私の旦那様はとても嫉妬深く独占欲が強い方なのです。

いきなり何を言っているんだと思われるかもしれませんが本当の事なのです。旦那様…杏寿郎様は結婚してからというものの私の交友関係を酷く心配していらっしゃいます。心配と言っても同性に対しては何一つ口は出さないのですが、問題は異性、つまりは男性です。

先日も屋敷へとやってきた隠の方と話しをしていたら間に入られてしまいました。それだけではなく奥方がいらっしゃる宇髄様と私がお話しをするのも良くは思っていないようで。あんなに美人な奥方達がいるのに杏寿郎様の嫉妬ときたらお構い無し。挙げ句の果てには、屋敷を訪れてくださった酒屋の若旦那に次の注文のお話しをしていたら突然背後から現れて私の身体を抱き上げ屋内へと強制連行。後日酒屋の若旦那にはお詫びをしに伺いましたが。

兎にも角にも異性に対しての目が厳しすぎるのです。

それだけ大事にされているというのは重々承知しておりますし、嫁という立場から言えば有難い事だとも思います。しかしながら限度があるのです。何でもかんでも、誰に対してもあのような対応をされてしまっては私はとても困るのです。

それだけではありません。問題はここからです。今までのお話しは今回の件の発端に過ぎません。

問題というのは杏寿郎様の隙の多さです。あの方は鬼殺隊の柱の座に就く方です。人柄もよく、私の事がなければ基本的には誰に対しても分け隔てなく接してくださる優しい方。更には美丈夫。人の目を奪う容姿と振る舞いがございます。

先日、炎の呼吸の稽古を見学させて頂いたのですが、その所作に惚れ惚れとしてしまいました。…それは、まあ少し横に置いておきましょう。

つまり、杏寿郎様に想いを寄せる女性隊士が多いのです。恐ろしい人数です。隊士だけでなく隠の中にもいるくらいなのですから。私はずっと気付いておりましたし、それなりに心配だってしております。信頼していないのではなく、あくまで心配です。

女性の私が言うのもあれですが、女性というのは時に狡く、自分が欲しいものは必ず手に入れる狡猾な面がございます。杏寿郎様がその狡さに脅かされる事はないかと心配していたと言うのに。

あの方は私に「君は心配し過ぎだ」と言い放ったのです。

どの口が言いますか?私の時は隠の方も宇髄様も酒屋の若旦那も、誤解をしていらっしゃる、相手にも私にもそういうつもりはないと何度も言いましたのに聞く耳を持たず。「君は疎い!」等と言ったくせに。自分の時は「心配し過ぎ」と。全くもって納得がいきません。

それに今回私がこのように不満を爆発させる原因になったのも杏寿郎様の行動のせいです。

年末の寒い季節。年の瀬だけれどきっと旦那様は任務で忙しく一人で過ごす事になるだろうと思っていた私ですが、恐れ多くもあの御館様が「杏寿郎は奥方と過ごす時間を大切にすべきだよ」と杏寿郎様にお休みを与えてくださったのです。それなのに、せっかく時間をくださいましたのに。


「すまない、なまえ。彼女達に頼まれてしまってな!」

「…」


杏寿郎様の後ろにいる女性隊士達を前に私は目眩を覚えました。聞けばお願いされたからという理由で今から稽古をつけるのだと。そんな事を言い出したのです。

私は馬鹿ではありませんし、意地の悪い女でも無いと思います。ですが女性隊士達の顔を見れば彼女達の真意が見えてしまったのです。彼女達は強くなりたいと心から稽古を望んだのではなく、杏寿郎様と共に過ごす時間の為、そして妻である私との時間を削る為を目的としてやってきたのです。

杏寿郎様は男女問わず慕われていらっしゃる方ですが、女性隊士達から恋慕の情を向けられている事を私は知っております。そしてその彼女達が鬼殺隊でもなんでも無い一般人の私が妻になった事を快く思っていないのも存じております。


「杏寿郎様、少しよろしいですか」


女性隊士達を庭に待たせ、杏寿郎様を呼び出し流石に今回の事は控えて欲しいとお願いをしようとしたのです。

ですが。


「相変わらず君は心配性だな!彼女達はただ稽古を希望しているだけだ!何もない!安心して良いぞ!」


はあ、なるほど。

その彼女達は、先程目眩を覚えた私を見て、困惑した私の顔を見て、それはそれは楽し気にクスクスと笑っていらっしゃいましたが。そうですか。何もないですか。

何より、せっかく御館様が与えてくださった休暇を私ではなく彼女達に充てると仰ると。そうですか。

柱としてはご立派です。僅かな時間も後輩の育成へ。それは尊ぶべき精神です。ですが私はここ最近、旦那様からの嫉妬や独占欲、私に対する信頼の無さ、何より杏寿郎様自身の隙の多さに我慢が出来ないほど心に余裕がなくなっていたのです。


