君を象れば言葉にならない

 連日、魔物が鳴りをひそめていた退屈な午後。
 珍しい客が医務室に訪れた。

 ティン=シャスター。

 恐らく、人でも魔物でもない未知の生命体。

 彼が顔を覗かせた瞬間、その特異な体質への興味が増幅して湧き上がったが、それ以上にグラソの心中を占めたのは驚きだった。
 本能からくるものなのか、普段の彼はこの場所に近寄りさえしないというのに。

「どうした? 珍しいな。怪我でもした……わけではなさそうだな」

 煙草の煙を吐き出しながら問いかけるが、当の本人はキョロキョロと室内を見渡している。

 ははあ、と得心がいく。

 大方彼の行動などそういうものなのだろう。複雑怪奇にはできていない。
 彼の興味の範囲の狭さとそれへの執着の強さにはいささか感心させられるものがあるが。

「チマはここにはいねえぞ」

 迎え入れるでもなく追い払うでもなく、グラソは窓辺においた椅子で寛いだまま言い放つ。
 どうせ目的の人がいなければ退散する人物なのだ。
 いちいち大袈裟に感情を動かすほどアクティブなほうではなかった。

「……そうか」

 端的な返答が返ってくる。
 ティンはいつだって言葉数は多くない。
 出会った最初の頃は、語彙力が足りないだけでずいぶん複雑な思考をそこに秘めてるのではと思慮したこともあったが、いやはや、彼は口にしたそのままの思考回路しが持ち合わせてない。

 その単純さが時にはグラソからしてみれば羨ましくなる。

 もっとも、グラソ自身、基地内で一、二を争う単純思考の持ち主であることは間違いないのだが。
 自分の内面を見つめるのは己の背中を眺めようとするのと同じ。
 映し出す媒体を得なければ到底見ることは叶わない。

 グラソは自分で淹れたコーヒーを啜り、扉の閉まる音を待った。
 彼が部屋を出ていくことを何の疑いもなく確信していたからだ。

 しかし、一向に音はしない。

 怪訝になって再び顔をあげれば、ティンは退出しようともせず部屋の片隅に佇んでいた。

「……?」

 何事だと、いよいよグラソは立ち上がる。

 彼は壁際に置かれた大きなガラスケースを眺めていた。

「これなんだ?」

 彼独特の少し片言な言葉が、鼓膜をすり抜けてグラソの脳に軽いダメージを与えてくる。

 どうにかダメージを回復させようと、煙草の先から灰を散らしながら思い切りニコチンを脳に送り込む。

「……花だ」
「それは知ってる」

 何だと問われどう答えるかと考えれば大抵の人間はグラソと同様の返答をしただろう。そして大抵の人間はそれを知ってる。

 当然の答えを返されてグラソは困惑する。

 何だと聞かれて何と答えればいいのか。彼の問いの意図が汲めない。

 ……生物学上の分類でも答えればいいのか。
 はたまた花の名前か。

「これはダリアだ。黒蝶って種類でな」

 知りたかったものは名前であっていたらしい。
 ティンが二回ほど頷く。

 視線の先には万重咲きの黒い優美な花。

 花というものが彼の興味を強く引いたらしい。実に珍しいことに。

「おい、これはなんだ」

 隣に咲く花を指差す。
 今度は特徴的な花弁を持つの白い可憐な花。

「……シンビジウムだ」

 告げれば再び二度ほど頷いて興味深く二つの花をしげしげ眺めている。

 本当に今日は奇妙なことばかり起きる。
 なにかの前兆なのだろうか。

 グラソは混乱を避けるべく彼から視線を外した。
 短くなった煙草を指で弾くと、遠くの机に置かれた灰皿にホールインさせ、残りの煙を薄く吐き出す。

 うららかな昼下がり、少し陰湿な空気のこもる医務室で奇妙な生命体である彼と奇妙な沈黙を味わうなど、昼食をとってるさなかには思いもしなかったことだ。

「なあ」

 やけに下の方から声がする。
 屈み込んで本当に熱心に眺めているためだ。

「チマは花が好きか?」

 垂れた双眸がやや見開く。

「そりゃあ、すげえ好きなほうだろうよ」

 案外口からはごく自然な答えが吐き出される。

「この花、チマに似てる」

 本当に愛おしいのという感情が彼の内面に流れているのだろうか。
 不思議と片言な言葉に温かみを感じた。

 複雑な心境を覚えて、グラソは大様に首を振る。

「そりゃあそうだろうな」

 男でありながら花に喩えられる義弟を思えば心境はより複雑だ。

「知ってるか? 花には花言葉っつー秘めた意味なんてもんがあってな。ダリアの花言葉は優雅とか威厳で、シンビジウムは高貴な美人だとか深窓の麗人っつーらしいぜ」

 自覚した心境とはうらはらにグラソの口角は嬉々として持ち上がる。

「そうか、本当にチマに似てるな」

 何を思ってだろうか。
 ティンは薄く目を細める。

 頬がガラスに張り付いてしまいそうなほど間近にそれを見つめながら、ここにはない何かを見てるようだった。

 グラソは棚から花切り用のハサミを取り出す。
 ガラスケースを開け、綺麗に花弁を開くものを幾つか切って束にする。

 本当は、頼まれた品種改良の為に取り寄せた花だったのだが、幾つか花を失ったところで構わないだろう。
 灰色の眼が、白と黒を交えた束を映して柔らかい笑みの形をとる。

「持っていきな」

 手渡してやるとティンは礼も言わず足早に廊下へと駆け出す。

 ──ずいぶん複雑な思考回路になったじゃないか。

 グラソはせわしない足音を聞いて独りごちる。

 複雑だけどシンプルで、直線的で直情的なそれはかつて身近にはなかった存在だ。
 恐らく義弟ほど複雑怪奇な思考回路を持つ者もこの基地にはあまりいないだろう。
 彼等が隣り合わせでいることはきっと悪くない。

 それでも複雑なものはあるけれど。

 窓から注ぐ明るい日差しに目を向けて、グラソの唇からしばらく笑みは消えなかった。


END

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