自信がないのはお互い様



「名前ごめん、今日わたし日直だからまだ仕事ある。先帰る?」

「ううん待ってるよ。というか手伝う」

「ありがとう。私集めたノート持ってかなきゃいけないから黒板消しといてくれたら助かる」

「おっけー」



5限の数学の板書が残る黒板を消していく。

数学は元々苦手なんだけど今日の授業もついていくのにギリギリだったな…



課題も出されたし、いっそ終わらせてから帰ろう。というか先生背が高いからって黒板の上ぎりぎりに書くのやめてほしい。

…上の方は背伸びしても全然届かない。まあ手伝いだしいっか。できるとこだけで。

と思っていたら、後ろからスッと手が伸びてきて届かなかった部分が消された。



「名前、今日日直だったっけ」

「ううん。手伝ってるだけ。赤葦くん部活は?行かないの?」

「すぐ行くけど。届かないなら声かけてくれればいいのに」

「うん…まぁ手伝いだから届くところだけでいいかなって。わざわざありがとう。部活頑張ってね」

「今日の部活…、いやなんでもない。うん。行ってきます」



何かを言いよどんだ赤葦くんに違和感を覚えつつ、部活に向かうのを手を振って見送った。



さて、数学終わらせよう。



「なーに見せつけてくれてんの?」

「あ、お帰り。ねえ、数学の課題行き詰まったから助けて」

「無視か!日誌書き終わったら私もやるし待って」

「むしろ私が日誌書くから問3の3を解いてほしい」

「苦手から逃げるな教科書読んでろ馬鹿」

「彼氏の口の悪さがうつってるよ…」



この友人の彼氏は隣のクラスのバスケ部なんだけど、ちょっと嫉妬深い彼氏さんですぐ友人とケンカになる。男の子とメッセージのやり取りをしたとか、異性と話すときの距離が近いとか、そういう。


友人は「自分は女子マネと仲良く会話しといてふざけんな」ってキレてたけど、嫉妬してもらえるのって愛を感じられていいなって思ったり。



赤葦くんはバレーに打ち込むクール男子なので嫉妬とかね…しないし…


そもそも嫉妬心を覚えるほど好かれてる自信もないし…



落ち込んできた、考えるのやめよう。




「そういえば、来週の日曜あいてる?」

「空いてるけど」

「バスケ部の練習試合があって、見に来てほしいって言われてるんだよね。一緒に来てほしい」

「えー…やだ…」

「お願いします」

「だって私バレー部の練習試合も見に行ったことないのに…」

「いや彼女なんだから行けばいいじゃん。むしろバレー部の方がギャラリー多い分応援に行っても目立たないし。次はバレー部見に行くの付き合うから!今回はお願い!この通り!ほら問3の3見せるから!」

