自由だと思った。

相手が何を美しいと感じるか。どんな容姿が好みなのか。そういう気持ちは誰にだってあると思う。「見た目は好みじゃなかったんだけど、好きになったんだよね」みたいな話しを友達から聞いたこともある。

だから彼が何を可愛いと思っているのか、どんな容姿を好むのか、そういった趣向は自由だ。

私はたまたま、自分が好きだと思った性格と外見が一致していたのが杏寿郎さんだったけれど。彼はそうでは無かったのかもしれない。そう思って受け止めてしもえばいいのに。

それなのに、


「みょうじ先生、辛いですか…?」

「えっ、」


声で我に返る、そこには竈門君が不安気な顔で私を見ていた。


「あ、えっとごめんなさい、ぼんやりしちゃって…!」

「いえ俺の方こそ!放課後に押し掛けてすみません!」

「全然!むしろ分からない所を聞きにくるのは良いことだよ」


そう言うと竈門君は照れ臭そうに笑んだ。

そろそろ試験も近いから勉強を見てほしいと職員室にやって来た彼の自主的な補修を開始して早一時間。最初は理解できていなかった所も次第に理解できたようだった。


「ありがとうございます、ここまで教えてもらえれば大丈夫です」

「よかった、また何かあったら聞きに来て」


そう言うと竈門君はふわっと柔らかく微笑み「ありがとうございます」と返してくれた。

竈門君を見送ると、今夜の事を考えフウと溜息をついた。スマホをチェックする。彼からのメッセージはお昼以降届いていない。明日は休みだ。流石にこのまま何も連絡をせず休日に入るのは良くないと分かっていた。

放課後になった後、杏寿郎さんは竈門君の自習に付き合う私をずっと見ていたようだった。本当に真っ直ぐ見つめてくるものだから知らないふりをしようとしても視線に気付いてしまうし、その目力が少し怖くもあった。しばらくそうして私を見ていた彼だけど、途中で職員室を出て行ってしまい今は近くにいない。もう帰宅してしまったのかも私には分からない。

きっと彼は私に対し、まだ怒っている。


せめて今夜、電話をして事情だけでも言うべきなのかもしれないけど。

けれど、なんて…?


考えてどんよりと気持ちが重たくなった。どんな写真を持とうが、どんな容姿が好みだろうが、それは彼の自由だと。浮気をされた訳でもないし、付き合っているのは私自身なんだから堂々としていれば良いだけなんだと。そう思おうとしてるのに上手くいかない。

自分の納得のいく答えが何なのか分からない


「みょうじ先生」

「っ…は、はい!」


突然声を掛けられビクリと身体が震えた。パッと顔を上げるとそこには伊黒先生が立っていた。


「伊黒先生、どうかされましたか?」

「時間があるなら少し手伝いを頼みたい」

「は、はあ…?お手伝いですか?」


いいですよ、と言って立ち上がると伊黒先生は「化学準備室だ」と言って歩き出す。化学準備室は言ってしまえば伊黒先生専用の個室みたいなものだ。彼は職員室ではなく、準備室にいる事の方が多い。

伊黒先生に付いて行き化学準備室に入るとそこはキッチリ整頓されていた。個人用のデスクにパソコンと、それとは別に長テーブルとパイプ椅子が置かれている。

隣の部屋には化学の授業で使う教材を置いた物置部屋が隣接されており、扉が少し半開きになっているようだった。


「何をしたら良いでしょうか?」

「これだ」


バサッと渡されたプリントを見るとそれはスクールフォトの注文用紙だった。それもすごい量だ。


「今回の注文の集計を取っているのは俺だが枚数が多すぎる」

「本当ですね…あの、すぐ手伝います」

「悪いな」


ぽつりとそう呟いて伊黒先生はパソコンデスクに腰をかけ、私はパイプ椅子に腰掛けた。

伊黒先生は集計した注文番号のダブルチェックと入力を。私はと言えば枚数のある注文用紙を整理し集計を始めた。


「これを一人でやられていたんですか?」

「当番だからな」

「もっと早く声を掛けてくださって良かったのに」


注文用紙を整え、番号の集計を始めた。

昔から変わらない注文スタイルだけど、このアナログ過ぎる注文方法が依頼している写真屋さんのやり方だから仕方ない。

それにしても。本来なら自分が映っている写真に対し一枚の注文なはずなのに、教師の写真を注文する生徒が多いせいか枚数の偏りがすごい。とある生徒の注文用紙は各写真を三枚ずつ購入している物まであった。

相変わらずこの学校のスクールフォトの売り上げはすごいな、と苦笑い。


「…、あ、」

「…どうした?」

「あっ、いえ!何も!」


慌てて誤魔化すと伊黒先生は「そうか」と言って再びパソコンに向き合う。私はほっと安堵するとまた注文用紙を見つめた。

59番

注文用紙には例の番号が書かれていた。カナエの写真だ、と気付くと同時にまた胸がチクリと痛くなった。彼も、杏寿郎さんも注文していたものだ。よくよく見てみたら色々な注文用紙に59番が書かれている。私がざっと目を通しただけでも59番の注文が圧倒的に多い。


