ぽちゃんと音を立てて水面に波紋を作る。

なまえは、ハアと溜息を吐くと俯きそれから足元の小石を拾うとまた川に向かって放り投げた。

そんな彼女の姿を傍で見ていたのは隠の後藤だった。


「なまえさん、そろそろ戻りませんか?」

「イヤ」

「イヤって言ったって…」
 

どうしたもんかと頭を掻いた。

そもそも後藤は今日、音柱の天元に用事があってここまで来たというのにその目的は達成される事なく今に至っている。

音柱の屋敷の近くでなまえに遭遇し「聞いてほしいことがあるの」という彼女の言葉に誘われ付いてきたのだ。


「俺はそんな事無いと思いますよ」

「でも、だって」

「なまえさんも他の方と同じくらい強い嫁さんですよ」


後藤がそう言うとなまえがジワァと涙を浮かべる。泣かれると困る。面倒くさいとかでは無い。音柱に知られたら殺される。間違いなく殺される。

「いや!だから!つまりですね!」と焦った様子で取り繕おうとするがメソメソとするなまえに言葉が上手く出てこない。


「私、全然役立たずだから…!」

「そんな事ないですから!」

「才能も魅力も、無いし…っ」


わーん、と目元を覆ってしゃがみ込んでしまったなまえに狼狽えた。

彼女が聞いて欲しかった事とは所謂悩み相談。天元の嫁として自分は実力不足では無いのか、他の三人の嫁達に比べると足を引っ張る事しか出来ていない、と後藤に打ち明けたのだ。


「せめてっ、せめて私にも何か良い所があればぁ…!」

「ありますよ!すごくあります!」


まずいまずい、と隣に一緒にしゃがみ込んで焦り背中をさすってやる。頼むから泣き止んでほしい。あの手この手で慰めてみるが、なまえの涙は止まらない。そもそもなまえは他の三人の嫁と比べて自分は劣ると言ったが実力はある。それに何より、


「じゃあ後藤さんは私をどう思いますか…?」


申し分ない美人なのだ。

勿論他の嫁達も美人であるが。なまえは何か違う。何かこう、刺さるような美人なのだ。

サラサラと揺れる髪も、くりっとした大きな瞳に紅色の唇。スラリと伸びた手足も全て全て。

どう思うなど、可愛い美しい、しか出てこない。

ああもう嫌だ。ぐぬぬ、と言葉を押し殺す後藤をまるで覗き込むようになまえが見る。涙のせいでうるうるとした瞳も、泣いたせいでいつもより深紅した頬も。男にとってはこんなの全てが毒のようだ。自覚が無いのが尚の事恐ろしい。

後藤は反射的に海老のように仰け反ると、ダラダラと汗を流した。

ああ、もうこの毒のような魅力に血迷ってしまう前に誰か助けにきてくれ。


「おっ。何だ、なまえじゃねえか。何してんだ」

「あっ、天元さま!」


まさに天からの助け。

次の瞬間にはパッと煌めくような笑顔を浮かべて後藤から離れるなまえ。天元の元へ駆け寄り嬉しそうに微笑む彼女に尻尾があったならブンブンと大きく左右に揺れている事だろう。

何にしても助かったと大きな溜息。


「何だ、また泣いてたのか?」

「全然そんな事はっ」

「お前は本当に泣き虫だなぁ」


指の腹で目元を拭い笑い掛ける天元と、それに対して照れ臭そうに笑ってされるがままになる彼女。

え、何これ。

後藤はその場から駆け出したくなる気持ちを抑えて、音柱に言伝、音柱に言伝、と頭の中で数回唱えた。仕事だけは全うしなければという彼の強い気持ちだ。


「先に帰ってな、後で話しを聞いてやる。今はコイツが俺に話しがあるみてえだからな」

「はいっ天元様!後藤さん、またね!」

「あ、はい、また」


控えめに手を降り駆け出していく彼女に後藤も手を振る。

本当になんだったんだチクショウ。と別になまえに対してでは無いが、出てきそうになる悪態を押し込め心の中でぼやいた。

河原からタッタッタッと駆け上がっていくなまえは健康美に満ち溢れている。やっぱり刺さるのだ、彼女の美しさは。刺さるってどこに、ってそりゃあもう、ね。身体にというか、なんというか。

はあもう悔しくなるくらい可愛いし美しい。あんな天女みたいな人と話せただけでも幸運なのかもしれない。

さあ自分も用事を済ませたらさっさと帰ろう。そして今日は酒でも飲んでやる。と心に決めた時、後藤の肩にズシリと重いものが乗っかった。


「良い女だろ、なあ?」

「ひぇっ…」


音柱である天元の太い腕が自分の肩に乗っていると気付いた瞬間、後藤は息が止まった。

筋骨隆々の太い腕。締められたら殺される。多分今から締められるのだろう。可愛いだとか、綺麗だとか、刺さるとか思ってしまったから。きっと彼にはそんな自分の考えなどお見通しだったんだ。


「別に怒っちゃいねえから緊張すんな」

「でででで、でも」

「なまえに呼び止められたんだろ」


天元の問いかけに、首が外れそうな程縦に振る。

決して下心とか不純な気持ちはなかった。いやちょったその容姿に目眩はしたが、手は出してない。あ、背中はさすってしまった。触ってしまった。やっぱり殺される。


「まあ嫁の相談に乗ってくれたお前には、特別に良いこと教えてやる」

「は?」


良いこと?

キョトンと後藤が天元を見上げると、ニイと口角を上げて笑う男前が見えた。それも束の間、そっと自分の耳元に顔を寄せると誰にも聞こえない、川のせせらぎにすら負けてしまいそうな小さな声で天元は囁いた。


「なまえは、夜伽が一級品なんだ」








夜伽って言った?いや言った。間違いなくそれは男女の営みの方の夜伽だろう。

パンと頭の中が弾けたように呆然とする後藤を他所に、天元は言葉を続ける。


「房中術でも仕掛けさせたらアイツに勝てる男はいねえだろうな。まあ俺の嫁にそんな任務はさせねえけど」


つまり、彼女が言っていた才も魅力もないというのは本人の勘違いであり、本当はとてつもない房中術の持ち主だと。そんな任務に行かせないから彼女は自分自身の才能に気付けず、現在進行形で悩んでいると、つまりそういう事か。

なまえのような見目麗しい女性の性技を享受できるのは、彼女の旦那でありオマケに果てしなく男前な天元だけであると。ああ、なるほど。

天元の話しを聞いてぼーっとした頭で後藤は小さく呟いた。


「あー、ちくしょう」



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たかが伝言なら自分じゃなく鎹鴉使えよ、と酒を呑み泣き崩れる後藤さんまでがセットです
彼もちゃんとかっこいいメンズだと思います。
ただこういう目に遭うのが一番似合うメンズだとも思います。

2021.03.23



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