付き合う前から感じていたのだけど彼はとても真面目で律儀な人で。真っ直ぐな人柄は頼もしく紳士的とも感じる。

逆に言ってしまうと、とても、とても堅い。

恋人になってから一ヶ月でようやく手を繋ぐことが出来た。そして半年経った今も触れ合いは手を繋ぐだけ。キスはまだ。それより先なんて夢のまた夢だ。

親しい友人にこの事を相談したら「この時代にそんなのはありえない!なまえは男性と付き合うのが初めてだから気を遣ってくれてるのね」と笑われてしまった。

確かに私は恋人が出来るのは初めてだけれど、手を繋ぐだけの恋人関係なんてまるで中学生のようで。

さてそんな彼に「今週末は私のお家でデートしませんか」と一世一代にも等しいお誘いをしたのが月曜日のこと。ようやくやってきた週末に胸を躍らせて部屋を片付け、美味しいお茶とお菓子を用意した。いつも私にあまり触れない彼だけど、お家に誘うことが出来れば、きっと触れてくれるはず。きっと。

そんな風に思っていた。


「…」


ソファに腰掛けた私と床に座った彼の距離はおよそ1.5メートル程。少し前に話題だったアクション映画を見ているが、てっきり隣に並んで見るのもだと思っていた。しかしそんな想像は虚しく。私が彼の傍にいこうと床に座ろうものなら杏寿郎さんがソファへ。私もソファへ座れば彼は床へ。この繰り返しなのだ。

もはや追いかけっこだ。


「なるほど!彼が黒幕か!」


映画を見る杏寿郎さんはとっても楽しそうだ。それはすごく嬉しいけれど私はどうにも気持ちが上がらない。「意外でしたね」なんて返しながら、上手く笑えている自信がない。初めて誰かと付き合った私には分からないことが沢山ある。これが普通なのかもしれない。みんなこうして過ごしてるのかもしれない。

でも、だけど。こんなの、こんなのまるで避けられているみたいで。どうしようも無く寂しかった。


「終わってしまったな、次は君の見たい映画を、…」


彼の言いかけた言葉が途切れる。それもそうだろう。爽快なアクション映画でラストも活気と笑いに溢れた内容だったのに、それを見てこんなにボロボロ泣く女、私以外にきっといない。


「なまえ、どうした」

「…っ…す、すみません、顔を洗ってくるので……好きな映画を、」

「なまえ」


ソファから立ち上がり、そそくさと洗面台に向かおうとする私の手首を杏寿郎さんが掴んで引き止めた。私の名前を強い声で呼び、眉を寄せ、心配気に私を見る。手首を掴む彼の手を見ていたらどうにも悲しくなって、ぼろぼろと涙が溢れてしまった。


「もうっ、良いですよ…別れても」


私の出した結論はこれだった。

きっと嫌なんだ、彼は私が。付き合ったけれどきっと私の何かが彼には当てはまらなかった。だから触れてくれない、距離を置かれてしまう。逃げられる。それならばもう無理をしなくていい。


「嫌なら、嫌でいいですっ……近付いたら逃げられるなんて、そんなの、一緒にいても寂しいだけですし、それなら、もう…っ」


言いたいことが溢れて内容がめちゃくちゃだ。泣きながらこんな事を言う女なんて、きっと面倒くさいと思われている。べそべそと止まらない涙をもう片方の手で必死に拭い、スンと鼻を啜ると杏寿郎さんが口を開いた。


「…すまない」


ほら、やっぱり謝られてしまった。まさか初めてのお家デートで別れ話に突入だなんて。しかも私の家。はじめての恋人との思い出と言うにはあまりにも苦々しいものに、


「婚前交渉などしたら、君を傷つけるだろう」


…なんて?


「は、…え?」


ヒュッと引っ込んだ涙。ぱちくりと瞬きをして彼を見るとその顔は真剣そのもので私は余計に訳が分からなくなった。


「こ、婚前…?」

「それに俺は問題は無いが、君は駄目だと言われていただろ」

「あの、え、誰に…?」

「君の親御さんだ。前の事だが電話をしていた時の声が漏れていた」


杏寿郎さんの言葉に鼻をスンスンと数回啜ると、私は記憶を辿った。そういえば一度だけ杏寿郎さんの前でお母さんと電話した事があった。たまたまデートをしているときに掛かってきて、無視も出来なくて、杏寿郎さんも「出てあげた方がいい」と言うから出たのだけど。


もー!やっと初めての恋人が出来てお母さん安心したわー!どんな人なのか今度じっくり聞かせてちょうだい。あなたは昔からずっと一人で大丈夫かなって心配していたのよー!

おっ、お父さんはまだ認めてないからな!いいか!へっ、変な事をするんじゃないぞ!結婚するまでそういうのは、

もう!なまえも良い歳なんだからお父さんがとやかく言うことじゃないでしょう!


言ったーー!!
えっ、でも待って、あれは、電話に出てたお母さんじゃなく近くにいたお父さんの声で、私ですら聞き取れたか怪しいくらいの声量だったのに。

あれを電話に出ていなかった杏寿郎さんが、聞き取ったの!?


「でも、だって…!き、キスは婚前交渉の内にはっ」

「そんな事をして俺が耐えられると思うか」

「だったら、隣に座るのは…!」

「君は男の単純な本能を舐めている」


今日部屋に誘われた時も断るべきかギリギリまで悩んだんだ。結論としては本能に負けて来てしまったが!

そう言い放った彼に私は先程まで泣きじゃくって別れ話をしていた事も忘れてしまう。ちゃんと好かれていた。ちゃんと想われていた。それだけで十分嬉しい事だというのに。

今まで我慢していたせいか、それだけ貪欲になる。


「…結婚するなら婚前交渉も何も関係ないですよね?」

「なまえ、それとこれとは」

「杏寿郎さんは、私と結婚する気が無いから手を出さないって事ですか?」

「意地が悪いな…君は」


こんなのほとんど逆プロポーズだ。まるで子供のような屁理屈を述べて駄々をこねる私に、杏寿郎さんは驚いて。それから「はあ、まったく」と大きな溜息をついた。


「逆だ。大事にしたいから今まで手を出さず耐えているんだ」

「でも、お父さんの言った事なんて気にしてほしく無いです」

「確かに、親御さんの気持ちを優先するあまりなまえの気持ちを無視していたのは確かだな」


すまない、と謝る杏寿郎さんを見つめ、私は意を決すると口を開く。


「私は良いんですよ……だめ、ですか?」


ぐっと言葉を詰まらせた彼を見つめる。


「その目は駄目だろう」

「…だって、」

「終わった後で、やっぱり無しと言うのは聞かないからな」


杏寿郎さんの言葉に私はパッと表情を明るくさせた。


「それから、別れてもいいというあの言葉は訂正してくれ」


そう言うと掴んだ手首をグイと引き、初めてキスをしてくれた。訂正はピロートークになりそうだ。






−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
スキンシップしてくれなかった彼がスキンシップするようになったら凄いことになりそう。

2022.01.20



戻るTOP