「伊黒先生、変なことを聞いても良いですか?」

「…何だ?」

「一番注文枚数の多い写真ってあるのかな、なんて思いまして…」


そんな事を聞いたところでどうしようもないのに。

私の言葉に伊黒先生は暫く沈黙した後カタカタとキーボードを打ちながら口を開いた。


「手伝ってもらってる礼だ、話しくらいなら聞いてやる」

「え、」


戸惑う私に伊黒先生はチラリと横目で私を見る。まるで私が話し出すのを待っているかのような視線だ。こんな事を他の人に言っても良いのか悩んだが、今の私は当事者ではない別視点の意見が聞きたかった。


「伊黒先生は、あの……自分の好きな人や、恋人が、自分じゃない異性の写真を持っていたらどうしますか…」

「何だそれは。芸能人や俳優の物という事か?」

「そういう写真も含めて、異性のものです」

「そうだな、面白おかしい気分にはならないだろうな。むしろ不快だ。」


ハッキリと言い切った伊黒先生に「そう、ですよね」と言って私は俯いた。

面白くない。それは私の気持ちに近い気がした。杏寿郎さんがどんな趣味趣向をしていようと自由だと思う。どんな容姿が好みだとしても。それが私じゃなかったとしても。

でも。


「今のは、お前の話しか、それとも杏寿郎の話しかどちらだ」

「っ…」

「杏寿郎の話しならそれは有り得んだろ。アレはそういう男ではない」


押し黙った私は唇を噛んだ。伊黒先生がそう言いたい気持ちは分かる。私だってそういう人だと思っていたから。


「あの男がお前以外の女に興味を示すとは思わないが」

「……っ、興味を、持ってたんです」

「…何?」

「杏寿郎さんは、…私じゃない、別の人の方が好みなんです」


カナエは可愛いし、美しい。魅力が溢れている女性だ。私も彼女の事がとても大好きだし、大切だと感じている。

だけど自分の恋人が、私以外の女性に興味を持つのは。気が惹かれてしまうのは、すごく寂しい。

趣味趣向は自由だと思って必死に自分を慰めようとしても上手くいかない。誤魔化しきれない。寂しさや胸の痛みが抑えきれない。


「私は全然綺麗とか可愛いとかそういう分類の人間じゃないですし、分かってるんです……でも、寂しくて、痛くて…どうしたら良いか分からないんです…っ」


いやだ、他に気を取られないで。余所見してしまわないで。心の奥深くにある濁った感情を言葉にすることも出来ず。

こんなところで泣いてしまったら伊黒先生に迷惑だ。グッと歯を食いしばり涙を堪えた。そんな私を見て伊黒先生は「…なるほど」と一言漏らし溜息をつくと、ゆっくり口を開き、そしてハッキリとした声で言い放った。




「と、言う事だそうだ。杏寿郎」




ハタとした私は意味も分からず、突然彼の名前を呼んだ伊黒先生を見つめた。

すると隣接している物置き部屋からガタと物音が一つし、半開きになっていた扉がゆっくりと開いた。そこから出てきたのは杏寿郎さんだった。彼の姿を見たその瞬間私は大きく目を見開きガタンと音を立ててパイプ椅子から立ち上がった。


「な、何で…!」

「小芭内すまなかったな突然こんな事を頼んでしまって」

「構わん。昔馴染みのよしみだ。俺はもう帰るがここの鍵はお前に任せるぞ」

「ああ」


驚く私を他所に、二人は言葉を交わす。

何でここに杏寿郎さんが。一体いつから。今の話しを全部聞いていた?うそ。胸の内を全部話してしまった。きっと彼は全部聞いていただろう。その為に伊黒先生は私を呼んだの?混乱した頭では何も考えがまとまらず、けれど心臓だけはバクバクと音を立てた。


「そうだ杏寿郎。これを先に渡しておく。先行して用意しておいた」


そう言って茶封筒を杏寿郎さんに渡し、荷物をまとめる伊黒先生。「後は俺が集計しておく」と言って私の持っていた注文用紙をアッサリ回収すると、彼はさっさと準備室を出て行ってしまった。

最初から仕組まれていて、私は騙されていたんだと気付くとサッと血の気が引いた。


「さて」


杏寿郎さんの呟きにビクッと身体を揺らす。ヒヤリと嫌な汗を身体に感じた。反射的に背を向け伊黒先生を追いかけるように私も部屋を出ようと扉に向かった、が。


「これ以上、俺が君を逃すと思うか」


扉に手を掛けようとした瞬間、腕を掴まれ強く後ろに引かれた。グイッと引かれて反動で後ろへと身体がよろけ、長テーブルに太ももが当たった。すぐに体勢を立て直そうとしたけれど私の身体の両サイドに手を付いた杏寿郎さんによって逃げ道を塞がれてしまった。

