倫理観が欠けていくものらしい。寧ろ、倫理観とまともな思考回路を失っていく事こそが権利者となり得る為に必要なファクターなのかも知れない。胸糞悪くなる様な事ばかりをつらつらと並べ立て、口にするラゴウを前にリナリアは吐き気にも似た激しい拒絶が込み上げて来るのを感じた。
「まさか、ただそれだけの理由でこんな事を……?」
「……おや、そこに居るのはリナリア嬢ではないですか?どうやって此処まで……ああ、そこの男を誑かして連れ出してもらったのですか。いやはや、やはり売女と言ったところですね」
「──ラゴウさんよ、不快なその口を今すぐ閉じな。ろくでもねえ事ばっかぬかしやがって」
「……ユーリ。私は、別に」
「お前昔っからそうだな、こんなの慣れる必要ねえんだよ」
剣を振り抜いた勢いで鞘を投げ捨て、剥き出しになった刃の先を鉄格子越しにラゴウへと向けながらユーリが放った言葉に、リナリアは僅かに俯く。思い返せば、フレンと共にラゴウと対峙した際も"売女"と言う蔑みの単語に真っ先に反応を示したのはフレンであった。今回のユーリも同様だ。まるで"売女"と罵られる事がさも当然であるかの様に、憤りの言葉を飲み込んでリナリアは悪意の塊である蔑称を受け入れる。それがユーリには依然として許せなかった。勿論、悪意を何の躊躇いもなく平然とぶつけてくるラゴウが尤も悪いと言う事実は変わらないのだが。
「ねえリタ。バイタって何……?」
「……女を貶める最低の言葉って事だけ言っておくわ」
「なんでリナリアがそんなの言われなきゃなんないのかな」
「そんなのあたしが知るわけないでしょ」
「ふん──さて、リブガロを連れ帰って来るとしますか。これだけ獲物が増えたなら、面白い見世物になります。ま……それまで生きていれば、ですが」
剣を突き付けられても檻の中にいる以上、手出しは出来ないと考えているのか、凄むユーリを前にしても高慢な態度を崩さないラゴウはにたりと薄気味悪い笑みを浮かべた。
「はっ、リブガロなら探しても無駄だぜ。オレらがやっちまったから」
「……なんですって?」
「聞こえなかったか?オレらが倒した、って言ったんだよ」
「くっ……なんという事を……」
「飼ってるなら、分かるように鈴でも付けときゃ良かったんだ」
「まあ、良いでしょう。金さえ積めばどうせすぐ手に入ります」
リブガロが撃退されたと言う事実にラゴウは一瞬だけ先程までの余裕めいた態度を崩し、憤りを露わにしたがすぐに平静を取り戻す。
──街の人々を自らの暇を満たす為の食い物にし、時には命すらも平然と奪い、なおもそれを止める気配を見せないラゴウに、ずっと黙って聞いていたエステリーゼはもはや我慢の限界だった。ユーリの背中の影から現れ、毅然とした態度で人差し指をラゴウに突き付けながら声を張り上げた。
「ラゴウ!それでもあなたは帝国に仕える人間ですか!」
「むむっ……あなたは……まさか?」
ちょうどラゴウからはユーリと言う壁のお陰でずっと見えていなかったのだろうが、漸くエステリーゼの存在に気付く。だが、それよりも確信を得られてしまう前にと、ユーリは勢い良く剣を振り上げ、剣先から放たれる衝撃波で檻を思い切り吹っ飛ばした。彼の目の前に居たラゴウは当然それに巻き込まれ、鉄格子ごと遠くへ飛ばされていく。
「き、貴様!な、なにをするのですか!誰か!この者たちを捕らえなさい!」
「早いとこ用事済ませねえと敵がぞろぞろ出てくんぞ」
「揺らめく焔──」
「ちょい待った!」
リタが詠唱に入った事で自然と組み上げられる魔法陣が足元に描かれたところで、ユーリはその華奢あな肩を掴み、詠唱を強制的にストップさせた。その行動に対し、リタは思い切り顔を歪めつつ、渋々と詠唱を止めて向き直る。
「……何よ!?騎士団が踏み込む為の有事ってやつが必要なんじゃないの?」
「まだ早い。まずは証拠の確認だ」
「天候を操る魔導器を探さないとですね」
「ラゴウの事だもん、証拠見つけないとまたはぐらかされちゃう」
ラゴウがわざわざ見物しに此処へ現れたと言う事は、出口もそう遠くはないだろう。
放たれた衝撃波にもろに巻き込まれ、未だに起き上がる事が出来ないラゴウの横を通り抜け、ユーリ達は明かりを頼りに階段を駆け上がって行くのだった。