恋人の家に遊びに来たらあまり見慣れない眼鏡姿。
どうやら処理しきれなかった仕事を持ち帰っていたらしく、休日に処理する事になってしまったらしい。忙しいなら今日のデートは無しにしても構わないと提案したけど、彼としてはそれは一番嫌だったみたいで。
「仕事はもう直ぐに終わる。それまで少し待っていてくれないだろうか」
「分かった、じゃあ杏寿郎さんが落ち着くまで映画観てるね」
そう言葉を交わし、私はリビングへ。彼は自室に行くかと思いきや、パソコンを持ってリビングへ来た。どうやら私の隣で仕事をするつもりらしい。
「コーヒー淹れようか?」
「ああ、すまない」
「ブラックでいいかな?」
「ミルクを一つ入れてもらえると助かる」
「はーい、任せて。お仕事大変?」
「そろそろ試験期間だったからなテスト作りと対策プリントをまとめていた」
「対策プリント作ってくれる杏寿郎先生は優しいなあ」
そんな風に微笑みながら、コポコポと沸いたお湯をインスタントコーヒーが入ったマグカップに注ぐ。彼のコーヒーにはミルクを一つ入れて、私のマグにはミルクと砂糖を入れた。「はい」と言って渡し、ソファの隣のスペースに腰掛ける。
「映画見て大人しくしてるね」
「折角の休日なのにすまない」
「全然。気にしないで」
「終わったら何処か出掛けよう」
「わかった、楽しみにしてるね」
答えてからテレビを付けて動画配信サービスに繋げる。前々から見たいと思っていた映画があったので丁度よかったかもしれない。
ぽちぽちとリモコンをいじり再生したのは海外のアクション映画だ。ヒーロー映画であるこの作品は国内外問わず人気がある。有名な俳優さんが主役のヒーローを演じており、傲慢で人の弱さ等に理解の無い主人公がヒロインと知り合って少しずつ変わっていく物語だ。
そんな二人の恋愛模様がどこかロマンチックな雰囲気があると話題になっていた。
杏寿郎さんの仕事が落ち着くまで、のんびり見ていようと思いオープニングが流れ始めた映画に集中する事にした。
・・・
よし、こんな所だろうか。
資料を作り終え杏寿郎はフウと一息ついた。掛けていたブルーライトカットの眼鏡を外し眉間を指の腹で揉む。少なくとも一時間以内で終わらせようと思っていたがそれ以上掛かってしまうとは。
何にしてもこれでようやく休日を満喫することができる。
「なまえ、」
と名前を呼んですぐに言葉に詰まった。
理由はテレビを見つめる彼女の表情だ。集中している。いやそれだけでは無い、この顔は。
ちらりと彼女が熱中している映画に杏寿郎も目を向ける。ヒーローだろう男性が映し出されている。まるで彫刻のような筋肉をした俳優だ。それに対しヒロインは細身の女性だった。なまえの顔をまた盗み見る。
「…」
固唾を飲んで見守る彼女。映画はそろそろクライマックスが近いのか、二人の主役がメインシーンになっている。
「…あ、」
なまえが嗚咽のように小さな声を漏らした。ヒーローの方がヒロインの手の甲に口付け、それから唇を重ねる二人。それを見てなまえはと言うと口元に手を添え、目輝かせている。おそらく口元を抑えているのは声を上げないように、仕事をしている杏寿郎への配慮なのだと思うが。
なるほど。
最終戦らしき戦いが始まるとより一層目を輝かせ俳優を見つめる彼女。気のせいか身体が少し前のめりになっている。
なるほど。
と、杏寿郎はもう一度心の中で呟いた。
とりあえずなまえが熱中している間はしばらく待とうと決めた。開始から見ていなかったせいでストーリーは全く分からないが、しばらく見ていたら戦いが終わりエンディングに入り始めている。
そろそろいいだろうか。
相変わらず画面に熱中する彼女。トップスから覗く肩口に顔を寄せると、杏寿郎はそのまま僅かに歯を立てた。
「ふひゃっ…!?」
その瞬間びくんと身体を跳ね上げさせ、悲鳴を上げたなまえ。噛まれたばかりの肩口に手を添え杏寿郎へと振り返ったその顔は驚きと困惑で目を白黒させている。
「な、なに、杏寿郎さん、いきなり…!」
「仕事が終わった」
「えっ…ああ、そうだったんだ、ごめんなさい気付かなくて」
「声を掛けたら邪魔になるかと思ってな」
「そ、そんな事ないのに…言ってくれたら、」
「集中していたな。…いや熱中していたと言うべきか?」
「そう、かな…普通だよ」
「そんなに好みの俳優だったか?」
杏寿郎の問いかけになまえの頬が僅かに染まった。「あのね、好みとかそういうのじゃなくて、ヒロインとの恋愛がすごくロマンチックだったからちょっとだけワクワクしちゃって…!」と言うなまえの様子をにっこり笑って見ていた杏寿郎だが「なるほど」と今度は口に出して呟いた。
「なまえおいで」
「え?」
手を引いてソファから立ち上がる。
まさかこのまま出かけるのだろうか。そうだとしたらテレビはそのままだし、カバンも置きっぱなしだ。一旦支度をしたいと、口にしようとしたなまえだが、自分の手を引く杏寿郎が玄関ではなく自室に向かってると気づいた瞬間ギョッと目を見開いた。
「きょ、杏寿郎さん、あの、あの、…出掛けるよね、?」
「いや今日は予定を変える」
「え…、」
「これから君を抱く事にした」
ピシリと身体が固まったなまえに対し、杏寿郎は相変わらずにこにこと笑みを絶やさないでいる。
「ま、待って、あの」と立ち止まって僅かに抵抗を見せるなまえ。ふと振り返って見た彼女の顔は耳まで赤くなっていた。ふっ、と笑みをこぼすと顔を寄せる。
鼻先が触れるか、触れないか。
それくらいの距離で杏寿郎は小さく呟いた。
「今度は俺に熱中してもらおう」
その言葉を最後になまえの身体軽々抱き上げると自室に入り、パタンと扉を閉めた。
誰であろうと
ふにゃふにゃと眠るなまえの顔を見つめる。余程疲れてしまった、いや疲れさせてしまったのか外は既に夕暮れ色だが未だに目を覚ます気配がない。幸いにも明日は日曜だ。今日は泊まっていかせる事にしよう。
起き上がると彼女が風邪をひかないように布団をかけてやり、するりとベッドを抜けた。
落ちていた下着とズボンを身につけリビングへ。ソファに腰掛けるとテレビのリモコンを取り動画配信サイトに繋げる。ぽちぽちと弄りなまえが先程まで見ていた映画を見つけた。
なまえが自分ではない他の異性に興味を持つのは寛容でないが、だが大切な彼女があれほど夢中になっていた映画なのなら自分も知っておきたいという気持ちもある。
「……きょ、寿郎さん…?」
再生ボタンを押そうとした時、自室から自分を探す声がした。
リモコンをテーブルに置くと立ち上がる。「今行く、待っていてくれ」と言って冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを一本取り再び自室へ。
彼女がいる時に映画など集中出来るはずがない、また今度にしよう。全く熱中しているのは俺の方だな、と苦笑いをした。
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相手が映画俳優でもなんでも彼女の視線を奪われるとこちらに向けたくなる男。
ちなみに見ていた映画は有名アメコミ映画のハンマーを持ったヒーローの一作目です。
神様と人間の恋が好きな方は是非(宣伝)
2021.04.23