ホウと息を吐き出して月を見る。
淡い浅葱色の肩掛けを羽織り門の前で立ち尽くす。何処かそわそわとした様子で辺りを見回したが夜の帳が下りたこの刻は一つの音も聞こえない。
どれほどその場に居ただろうか。少し体が冷えてしまい、鼻が詰まるような感覚がした。一旦中に戻り暖を取ってまた戻ってこよう。そう決めるとなまえは玄関口へと足を向けた。
「、っあ」
その瞬間伸びた二本の腕が背後からなまえを抱きしめる。ぎゅうと抱きすくめるその腕が誰のものか、もう分かっていた。
「お帰りなさい、錆兎」
「ただいま」
顔を上げると綺麗な宍色が目に映った。目が合い嬉しそうになまえが笑う。錆兎も愛しげに目を細めた。
白い羽織りと鬼殺隊の隊服。間違いない、水柱の彼だ。
「任務お疲れ様」
「ああ。冷えているな、どれだけ待っていたんだ」
「そうねえ、空が茜色の頃から」
「なまえっ」
「ふふ、嘘」
いつからか、なんて忘れちゃった
そう言って微笑む彼女に錆兎は眉間に皺を寄せた。冗談めかして言われても冗談に聞こえないのだ。なまえの事だ長い時間ここで自分の帰りを待っていてくれたんだろう。
そう思うと錆兎はもう一度腕に力を入れてなまえを抱きすくめた。
「髪も冷えているな」
「そう、かな」
肩口に顔を埋めるように。すり、と頭を寄せるとなまえが僅かにびく付いたのがわかった。
「俺がいない間に何も無かったか?」
「な、何にも無いよ」
「そうか」
「あ、の、錆兎…もう離して大丈夫よ」
恥ずかしそうに身を捩るなまえ。先ほどまで冷えていた身体は何処に行ったのか。髪の毛から僅かに見える耳が真っ赤に染まっていた。
「ねえ錆兎、は、離そう?」
「断る」
「もう…っ、誰かに見られたら、」
「こんな時間だ、誰も居ないだろう」
甘えるように抱きしめて、首筋に唇を寄せる。ちゅ、と音を立てた瞬間なまえがヒラリと錆兎の腕から抜け出した。
振り返り怒った顔をして見せるが、真っ赤に染まった顔ではあまり迫力に欠ける。ぷくと膨らませた頬すら愛おしい。
そんな錆兎の暖かな眼差しに気付いたのか「もう」と悔しそうに言うと、手を伸ばしシュルリと錆兎からある物を掠め取った。彼女の行動を避けられる癖に避けず、されるがままになると錆兎は笑った。
「はは、面を返してくれないかなまえ」
柱となった今も錆兎が持ち歩いてる狐の面。腰に下げていたり、首に掛けていたりと様々だ。
そんな彼の思い出の面を掠め取り、自分の顔を隠したなまえ。それでも覗く耳はまだ赤い。
「返さないわ」
「怒ったのか?」
「錆兎が揶揄うんだもの」
なまえの言葉を聞いて、今度は錆兎が手を伸ばす。腰に腕を巻きつけてグイと引く。もう片方の手でなまえの細い手首を掴むと、顔を隠す狐の面ごと上に持ち上げた。
驚いた顔で自分を見上げる彼女と目が合った。
「揶揄ってなんかいない」
まずは掴んだ手首に唇を寄せる。瞳は逸らさないまま手首に口付ける錆兎に目を合わせていられなくなったのはなまえの方だ。
狼狽えて身を引こうとするなまえを逃がさんと言わんばかりに今度は耳元へ。「なまえ」と名を呼べば身体を硬直させる彼女が愛おしい。
「さ、さびと、待って、待って」
「待たない」
次は頬へ。熱い頬に優しく口付ける。「んっ」と声を漏らすなまえにゾクリと背中が粟立つ感覚がした。
「ただいま」
もう一度そう言うとモゴモゴと言い淀んだあと、虫が鳴くような細い声で「あの、えっと」と繰り返すなまえ。
チラリと錆兎を見て、恥ずかしそうに眉を寄せ。キュッと一度だけ唇を噛むと、薄く開いた。
「…お、おかえ、」
最後まで言い切る前に両手で頬を挟み、顔を寄せると唇を食んだ。
驚いたなまえの手から面が落ちカランカランと音を立てる。拾う余裕も無く、角度を変えて何度も唇を食んでくる錆兎から逃げる事も出来ず。「ふっ、あ」と息を漏らした。
ギュウと力強くなまえの手が錆兎の羽織りを掴む。くらりとする熱量に身体の力が抜けそうになった時、ようやく錆兎が顔を離した。
「好きだ」
何度伝えたか分からない言葉と共に、冷えて赤く染まった鼻先にちゅ、と音を立てて口付けた。
夜の帳に熱と情
恥ずかしそうに、頼りなさげになまえが錆兎の羽織りを掴む。
さてこの蕩けた顔をする愛しい人をどうやって愛でようか。そんな事を考えた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
生存if
柱になっても狐の面を持っていて欲しい
2020.12.28