任務前の僅かな時間。さてどこで腹ごしらえをしようか。

歩きながら町を見渡した。いつもの定食屋でも良いが、何処か別のところでもいい。ふむ、と悩む。そう言えば彼女が作ってくれた食事はどの店の物よりも美味かったな、と思い出して杏寿郎は静かに笑みをこぼした。

彼女とは他でも無い、杏寿郎の熱烈な求婚に未だに返事をしていないなまえの事だ。

彼女に惹かれ、その日のうちに求婚をしてから何日過ぎたことか。先日も屋敷に呼び出された際に嫁に欲しいと言ったのだが、鬼のような形相の胡蝶しのぶが間に入り、それ以上言葉を交わす事が出来なかった。


れ、煉獄さま、私は、そのっ、


たった一言、嫌だと言ってくれれば諦めると言うのに。

彼女はいつも頬を染め、戸惑った顔をする。最終的にはいつも背を向けて逃げるように走り出されてしまうのだが、あんな顔を見てしまっては期待してしまうというものだ。

それにしても彼女のことを想うと胸がほっこりと暖かくなる。

うむ今日の任務は万力の力で臨めそうだ

そんな事を考えた時「お嬢さん止めなって、アンタじゃ無理だよ」という声が聞こえ杏寿郎は足を止めた。


「いいえ、これくらい私でも持てます。ですから気にしないでください」

「いやぁ無理だよ。その腕で米を一斗なんて。ニ升ぐらいにしておきなよ」

「両手で前に抱えれば私でもきっと」

「わはは!そんな細っこい腕で何を言ってるんだか!」


笑い飛ばす米屋の主人に、むむむと少し膨れっ面をする女性。横顔でもそれが誰なのか分かった。その顔を見た瞬間、自分の口元が緩むのが分かった。


「わ、私も力ありますよ!」

「無理しなさんな。米を沢山使うってなら一俵屋敷に運んでやったっていいけどよ、生憎今日は人がいなくてな。とりあえず男の人でも連れてきたらどうだい」

「男の人なんて、屋敷には…」

「なまえ!!!!」


困り果てた彼女の顔を見て、たまらずその名前を呼んだ。

杏寿郎の声に振り返ると、驚き目を大きく見開いたなまえ。「煉獄さま…!どうしてここに」と動揺して見せた。


「偶然だな!君に会えるとは思わなかったぞ!」

「お、お久しぶりです…!」


そう言って下げられた彼女の頭には見慣れた蝶の髪飾りがある。蝶屋敷に住まう者達が揃いで付けている髪飾りだ。少女達のように高い位置ではなく、頭の低い位置に控えめに付けられたそれは彼女の性格を表しているようだった。

杏寿郎が現れた途端、頬に熱を帯びてしまったなまえ。それもそうだ。相手は自分に求婚真っ最中の男性なのだから。

そんななまえの様子を「ほうほう」と眺めていたのは米屋の主人だった。なるほどねえ、とニヤニヤ笑うと口を開いた。


「お嬢さん、好いヒトがいるなら話しが早いじゃないか」

「!…い、いい人だなんてっ」

「これだけ屈強な男なら米俵の一つや二つ余裕だろうよ。持ってやってくんないかい?」

「勿論だ!俺が屋敷まで運ぼう!」

「おおー!威勢のいい兄ちゃんだ!このお嬢さんときたらこんな細い腕で米を一斗運ぼうとしてたんだよ」

「それは無謀だな!!」

「れっ、煉獄さま…!」

「そうだろ、そうだろ。はいじゃあコレよろしく頼むよ」


ドンと目の前に置かれた米俵を「うむ!」と言って簡単に担ぎ上げてしまった杏寿郎になまえは驚き目を見張る。「では行こうか!」と歩き出す彼の後を追うため、米屋の主人にお金を渡すと慌てて駆け出した。


「れ、煉獄さま…!そのような事して頂かなくとも大丈夫です!」

「だが君がこれを運ぶのは少々無理があるぞ!!」

「そ、それなら小分けにして明日も買いに行けば良いだけで…!」

「蝶屋敷は患者も多い!米は入り用だろう!」


杏寿郎の言葉は的を得ておりなまえは「うっ」と声を詰まらせた。

蝶屋敷で療養してる患者達への食事。それから屋敷で暮らす少女達の日々の食事のことも考えると、米は多くあって困るものではない。むしろ無くなる都度買いに行かなければならないのは大変な事だった。出来ることなら一俵欲しい、それが素直な気持ちだ。