「はいはい、いいよ。行く。バレー部見に行くことはないけどね。何か彼女面してるみたいで嫌」



来てって言われて見に行くならまだしも、「来ちゃった」みたいなの絶対無理。

真剣に練習してるところにそんな不純な気持ちで行って、何で来たのみたいに言われた日には、居た堪れなさ過ぎて半月家に引きこもる。



「彼女面って彼女じゃん。何でそんな自信ないの?」

「何で、って…そもそも赤葦くんって何で私なんかと付き合ってくれたんだろ…」

「は?」



そう、毎日思ってる。何で付き合ってくれたんだろうって。



赤葦くんは、全国常連の強豪であるバレー部で2年生ながらレギュラーで副主将。


日々の真面目な生活態度のおかげか教員からも好印象。いつも落ち着いていて、教室で騒いでいるところなんて見たことがない。

そして背が高い。さらに顔も整ってる。



なので、当然のことながら学年問わず女の子におモテになられる。


隣のクラスの何とかさんが告白したらしい、上級生から呼び出されていた、下級生から手紙を貰っていた、そんな噂はいつも耳に入っていた。



そしてセットで流れてくるのが"また振ったらしい"というまぁプライバシーの欠片もない情報。その所為か、2年の赤葦京治といえば難攻不落物件としてまぁ有名だった。




一方で私はといえば。


文系科目はそこそこ得意だけど理系は全然ダメなので、頭の出来はそこまでよろしくない。

運動だって嫌いじゃないけど、特別なにかが出来るわけじゃなくて。


背が低いのと童顔がコンプレックスで、所謂どこにでもいる普通の顔。




どこからどうみたって有象無象に埋もれる個性のない村人Bだ。




でも、赤葦くんを好きになってしまって、好きすぎてどうしようもなくて。

いっそ玉砕した方が諦めもつくし前に進めるんじゃないかと思って、この先15年分くらいの勇気を前借りして告白した。



そう、玉砕するつもりで告白したんだけど。



「"好きです。応援してます"って言ったの、私。付き合ってくださいとか烏滸がましいと思ってそこまでは言えなくて」

「…おお、さすがネガティブ」

「緊張しすぎてあんまり覚えてないけど、赤葦くんは確か"ありがとう。じゃあ付き合う?"って言ってくれた、と思う。たぶん。今付き合えてるってことは記憶は捏造してないはず」

「おお、さすが赤葦。このネガティブには自分から行かないと想いを伝えられただけで満足とか言い出しかねないもんね」

「付き合う?って言ってくれたし好かれてるとは思うんだけど、"好き"って言葉にしてもらったことないから…何かの気まぐれで付き合おうと思ってくれただけで、別に好きじゃないかもしれない。きっとそう。そんな女が我儘言ったり部活見に来たり…うわ想像するだけでぞっとする。立場をわきまえる、大事。うん」

「うわぁ…拗らせてる名前もやばいけど、これに気付かず放置してる赤葦もやばいわ。赤葦ってそんなお試しで付き合うとかしないタイプだし、今まできっちり断ってきたのに自分から交際持ちかけるくらいだから名前のことちゃんと好きだと思うよ。ちゃんと聞いた方がいいと思う」




ちゃんと聞く?何を?私の事好き?とか聞くの?うわ重い。確実に引かれる。

いいんだ。何で付き合ってくれたのかは分かんないけど、赤葦くんが別れたいって思うまでは私が彼女だから。





重くないように、邪魔にならないように、負担にならないように、傍にいられれば。





そう伝えると、「まぁ当人同士で解決すべきだと思うから私は何も言わないけど、相談には乗るからね」って。ほんと、持つべきものは友だよね。



「もしかしたら名前がこんなに赤葦のこと好きだって伝わってない可能性もあるな…」っていうつぶやきは無視した。言うわけがない。重い女にはなりたくないんだ。




その後は、数学の課題を終わらせて、ついでに古文の現代語訳と英語の和訳も終わらせた。

やる気になってるときにまとめてやっちゃうのが一番いい。

学校で終わらせたら教科書とか辞書とか持って帰らずに済む。



そうしてやらなければいけないことも粗方終わらせて、お菓子を食べつつ友人の愚痴という名の惚気を聞いていると。

ガラガラッと教室のドアを開ける音がした。



「あ、良かったまだ残ってた」

「あれ、赤葦じゃん部活おつかれ」

「どうしたの?何か忘れ物?」

普段であればまだ部活中の赤葦くんがすっと教室に入ってくる。



今日はしばらく教室にいるよ、って伝えていれば忘れ物も体育館まで持って行ってあげられたのに。っていやいやそういうところが彼女面だよ烏滸がましい。



でもあれ、練習着じゃなくて制服着てる…?