「…左様で」

「なまえ?」


きょとんと不思議そうな顔をした杏寿郎様の襟元にそっと触れ、力を入れてグッと引き寄せると面白いほどカクンと身体が傾きました。私はと言うと爪先立ちをし距離を縮めるとその唇に少々乱暴に自分の唇を押し当てさせて頂きました。

それも僅か一瞬。酷く驚いた顔をする杏寿郎様を見上げ、にっこりと心からの渾身の笑みを浮かべると言って差し上げたのです。







「貴方様を大嫌いになる前に距離を置かせてくださいと言い、彼からの返答は待たず背を向けると手早く荷物を簡単にまとめ、屋敷を出た次第にございます。そうして今に至るのです」

「……分かった事の顛末は分かったが、その言い分でいうなら自分の実家に帰るだろう」


実家に帰ると言った嫁が、夫の実家に帰るなど聞いた事がない。


「杏寿郎様と夫婦の関係にあるのですから煉獄の家も実家であると認識しております」

「言い分は間違っていない、いやそうだが…いや…」

「お義父様?」


目元を手で覆い大きな溜息を吐くと、槇寿郎様は「馬鹿息子が…」と小声で呟き顔を伏せてしまった。荷物をまとめて訪れたなまえの姿を見て千寿郎が大層驚いたのは先刻のこと。槇寿郎の部屋を訪れ今回の来訪について事の顛末を最初から事細かく説明をした所、流石の槇寿郎も言葉を失ってしまった。


「あれが相当な馬鹿だった事は詫びるが帰ってやれ。杏寿郎もお前を心配している」

「いいえ帰りません」

「なっ、」

「杏寿郎様が悪いのです。帰りません」


こういう発言をする時の女がどれ程腹を括っているのか槇寿郎は察してしまった。なまえは、杏寿郎の嫁は今回の一件を本気で怒っているのだと。

どうしたものかと眉間に皺を寄せた時なまえはピクリと顔を上げると、即座に立ち上がり槇寿郎の部屋の襖に手を掛けた。


「私はいないと言ってくださいませ」

「は?」


呆気に取られた槇寿郎を放置してなまえは襖を開けると、下の段の空いていた場所に腰を下ろし、それからピシリと戸を閉めてしまった。一体何をしているのか問いかけようとしたが玄関から響いた「父上!千寿郎!なまえはここに来ておりますか!!!」という息子の大きな声に全てを察した。

隠れる場所なら他にもあるだろうが。

どうにも息子夫婦の喧嘩に振り回されている気がしてならない。


「父上!!ご無沙汰しております!お身体に変わりはございませんか!なまえは何処ですか!」


挨拶しに来たのか、心配しに来たのか、妻を探しに来たのかどれかにしろ。堂々たる様子で現れた息子にまたしても溜息をつく。兄と一緒についてきた千寿郎はあわあわとしており少々可哀想に思えた。


「……知らん、」


言うなと言われたのだから一応守ろうとしてみたが、槇寿郎の返答のすぐ後、押入れの襖へと目を向けた杏寿郎。「父上!失礼!」と言って部屋に入り込むと押入れの前に立ち戸に手を掛けた。

だが次の瞬間。


「いま開けたら離縁して頂きます」


というピシャリと言い放ったなまえの言葉に杏寿郎はグッと身体を強張らせた。


「なまえ!話しをしよう!頼む!」

「お断り致します。私は怒っているのです」

「それは重々承知している!俺が悪かった!すまない!」

「何が悪いのか分かっていらっしゃらない方に謝罪されても響きません」


ことごとく突っぱねるなまえの声音。

こう言うのも難だが、杏寿郎のなまえに対する愛情は恐ろしく深い。本当に引くほど深いのだ。たが深いからこそ愛する妻に家を出られ、更には拒絶され、怒らせたこの状況に凄まじく焦っているのが横顔見るだけで分かった。


「父上、止めないのですか…!」


幼い弟が犬も喰わない夫婦の喧嘩を前にして狼狽えている。

槇寿郎は思わず目元を抑え俯いた。
呆れた訳ではない。この状況に見覚えがあり過ぎたせいで見ていられなくなったのだ。


槇寿郎様が理解してくださらないのならば結構です


杏寿郎と全く同じことを自分もしでかし、瑠火を怒らせた事がある。


「血か……」


容姿だけじゃなくこんな所まで似るのか。はあ、と大きく溜息を吐く。自分の体験上、なまえの怒りはしばらく納まらないだろうと察し「千寿郎、茶を淹れてくれ」と呟くのだった。



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煉獄の男というか父と兄は想いを寄せられることに酷く鈍感そうだけど弟くんは察する能力が高そう。
父も母を怒らせてたらいいな、という妄想。

女性隊士達の妻に対する嫌がらせは炎柱のあまりの慌てっぷりと落ち込みっぷりを見て止んだそうです。(申し訳なさから)

2021.12.31



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