時々苦しくなる事がある。
彼は誰からも慕われていて、柱で、頼り甲斐があって、どんな人でも助けてしまうような強さを持っている。鋭く強い視線をしてるけど笑うと爽やかで、会話も上手。更には人当たりもよく、性格が良い。
非の打ち所が見つからない。こんなにも出来た人って存在するんだなあ、と思ってしまうほど。私から見て錆兎という人は、完成された人格者であり実力者だった。
「水柱様!」
「町でお会いできるなんて嬉しいです!」
今も彼は複数の後輩の隊士達に囲まれてしまっている。隊士ではない私はポツンと少し距離を置いた所からそれを眺めていた。
私はどうだろうか。隊士でもない、強くもない、容姿も普通。やれる事と言ったら家の事やちょっとした傷の手当てくらい。秀でたものは差し当たってない、それが私だ。
「今度また稽古つけてください!」
「私もまた水柱様とお話ししたいです」
そして、ちょっとした言葉に嫉妬してしまう心の狭い女でもある。
話しをしたい、と言ったのは複数いる後輩隊士達の中にいた女性隊士だった。稽古をつけて欲しいならまだ分かる。でも話しをしたいと言うのは私情が絡んでるように思えた。何より、彼女の錆兎を見る瞳がどうにも熱く、ジリと胸の内が焦げ付くような感覚がする。
「…、」
視線を足元へ落とす。
なるべく会話を聞かないように。きっと今の私は他者から見て印象のいい顔は出来ていないだろうから、気付かれないように顔を伏せる。
錆兎は笑っている。「今度稽古の時間を作ろう」と優しい声音が耳に届いてしまう。
時々苦しくなる。自分が隊士でない事は仕方がない。そうだとしても私と錆兎の間には壁があると思った。私は錆兎に稽古を付けてもらったり、剣の話しをしたりする事ができない。その差はどうしても大きい。
後輩達に囲まれた錆兎と、ポツンと見ている私。
何も言わず足を返すとその場から離れた。きっと後輩達との会話に夢中で気付いていないだろうし、私もあの場にいても仕方ない。先に屋敷に戻っていよう。
「なまえ?」
錆兎から離れてどれくらい歩いたか。賑わう町の市場を抜けた時声をかけられ振り返った。
「冨岡さん…」
「一人か、珍しいな」
「冨岡さんは一人でいるの、そんなに珍しくないですね」
くすっ、と笑ってそう言うと冨岡さんは「心外だ」と言いだけに眉間に皺を寄せた。
「錆兎は一緒じゃないのか」
「はい。さっきまでは一緒でしたが」
「何かあったのか」
「え?」
冨岡さんにジッと見つめられてしまい咄嗟に私は顔を伏せた。彼の瞳はなんだか全てを見透かしてしまいそうな、そんな雰囲気がある。私の嫉妬心とか、苦しさとかを感じ取られそうな気がして。
「何もないですよ」
「そうは見えない、奇妙な顔をしていた」
「奇みょ、う…失礼ですね」
むっとして顔を上げるとテチテチとゆっくりとした足取りで私の前に来た冨岡さん。相変わらず全てを見透かしそうな瞳で私を見下ろしてくる。
何でしょうか?と問おうとした時ぽんと手のひらが頭の上に乗った。
「お前に元気が無いと錆兎が気に病む」
そう言ってぽんぽんと繰り返し頭を撫でてくる冨岡さん。私はジワリと目の奥が熱くなるのを感じた。
「錆兎はよくお前の話しをしている」
「私の…?」
「そうだ、なまえの話しをする錆兎はいい顔をする」
一体どんな話しをしているのか分からないけれど。私の事を話している時の錆兎の表情は良いものだと、長年の仲の彼が教えてくれる。私はつまらない嫉妬や、劣等感ばかり勝手に感じて、何も言わず離れて来てしまうような、そんな女なのに。
どうしよう泣いてしまいそう。
ポロポロと溢れ始めた涙が地面に落ちる。流石にこれはまずい、冨岡さんを困らせてしまうと思いハンカチを探した時。
指先が私の涙を掬い上げ、拭う。
「大丈夫か?」
静かな色をした瞳のまま涙を拭ってくれる冨岡さん。
「気分が悪いのか?」
「いえ、あの…すみませんっ」
「屋敷まで送ろう、それとも錆兎を」
「義勇」
冨岡さんの言葉を遮るように力強い声が一つ。聞き覚えのある声に私はパッと顔を上げる。冨岡さんの肩の向こうに錆兎が見えた。