「忘れ物っていうか、今日ミーティングだけだったから。まだ教室にいるなら一緒に帰れるかなと思って」

「あ、もしかして部活前にそのこと伝えようとしてくれてた?」

「あー…ん、まぁでもミーティングが何時に終わるかは未定だったし、わざわざ残ってって言うのもなと思って」

「言わなかったんだー、優しいじゃん。誰かさんとは違って。何時に終わるかも言わずに教室で待ってろとか抜かす馬鹿とは大違い」

「あ、バスケ部?部室が騒がしかったしそろそろ終わるんじゃない?そのあと何かあるなら分かんないけど」



スマホを触りながら毒づく友人に苦笑いしつつ赤葦くんが言う。

相変わらずよく見てるなぁ。



ちらっと赤葦くんを見上げると、目が合って、そして机の上の教科書とノートを指される。



「予習してた?終わるまで待ってるけど」

「ううん。もう終わったから大丈夫」

「じゃあ、一緒に帰りませんか」

「うん。帰りましょう」



私がもう帰ってる可能性だってあったのに。ミーティング終わりにわざわざ教室まで戻ってきてくれて。一緒に帰ろうって誘ってくれた。



小さなことだけど。でもそんなことが、とっても嬉しい。




「なーにが自信がない、よ。見せつけてくれちゃって。相思相愛にしか見えないっつーの」

「…相思相愛って?」

「何でもない。こっちの話。バスケ部終わるまで待ってようか?」

「相思相愛?」

「いやもうすぐこっち来るらしいからいい。じゃあ日曜日はよろしくね。詳細は後から連絡する」

「了解。ばいばい」



何の話?と目で問いかけてくる赤葦くんをどうにかごまかしながら、(ごまかせてないけど)これ以上余計な事を言われないようそさくさと教室を後にした。





◇◆◇◆◇





「そういえば、日曜日何か予定があるの?」

「日曜日はバスケ部の練習試合見に行くことになってる」

「…バスケの?」

「彼氏さんに来てって言われたんだって。付き添い頼まれちゃって」

「…そう」




駅までの帰り道。


いつも部活の練習の後に自主練までする赤葦くんと帰宅部の私じゃ帰る時間が違いすぎて、一緒に帰ったことなんて数えるほどしかない。


まだ明るい時間帯に、お互い制服で、並んで歩いてるなんてちょっと夢みたいだ。



「バレー部は日曜日、練習?何時まで?」

「体育館はバスケ部が使うから基礎練だけ。もしかしたらミーティング入るかもしれないけど」

「そっか、もし時間が合えば会えるかもしれないね」

「………」

「赤葦くん?」



時間が合えば一緒に帰れるかも。っていうのは図々しいかなと思って、でもお互い学校にいるならちょっとでも会えないかなって。

そう思ったんだけど、赤葦くんからは返事がなくて会いたいって思ったのももしかすると重かった?間違えた?



「あ、でも真剣に練習してるのにそんな時間ないよね。月曜日には会えるしね」



慌てて取り繕ったけど、やっぱり赤葦くんは無言のまま。


どうしたんだろうと隣を歩く彼をそっと見上げてみると、不服そうな顔と目が合った。



「あのさ、」

「は、はい」



改まった声で問いかけられて、思わず立ち止まって緊張ぎみに返事すると。

数歩先で赤葦くんも立ち止まって、でもこちらを振り返らないまま続けた。



「名前は何か遠慮してる?」

「遠慮?」



…してる。思いっきりしてるから「してないよ」なんて100%の嘘はつけなくて、復唱することで誤魔化した。



「日曜日、名前が学校くるなら一緒に帰ろう」

「えっ」

「会いたいって思ってくれてるんだ、って嬉しかったのに、変な気遣って前言撤回するし。あと何でバスケ部見に行くの?バレー部は見に来てくれたことないのに」

「…それは、」

「ごめん、わかってる。付き添いっていうのは分かってるんだけど」




どういうこと?バレー部の応援すら行ったことのない私がバスケ部を見に行くのが嫌だ、ってそういうこと?


赤葦くんがそう思ってくれてる?これって――――嫉妬?

何だかよく分からなくなって立ち尽くしていると、「名前」と、優しい声で名前を呼ばれて。



「話したいことあるから、急いでなかったらそこの公園に寄らない?」

「…うん。いいよ」



ベンチと滑り台とブランコと砂場があるだけの、小さな公園に向かって歩き出す赤葦くんの後を慌てて追いかけた。









◇◆◇◆◇





「さっきの続きなんだけど」

「う、うん…」

「名前に、遠慮してる?って聞いたけど、俺は遠慮してる」

「えっ」

「ほんとは、練習試合見に来てくれないかなって思ってた。でも俺が中々言い出せなかった間にバスケ部見に行くとか言われてすごく落ち込んだ。さっさと誘っとけば良かったなって」

