釣り合ってない
その言葉が一番胸に痛かった。侮蔑に等しい笑われ方も、陰口だって耐えられるけれど。でもあの人と比較される事だけは胸が痛かった。
昔から周りと上手くいかない時があった。私はあまり明るくないから。明瞭な喋り方が出来ない人間だったから思っている事も伝えられず、周りの人を苛々させてそれから距離を取られてしまっていた。
あの人はこんな私の何が良かったのだろう。聞いたら答えてくれるかもしれない。けれどもし困った顔をしたら。そんな顔を見てしまったら私はきっと耐えられない。
だって、ね?
とクスクス笑われても何一つ言い返すことなんて出来やしない自分。結局クルリと背を向けてその場を立ち去ってしまった。背中に届いた「つまんな」という言葉に、同意をしたくなってしまった。
泣きたいとか、酷いことを言われたとか、そういう事じゃない。ただ胸が痛かった。
「なまえ?」
名を呼ばれハッと我に返る。見上げると不思議そうに私の顔を覗き込む煉獄さんの瞳と目が合った。動揺が顔に出ないように。「すみません」と言った私に対し、彼の眉がピクリと動いた気がした。
「考え事か?」
「いえ、少しぼんやりしてしまいました」
「任務続きだというのに連れ出してしまってすまなかった」
「大丈夫です、私は」
お互いに隊服を脱ぎ。私は小紋の着物に袖を通して煉獄さんは着流し姿で。甘味を食べたり町を歩いたり、そんな一日を過ごしていた。それだと言うのに私は幸せの時間の中で、大切な人が目の前にいるというのに、先日言われてしまった言葉に囚われていた。
抜け出さなければ、振り払わらなければ、そう思っても心の何処かで「この人と私は釣り合っていないのか」と思い、揺らいでしまった。
「今日はここまでにしよう」
「え、」
「君は今、他に囚われているようだ。無理はしなくていい」
「ちが、ちがいます、そんなことは」
「なまえ」
優しく名前を呼ばれ押し黙る。煉獄さんの目が見られず顔を俯かせる。どうしよう、と焦る気持ちで心臓が嫌な音を立てていた。
嫌われてしまったら、見限られてしまったら。私はどうしたら良いのか。ぞわぞわと地面から足を掴まれるような、そんな悍ましさだ。
「ここに居なさい」
橋の欄干に私を残し、ぽんと頭を撫でて何処かへと歩いて行く煉獄さん。彼を追いかける事も出来ず「あ、」と小さく声を漏らしただけで見送ってしまった。
やってしまったと呆然と立ち尽くす。自然と項垂れ自分の足元を見つめた。呆然とした頭で後悔をする。目の前にいる大切な人がいたと言うのに。どうして間違えてしまうのだろう。泣いてしまわないように唇を噛んだ。こんな事では駄目だ、こんな事では本当に大切なものを手放してしまいかねない。
煉獄さんを追いかけなければ、と顔を上げた。
「っ、え…?」
「すまない待たせてしまったな」
目の間に新橋色の瓶。それを持って微笑んでいたのは煉獄さんだった。
「ラムネだ。すぐそこで売っていた。喉が渇いたかと思ってな」
「あ、あの、ありがとうございます」
「うむ、これを飲んで少し休憩をしよう」
そう言うと欄干に寄り掛かりゴクリと一口ラムネを飲む煉獄さんを見つめて、私も受け取った瓶に口を付けた。しゅわりと喉を潤す清涼飲料水を飲み込んで再び顔を上げると、煉獄さんが私を見つめ微笑んでいた。
とても優しい眼差しに見つめられ「あの、」と私はようやく言葉を紡ぐ。
「何だ?」
「私は、…つまらなくないですか?」
「つまらない」という陰口に私ですら同意してしまったんだ。きっと私の事を間近で見ているこの人はもっと感じているかもしれない。
「わたし、…釣り合えていますか?」
あなたに
そう言った私を煉獄さんはきょとりとした顔で見つめた後、私が何を言わんとしているのか察したのか少し目を細めた。
僅かな怯え。聞いてしまったからには答えを聞かなければならない。やっぱり無しなんて言えない私は逸る胸を抑えるように、煉獄さんの瞳を見つめた。けれど、そんな私の緊張感とは裏腹に煉獄さんはふっと柔らかく笑みを浮かべ、それからまたラムネを一口飲み干した。
「不思議な事を聞くのだな君は」
「私、その…」
「では聞くが、君の思う釣り合うとは何だろうか?」
「え?」
「立場か、財力や地位か、それとも人望、はたまた容姿の事か」
「それは」
「何と釣り合えば君は安心する事が出来る?」
聞かれて言葉に詰まった。「釣り合わない」と何度も陰口を囁かれ。嘲笑され。それでも煉獄さんとの関係を終わらせない私。釣り合わないと言う漠然とした暴言に心を痛めていたが、それの本質を見落としていた。
立場や実力の差など、そんなものは最初から分かっていた事だ。
「俺は君を好いている」
「っ、」
突然の言葉に驚いて煉獄さんを見る。頬が熱くなり戸惑う私とは違い、彼はさも当然だと言いたげな顔で私を見つめている。
「なまえ、君はどうだろうか」
俺を好いてくれているだろうか。
そんな問いを照れもせず言ってしまう彼を前に呆気に取られてしまった。好いているかどうかなど、そんな事は言うまでもなく。好いているからこそ、あんな陰口にどうしようもなく揺らいでしまったのだ。私はなんて情けない。彼の気持ちは、心はこんなに真っ直ぐ向かってくれているというのに。
どれだけ嫌がらせをされようと、陰口を囁かれようと。彼との関係を終わらせない。それが全てだ。
「…好き、だとか……そんな言葉では足りないのです…」
やっとの思いで絞り出した私の言葉に今度は煉獄さんが僅かに目を見開き、そしてまた優しく暖かく目を細めた。
「そうか、では俺と君は心が釣り合っているようだ」
それで十分だと微笑んだ彼に、私は頬の熱を誤魔化すようにラムネをこくりこくりと飲み干した。
調和する心
じっと見つめられる。
チラリと見ると目が合い、微笑まれるものだから私は慌てて目を逸らす。とても嬉しそうな顔をする煉獄さん。先ほど「好きという言葉では足りない」なんて大胆な事を言ってしまった私は恥ずかしくて、いつも以上に恋人の顔を見ることが出来ない。
嘘は言っていないけれど。それでも頬の熱を抑えることが出来ない。
「そ、そう見られては、落ち着きません…」
「そうか!」
それでも私を見つめる事を辞めない煉獄さん。耳まで熱くなってきてしまった。困ったな、と思いながらチラリと彼を見た。
「なまえは愛いな。君の反応や僅かな表情の動き、全てから目が逸らせない」
「な、…」
「好きでは足りないのは俺も同じだ」
それから、つまらない等と思った事は一度もないぞ。
いつも私の感情を掬って、そして私を救い上げてくれる。彼の言葉を噛み締めるように飲み込むと、私はようやく「はい」と笑みを返すことが出来た。
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余談。
虐めに屈する彼女ではありませんが、彼女を虐める隊士達を放置するような彼氏でもありません。
この時代にラムネ、あったような無かったような…(勉強不足)
2021.04.26