間近に迫った彼に私は思わず身体を退け反らせたが、杏寿郎さんは躊躇うことなく、まるでそのまま長テーブルに押し倒さん勢いで身体を寄せてきた。


「待っ、待って…!」

「待たん。君には聞きたい事も言いたい事も山ほどある」


彼の胸元に両手を添えてグッと押してみるが屈強な身体はビクともしない。詰め寄られ、いよいよ長テーブルの上に座らされてしまった私は正面に立つ杏寿郎さんを見つめる事も出来ず、居心地の悪さから顔を背けて俯く。

すると杏寿郎さんは私の空いた肩口に口元を寄せるとガリと音を立て強く噛んだ。


「いっ、た…!」

「話しをする時は相手の目を見た方が良いんじゃないかみょうじ先生」

「なっ!」


目が相変わらず怒っている。そして意地が悪い。

逃げ道を塞ぎ、困惑する私の姿を至近距離で見つめる杏寿郎さんが怒っているのは分かる。だけど私にだって言い分がある。


「だ、だって杏寿郎さんがっ」

「俺が何だ」

「写真を、買ってたから…!」

「59番の写真の事か?」

「っ…」


きゅっと言葉を噤む。何が悲しくてこんな風に詰められなきゃいけないのか。元はと言えば杏寿郎さんがカナエの写真だけ注文していた事がきっかけだったのに。悲しさや寂しさに混じって悔しさまで覚えてしまい、いよいよ泣きそうだった。「はあ」という彼の大きな溜息に今日ずっと耐えてきたものが溢れてしまいそうだ。


「…君は何か勘違いしていないか?」

「してません!だって、ちゃんと見たもの!」

「59番だろう」

「っ、だから!それはカナエの写真で!」


そう言った私に杏寿郎さんは「君は、」と再び大きな溜息を吐くと先程、伊黒先生から受け取ったばかりの茶封筒の中身を取り出す。そして中を確認してから私の目の前に見せるように突き付け彼は口を開いた。


「59番は君の、なまえの写真だ」


そう言って見せられた写真に映っていたのは、それは紛れもなく私だった。



59



意味が分からず瞬きを繰り返す。見せつけられた写真にはカナエも映っていた。だが彼女よりも中央にメインで映っていたのは私だった。


「あ、えっ…え…?」


呆けた私は杏寿郎さんの見せてくれた写真を両手で受け取りまじまじと見つめる。

これはこの前の自然学習の時、フラワーアレンジメントの体験学習をした時だ。華道部の顧問をしているカナエはこの体験学習に同行しておりにそんな彼女に私は付き添っていた。その時カナエがふざけて「髪飾りにしても可愛いわよ」と言って私の耳元に花を一輪挿してきたのだ。

あまりにもカナエが「似合うわ」とか「とっても可愛いわ」と言ってくれるものだから恥ずかしくて。


ギャップが良かった

あんな表情するんだなぁ…

純真無垢ってああいう事だわ



ぶわっと頬が熱くなる。

写真は髪に花を挿しカナエに向かって少し照れ臭そうな顔ではにかんだ私だった。確かに写真にはカナエも映っていてほぼ横顔だが表情も見える。私はカナエの髪飾りだけを見て彼女の写真であると判断してしまったのだ。

あの時、写真を確認しに行った時に顔を逸らさなければ、ちゃんと写真を見ていれば今回の事がここまで悪化する事もなかったのかもしれない、なんて今更になって後悔する。

言葉が見つからない。正直、状況も理解できていない。


「さて」


彼がもう一度呟いた。恐る恐る杏寿郎さんを見ると、今度はにっこりと笑顔を浮かべていた。


「あ、あの、私…」

「聞いた所によると今回一番の売り上げはこの写真だそうだ」

「え、……えっ!?」

「君が嫉妬をしてくれた事に関しては可愛く思うが、何も聞かず俺が他の女性に興味惹かれたと思われた事に関しては許し難い」

「そ、それは、あの、…ご、ごめんなさい本当に…あの…!」


どうしよう、どうしよう。勘違いしていたとはいえ、私が悪い。ちゃんと確認もせず彼を避け続けてしまった私が一番悪い。胸に込み上げる罪悪感から「ごめんなさい…っ」ともう一度呟いた。


「悪いと思うのなら…今日一日。散々避けられた分も含めて、今返してもらおう」


いま?

え?と見上げると杏寿郎さんは私を見て笑みを浮かべ「それから」と言い耳元に唇を寄せて続きを囁いた。


「俺は君よりずっと嫉妬深い」




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余談
学園内にみょうじ先生派は存在します。
カナエ先生や他の先生方と比べたら少数ですが。
ちなみにカナエ先生は煉獄先生に負けず劣らずみょうじ先生派です。

実は、これにて終わりなんですが、ちょっと続く。

2021.09.24



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