「…行ってよかったんだ」

「この際だから、情けないけど思ってたこと全部言う。だから名前も今まで遠慮してたこと全部教えてほしい」



そうして、赤葦くんは思っていることをたくさん話してくれた。



休み時間とか放課後とか休日とか、バレーで埋まっちゃって時間を作れないからお昼一緒に食べようかどうしようか迷ってたこと。


練習に誘ったら一緒に帰れると思ったけど、遅くなるし部活をただ見てるのは退屈なんじゃないかと思って誘うのをやめたこと。


帰ってから電話しようとしたけど、遅くに電話してもいいのか躊躇って結局いつもできないこと。


「あと、赤葦くんって未だに名字で呼ぶのは何で?俺は名前って呼んでるのに」

「それは、」

「それは?」

「…私なんかが呼んでもいいのか分からなくて」

「何かって、やめよう。俺は呼んでほしい」



―――――京治くん。

今までずっと呼んでみたくてもどうしても呼べなかった名前。



小さく呼んでみたら、柔らかく笑ってくれるから、何だか泣きたくなった。



「…ほんとはね、赤葦くん、あ、京治くんが何で私なんかと付き合ってくれたんだろうってずっと思ってた」



誰もいない公園のベンチに並んで座って。間に置かれた私の手と赤葦くんの手は触れそうで触れない位置にあって。

届きそうで届かないこの距離感がまるで今の私たちを表してるみたいだ、なんて。




「玉砕するつもりで告白したら"付き合う?"って言ってくれてとっても嬉しかったし夢かと思った。学校で話す機会も増えて、メッセージのやりとりもして、名前で呼んでくれて、たまに一緒に帰って。毎日がこんなに楽しいって思ったの初めて」




赤葦くんが思っていることを伝えてくれたから、私も向き合わなきゃって。

言うつもりのなかった言葉が溢れるようにこぼれ落ちていく。

「でもね、赤葦くん"好き"って言ってくれたことないから。きっと私の"好き"の方が重たくて厄介なんだなって思って。赤葦くんの負担にならないように、バレーの邪魔にならないように、って」

「…それは…え、言ってなかったっけ」

「言われてない」

「…ごめん。でもそれを言うなら名前だって"応援してます"とか言うから。告白されたと思って"付き合う?"とか聞いたけど、ほんとはただのバレーファンでバレーが好きで応援してるって意味だったのに、俺が舞い上がって勘違いしてるから違うって言い出せなくて付き合ってくれたんだったらどうしようって思ってたよ」





あまりにも予想だにしていない言葉にびっくりして、思わず立ち上がってしまった。

ただのバレーファンってどんな勘違い…いやでも梟谷バレー部レギュラーだし、ファンですって言われることもあるのか。


じゃあお互い遠慮して、気持ちを伝えられなくて、すれ違ってたってこと…?




「今さらだけど、名前のこと、好きだよ。重いとか負担とか邪魔とか全然思わないから、名前の気持ちも知りたい」

「私も、赤葦くんのこと、好き。ほんとはバレーの練習も見に行きたかったし、遠慮してたけど電話もしたい。たまにでいいのでお昼も一緒に食べれたらなって…思います…」

「最後何で敬語なの」

「いや改めて言うと恥ずかしい!無理!」

「俺だって情けないことたくさん白状して恥ずかしい思いしたんだからお互いさまだよ。あと赤葦くんに戻ってるから。気を付けて」

「…はーい」




じゃあ帰ろっか。そう言って立ち上がるとすっとごく自然に私の左手を取った。




手、手を繋いでる…!赤葦くんと!手を!

実は今まで、何だかんだきっかけやタイミングが無くて手を繋いだことが無かった私たち。


いつかは繋ぎたいなと思ったことはあったけど、突然されると心の準備もなにもあったもんじゃない。



「名前が想像の3倍くらい遠慮してるってわかったから、俺は遠慮するのやめる。じゃないとずっとこの距離感だって気づいた」





「だから、もうちょっと頑張るから覚悟してて」と。


なんだろう…!もう突然こんなに”かっこいい京治くん”を前面に出されるともうどうしたらいいのか分からない。

この数十分の間にいろんなことが起こりすぎて、脳内パニック状態の私は辛うじて「お、お手柔らかにお願いします…」と伝えるので精一杯だった。



いっぱいいっぱいの私を見て隣でくすくす笑うから、仕返しのつもりで京治くんの手をぎゅっと力いっぱい握り返したけど。





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