あっ、と錆兎の名前を呼ぼうとしたが押し黙る。理由は簡単だ。錆兎の顔が酷く怒っていたからだ。眉間に寄せられた皺と、鋭い目。怒気を孕んだ瞳は私では無く冨岡さんに向けられていた。
「錆兎か。ちょうどいい所に、」
「長い付き合いだ、言い訳くらいは聞こう」
「……何?」
ポカンとした冨岡さんの声。
言い訳、と言った錆兎に私までポカンとしてしまう。何があったのか問うわけでは無く。言い訳、という事は錆兎の中では既に冨岡さんが何かやらかしたと決まっているような口ぶりだ。
そして彼がそう感じている原因は私の涙だろう。つまり冨岡さんのせいで私が泣いていると思っている。
「錆兎っ、待ってこれは違うの!」
まるで不貞行為がバレた時の女のような言い方をしてしまった自分に後悔する。
私の言葉が余計に起爆剤になってしまったのか錆兎の瞳が更に鋭いものになる。
「錆兎、待て」
「待たん。義勇、お前なまえを泣かせてどう言うつもりだ、何をした」
「違う」
ぶんぶん首を振る冨岡さんも珍しく焦っているようだ。それもそうだろう、いつも人当たりがよく、爽やかな彼がこんなにも怒りを露わにしているのだから。
「冨岡さん、ごめんなさい、こんな事で誤解して怒るなんて」
そう言った私に今度は冨岡さんがギョッと驚いて目を開いた。
「違う、錆兎はお前の事で怒るといつもああだ」
「え?」
「先日もお前の事を軽んじるような発言をした隊士が、」
「この後に及んで俺の前でなまえと話すか義勇!」
私の事で怒る。
私は錆兎の事を非の打ち所がなくて、どこまでも完成された人間なんだと思っていた。私の前ではいつも男らしく、どんな時でも爽やかに笑うような彼だったから。
こんな彼は知らなかった。こんな、私と冨岡さんの関係を誤解して烈火の如く怒る顔なんて見たこと無かったから。
「俺は何もしていない」
「なまえが泣いていた、理由は十分だ」
「俺じゃない」
「言い訳無用」
「言い訳を聞くんじゃないのか」
隊士同士の喧嘩は御法度。そんな当たり前の決まりすら錆兎の頭の中から吹き飛んでいるのか。感情が剥き出しになっている錆兎と後退りし狼狽える冨岡さん。
止めなければと思うのに。それと同時に少し嬉しさを感じてしまっている自分がいたのは、少なくとも冨岡さんには黙っておこうと思った。
似たもの同士
「錆兎まだ怒ってる?」
「…義勇に今度詫びなければ」
ハアと大きなため息をついた錆兎の正面に座った。ようやく誤解が解けて屋敷に戻って来たのはさっきの事。錆兎は自分のやってしまった事を余程後悔しているのか、自室に籠り反省をしているようだった。
「私が勝手に離れたからよね…」
「…居ないと気付いた時は心臓が止まるかと思った」
「ごめんなさい」
「なまえが離れた事にすぐ気付けなかった俺も悪い」
錆兎はそう言ってくれるが私は罪悪感もあり顔を上げられなかった。そんな私に「なまえ」と優しい声音で呼びかけポンと床を叩き自分の傍に来るように示した。正面に座っていた私は錆兎の示した所へそろそろと近付き距離を詰める。手を少し伸ばせ届く程の距離になった。
「呆れたか?」
「え?」
「俺はなまえの事になるといつもこうなる。勘違いをし、詰まらない嫉妬をする」
「まるで男らしく無いな」と呆れ混じりに微笑んだ錆兎を見ていたら心臓がギュッと痛くなった。
「…詰まらなくない、嬉しいよ、私は」
「なまえ…」
「それに、嫉妬は…私も、するし…本当はその、さっきもしてた、から…」
段々と小さくなっていく声で白状する。顔を上げていられず俯く。恥ずかしくて耳まで熱くなるような感覚がした。
錆兎は「そうか」とどこか嬉しそうに呟いた後、俯いた私の頬を指先で撫でてくれて。その指の優しさが余計に恥ずかしかった。
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言い訳は聞くと言いながら、言い訳するなと怒る水柱。
弁明も出来ず完全にとばっちりの水柱。
2021.02.17