とは言え。杏寿郎は柱。こんな買い出しなど、わざわざ手伝ってもらうには恐れ多い相手だった。


「誰か別の方にお願いしますから…!煉獄様にこんな事は…!」

「それは無理だ!君が他の者を頼るなど!俺は耐えられん!」


青空に響き渡るような声で高らかにそう言った杏寿郎。

別の方にお願いする、となまえは言ったが。米俵を担ぐ事が出来る他の人間など、間違いなく男だろう。鬼殺隊の男か、それとも町の者かは分からないが。何にしても、それだけは看過出来ない事だった。


「好いた相手の役に立てて嫌な者などいない!」

「…っ」

「君に一番に力を貸すのは俺でいたいという事だ!!」


ぼしゅう。

まるで湯気が出そうな音を立ててなまえの頬が熱くなった。声高らかに、好いただの一番だの何だのと、愛を語られて恥じるなという方が無理だ。特になまえはそう言ったことに免疫はあまり無い。

杏寿郎の真っ直ぐすぎる愛はなまえにとって毎度毎度、強烈過ぎるほどの衝撃と力を持っていた。


「さあ行こう!」


それなのに杏寿郎はいつも通りで。恥ずかしく思ってるのは自分ばかりなのだろうかと思うと余計に恥ずかしく。なまえは顔を俯けて杏寿郎の後を歩いた。

彼はなまえに歩幅を合わせているようだった。

置いていく事がないように。三歩ほど間が開くと少し振り返りなまえを見る。ちゃんと付いて来ているのを確認すると笑みをこぼしまた歩き出す。

その視線がどうにも優しくてなまえは耳まで熱くなるのを感じていた。

何度そうして振り返ってくれたか。気付けば蝶屋敷の前についていて、いつもよりも帰路があっという間に感じた。


「厨房まで運ぼう!」

「そんな!もう、ここまでで大丈夫です…!」

「だが君ではこれは運べないぞ!」

「それは…こ、転がして厨房まで…!」

「君は時々面白いことを言うな!!」


杏寿郎の言葉になまえは顔をまた赤らめる。その顔を見ると杏寿郎は胸が躍った。なまえが自分の言葉で戸惑ったり、顔を赤らめたり、そんな様子を見るだけでどうしようもなく愛おしくなってしまうのだ。


「ここまで運んだのだから厨房までも大した距離ではない!」


そう言う杏寿郎を裏の勝手口から厨房まで案内すると彼はやっと肩に担いでいた米俵をドシリと床に下ろした。


「ここで良いだろうか!」

「はいっ…本当にありがとうございます…!」

「いや礼を言うのは俺の方だ!」

「え?」

「思わぬところで君との時間を過ごせてしまった!」


溌剌とした声になまえは顔を俯かせる。頬を見てまるで夕暮れのような色をするなあと彼女の顔を眺めた。


「では任務があるから俺はそろそろ行くとしよう!」

「あ、あの!」


立ち去ろうとした杏寿郎の羽織りの端を掴んだなまえ。クンと控えめに羽織りを引く彼女の手に杏寿郎は動きを止めた。


「なまえ?」

「すこし、少しだけお待ちください」

「あ、ああ構わないが」


そう言うと杏寿郎から手を離し厨房をパタパタと駆け回るなまえ。

突然の彼女の行動に少々呆気に取られてしまった。彼女から呼び止めるなど今まで無かったことだ。杏寿郎は勝手口の壁に寄りかかり、空を見てなまえを待った。


「煉獄さま…!」


数分したあと慌てた様子で顔を見せたなまえ。相変わらず頬が茜色に染まっているなあ、と思ったのも束の間。「これを…っ」と言って竹の皮の包みを杏寿郎に差し出した。


「これは?」

「おむすびを、その、用意致しました。お、お昼時に町にいらっしゃったので、お食事がまだだったのかと思いまして」

「…」

「私の事で時間を取らせてしまって……あ、あの炊き立てのお米ではないのですが、少しでも足しになればと…!」


大きめのを三つ用意したので、というなまえ。

たしかに彼女の言う通り食事はまだであったし、何を食べようかと悩んで町に行ったのだが。

ああ、やはり。


「俺は、」

「?」

「俺はやはり君が嫁に欲しい、なまえ」


言葉一つで赤々と染まる頬も。戸惑う顔も。握り飯に込められた気遣いも。何もかも愛おしいと思う。

一言嫌だと言ってくれたら。彼女に嫌だと言われれば諦めるなどと。よくもそんな嘘がつけたものだと自分に呆れてしまう。例え彼女に嫌だと言われようと無理だ。これでは諦めようがない。


「また君に会いに来よう!」


そう言って羽織りを翻し去っていく杏寿郎の後ろ姿をなまえは頬を赤らめたまま見送った。



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まだ続きます。
一斗の米は15s。
一俵の米は60s。だった、たぶん。

2021.05.16



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