二人で出掛けるとまるで時間が溶けていくように無くなってしまい、気づくとそれぞれの家に帰る時間になってしまう。今日も例の如く時間があっという間に過ぎ、杏寿郎はいつものようになまえを彼女の自宅まで送り届けている途中だった。


「そういえば今日見た映画なんですけど来年の春に続編がやるらしいですよ」

「それは気になるな!また見に行くか」

「はいっ」


帰り道の定番の会話は今日過ごした時間の振り返り。あれが美味しかった、これを買ってよかった、など。お互いに今日のデートを思い返し、そして次はどうしようかと計画を立てる。


「君がこの前気になると言っていたカフェは何処にあっただろうか?」

「紅茶が美味しいお店ですよね!それなら隣の駅ですよ」

「次はそこに行くか!」

「いいんですか?」

「ああ、なまえが行きたい場所なら俺も興味があるからな」

「今の季節ならお芋のケーキがあると思いますよ」

「むっ!」


杏寿郎の反応になまえが「ふふ」と笑みを溢す。楽し気に笑う彼女の顔を見て、今度は彼がつられるように微笑む。二人でいると笑顔が連鎖し、溢れんばかりの幸福感に包まれる。この時間が少しでも長く続けと思うのだが、そんな幸福も見えてきたなまえのアパートのせいであっさりと終わりを迎えてしまうのだ。

杏寿郎はいつもアパートの前までではなく、なまえの部屋の扉の前まで見送る。ギリギリまで彼女と一緒にいる為だ。


「疲れただろう、今日は早く休むといい」

「今日が楽しすぎて眠れそうにないです」

「君は困った子だな」


眉を下げて微笑むとなまえも同じように微笑んで見せる。不意に彼女に触れたくなった。髪に、頬に。けれど伸ばそうとした手を引っ込める。ここで触れてしまったら離れられなくなるからだ。

この時間が一番苦手だった。なまえを送り、そして離れる瞬間が堪らなく苦手だ。彼女が隣から居なくなると如何にもし難い虚無感と寂しさを感じるからだ。


「あまり夜更かしはしないように」

「杏寿郎さん先生みたいですね」

「俺は教師だからな」

「ふふ、確かにそうですね煉獄先生」

「…なまえにそう呼ばれるのは不思議な感覚だ」


扉の前まで来てなまえが自分のカバンから家の鍵を取り出す。ガチャンと音を立て扉を開ける様を見て、ああ今日が終わってしまうなと実感した。


「家に帰ったら俺から連絡する。眠かったら寝てしまっていてくれ」

「…」

「なまえ?」

「あ、はい」

「どうした?」

「いえ、あの…杏寿郎さんが帰るのを見てから家に入りますので、その…」


ちらりと杏寿郎を見上げたなまえの瞳に思わず言葉を失う。寂しさと恋しさ、その二つの色がなまえの瞳にはあったからだ。杏寿郎思わず自分の口元を手で覆い視線を逸らした。その目は卑怯だ。なまえのその目を見てしまうと、離れることが出来なくなる。


「……君は、俺を帰らせないつもりか?」


そんな事ないです、といつものように慌てて否定してくれ。そうすれば彼女の頭を撫でて、誤魔化すように笑って、家の中へ入るよう促すことが出来る。

杏寿郎の思いとは反対になまえはキュッと唇を一瞬だけ噛むと、意を決したかのように彼の服の裾を弱々しく掴んだ。


「はい、…離れたく、ないです」

「…っ」

「帰らないでくださいと言ったら、杏寿郎さんは…泊まっていってくれますか?」


君のそれはあまりにも卑怯だろう。最愛の彼女からの誘いを断るなど誰が出来るのか。


「杏寿郎さん…?」


頬を赤く色付けて不安気に自分を見上げる。そんな彼女の頬に手を添えてそっと顔を近付ける。「卑怯な子だな」などと呟いて彼女からの返答も待たず性急に口付けた。開いた扉の奥へと彼女の身体を押し、するりと自分も入り込む。

二人して玄関に倒れ込んだのと、背後でバタンと扉が閉まったのがほぼ同時。

互いに靴もまともに脱がぬまま、倒れた彼女の首元に顔を埋めて何度も口付ける。玄関では、こんな場所では駄目だと思いながら、奥に連れて行く時間も惜しい。


「声は出来れば抑えていてくれ」


その言葉になまえは驚いたように目を見開いて。「あの、奥に、」と部屋に入るよう促そうとする彼女の唇に再び自分のを重ねその言葉ごと奪うことにした。







「あれは君が悪い!完全に煽られた!」


風呂場に響いた高らかな声。なまえはぐったりと湯船に浸かりながら身体を杏寿郎へと預けた。玄関で一回。せめて身体を流したいと嘆く彼女を風呂に連れて行きお湯を張る間にシャワーを浴びつつ一回。くったりとした彼女をバスタオルで包みベッドに連れていくと更にもう一回。何がとは言わない。つまりは三回だったのだ。

流石に疲れ切った顔をしたなまえの頭を撫でると杏寿郎はそこに頬を寄せる。


「…つぎから、は…お泊まりのお誘いの仕方を考えます…」


ヘトヘトな様子でそう呟いたなまえの耳は既に真っ赤だ。愛いなと思いながら杏寿郎は口元に笑みを浮かべる。


「今日の誘い方はなまえの可愛くも卑怯な所が存分に出ていたな」

「わ、私、そんなつもりは…っ」


真っ赤な顔で振り返り、少し不服そうに頬を膨らませ杏寿郎をジトリと睨む。お湯で顔に張り付いた髪も、風呂の熱さかはたまた別の理由かで火照った顔も、そういう所が卑怯なんだ。


「もう一回だな」

「へ…?」


にこりと笑って告げられた言葉になまえは瞬きをした。キョトンとした彼女の頬を両手で挟むと軽く口付ける。唇を離し、鼻先を触れ合わせると杏寿郎は彼らしくない静かな声で囁いた。


「俺を送り狼にしたのは君自身だ」



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送り狼とかいう言葉すごく好き。

2021.11.25



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