「何がいいですか?」


今日彼女のこの言葉を聞くのは何度目だろうか。

夕食をご馳走したいと言ってくれた彼女に連れられたトラットリアで。食後、家で飲みなおす為の酒を買いに行ったスーパーで。そして今、色とりどりのケーキが並ぶウインドウの前で。

こちらに向かって微笑み「どれも美味しそうですよ」と言ったなまえはとても楽しそうだ。


「君が選んでくれて構わないぞ」

「だめですよ。杏寿郎さんが選ばなきゃ。今日は特別な日なんですから」


そうだ、それと言うのも今日が自分の誕生日だからに他ならない。だからこそ彼女は今日俺に幾度となく「何がいいですか?」と問いかけてくるのだ。


「そうだな、俺はこういう物に詳しくなくてな。君は普段どんな物を食べる?」

「……私がそれを答えたら杏寿郎さん、それ買いますよね?」

「よもや。気付かれてしまったか」

「もうっ」


ぷくっと頬を膨らませた彼女に苦笑い。

「お祝いしましょう」と言ってくれたのはなまえだ。今日のことを一生懸命考えてくれたのか、店選びから今日の段取りの全てを決めてくれた。そして財布を握っているのも彼女だった。

流石に女性に支払いをさせるのは申し訳ない、と言ったのだが「誕生日なんだから良いんです」と言って伝票を握りしめてしまい決して譲ってくれなかった。


「何個でも好きな物を選んでください」

「本当に何個でも良いのか?」

「はい勿論です。あ!一個や二個じゃ駄目ですよ。杏寿郎さんがたくさん食べるの私知ってますからね」


この様子では例え「このウインドウの物を全部」と言っても彼女は喜んで支払ってしまうのだろうなと思った。嫌な顔一つせず。先程のトラットリアでもそうだったが、値段など見もせず注文していくなまえの姿に、今日彼女は本気で自分を祝いに来ているのだと実感した。

チラリとなまえを見ると、にこにこしながらウインドウを眺めている。しばらくジッとその顔を見つめた。


「…そうか、それなら。苺のタルトを一つと、ベイクドチーズケーキとモンブランを一つずつと……ああ、そこのスイートポテトも貰えるだろうか」


そう言うと店員の女性は笑顔で「かしこまりました!」と言って次から次へと箱に詰めていく。


「沢山選んでしまったな」

「いいえ、もうバッチリですよ!」


顔の横で人差し指と親指で丸を作り微笑むなまえ。どうやら彼女は今日俺が変に遠慮するのが嫌らしい。


「そうか、それなら今選んだものは全部半分こにしよう」


そう言うとなまえの顔がパァッと綻ぶのがわかった。「流石に一人では食べきれないからな」と言う俺に彼女は「はいっ」と笑顔を浮かべる。

それもそうだろう。今俺が注文したものは全てなまえが目で追っていたものだ。好きな物を聞いても答えてくれないのであれば、観察するまで。最後に注文したスイートポテトはバレない為のカモフラージュだったのだが、案の定なまえは俺が全て自分で決めたと思っているようで気付いていない。

なまえの好きな物なら何でも買ってやりたいと思うのだが。


「じゃあ私お会計するから杏寿郎さんは外で待っていてください」

「むう…」

「杏寿郎さん」


じっと見つめられてしまっては「分かった」と言うしかなく。自動ドアを一人潜り抜けると壁にもたれた。

食事だけならまだしも誕生日の贈り物まで貰ってしまったのだ。飲み直す為にスーパーで買った酒の支払いも彼女で、更にはこのケーキ屋だ。

一個二個では駄目と言うし、かと言って自分の好きな物は教えてくれない。今日の彼女を甘やかすのは中々難しいなと一人笑ってしまった。


「お待たせしました」

「ああ、ありがとう。それは俺が持とう」

「だめですよ。杏寿郎さんスーパーの袋も持ってくださってるんですから」

「これは対して重い物でもないが」

「それでも一人に全部持たせるのはだめです」


鼻歌混じりに帰路につこうとするなまえの手を取った。


「それならこの手を持たせてもらおう」


握りしめて彼女を引いて歩き出す。今日はこれから彼女の家に行き、酒を飲み直してそのまま泊まりの予定だ。ふと握り返された手に気付いた。振り返るとなまえが嬉しそうに微笑んでいる。


「君は本当に、ずっと楽しそうにしているな」

「楽しそう、じゃなくて楽しいんです。杏寿郎さんは楽しくないですか?」

「いいや。とても気分が良い」


楽しそうに微笑むなまえを見ていられるのが何より幸福だ。俺の誕生日を、自分よりも誰よりも喜んでいるのではないかと思う。


「帰ったらお酒と、ケーキと、シャワーも浴びたいですよね」

「はは。そうだな、沢山あるな」

「何がいいですか?」


今日何度目かも分からない言葉だ。目をキラキラと輝かせて、幸せそうに笑って俺を見る。たかが誕生日、されど誕生日。彼女にとっては何気ない一日なはずなのに、特別な物のように扱ってくれる。


「そうだな、君が良い」

「え?」

「君が良いと言ったんだ」


今この瞬間に何よりも君が欲しいと思う。

朱に染まる頬に触れて、人目も気にせず抱きしめてしまったらきっと彼女は困るだろう。


「すまない困らせてしまったか」

「…いいですよ、あげます」


驚いて彼女を見る。なまえはじっと俺の方を見つめていた。


「…っ…、本当にもらうぞ」

「ふふっ、おかしい。どうして杏寿郎さんが照れるんです?」

「むっ」


言われて気付く。確かに頬が熱い。ビニール袋を持ったままの手で口元を隠すとなまえは「そんな杏寿郎さん珍しい」と言って楽しそうに笑った。顔を覗き込んでくる彼女の視線から逃げるように顔を逸らす。


「なんだか可愛いですね」

「…揶揄わないでくれ」

「ふふっ」


不甲斐なし。

自分から「君が良い」と仕掛けておきながら見事に返り討ちにされている。どうにも今日は主導権を握られっぱなしだ。


「今日の君は甘やかすのが難しいな」

「だって今日は杏寿郎さんが甘やかされる日ですから」

「むっ…君に勝てそうもない」

「ふふ、何を言ってるんです。私が負けているんですよ」

「何?」

「私が杏寿郎さんを好きでどうしようもないから、どんなに祝っても足りないんです」


「だから負けっぱなしなんですよ」眉を下げて困ったように笑ったなまえの手をたまらず引く。勝ちだとか負けだとかそんな尺度でお互いを測る気はないが。それでも。「わ!」と声を上げて少し近付いた彼女の額に口付けを落とした。本当なら唇にしたかったが流石に人通りも多いので耐えた。


「俺と出会ってくれてありがとう。君のお陰で俺の人生が変わった」

「…それは、私のセリフです。杏寿郎さんと出会って人生変わったんですから」


生まれてきてくれて、ありがとうございます。

そう言うや否や、今度はなまえに強く手を引かれ僅かに身体が傾く。彼女は背伸びをして俺に近づくとあっさりと唇を重ね、ちゅと可愛らしく音を鳴らし掠め取っていった。


「ふふ、隙がありますね」

「…っ、きみ、は」

「さあ帰りましょう」


前を向いて歩き出すなまえの耳が赤くなっていることに気付いた。何でもない事のように笑って余裕にも似た顔を見せておきながら。


「なまえ」

「はい?」

「やはり俺は君がいいな、君が欲しい」

「っ…だ、だからあげますよってさっき」

「いや、それだけではない」

「え?」

「これから先も祝ってもらうなら君がいい。そういう意味で君が欲しいと言ったんだ」


君が目を見開いて。それからじわじわと頬を深紅させて、小さな声で「…はい」と呟く。

その姿を見て、今日は中々甘やかす事が出来なかった彼女をようやく甘やかす事が出来たような、そんな気がした。



寿2021


それはそうとなまえ

はい?

君の誕生日は覚悟しておいてくれ。今日の分を含めて返させもらおう

え!い、いいですよ!そんな!私が好きでやってる事ですし…!

そうか!では俺も君が好きだから好きなようにさせてもらおう!

ええぇ…!



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青空がよく似合う、炎の如く生きる人へ。
お誕生日おめでとうございます。

2021.05.10



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