「杏寿郎さんって、私の血を飲みたいとか…そういう衝動あります…?」

「……いや、そういった、性癖は…無いが」


唐突に恋人が言った事に目を大きく見開いた。

ソファで隣に腰掛けて「そ、そうですよねえ」と苦笑いするとなまえはまた手元のスマホに視線を落とす。一体何故そんな事を言い出したのか。気になってしまいそわそわとした面持ちでなまえを見る。彼女がそんな風に思うようなキッカケを作った覚えはない。


「なまえ」

「はい?」

「いや、その、俺は君にそんな風に思わせてしまう事をしたのだろうか…」

「あっ、いえ…!」


もごもごと言葉を濁して、それから少しだけ頬を赤らめるとなまえは恥ずかしげにチラリと杏寿郎の顔を見返した。


「最近読み始めた漫画が、吸血鬼が題材で…」

「君が熱中しているやつか」

「はい、それで、その…」

「む?」

「あの…杏寿郎さん、……えっち、するとき、よく私の首…噛む、ので…」


蚊の鳴くような小さな小さな声でそう言うと手に持っていたスマホで顔を隠し、縮こまるように身体を丸める。杏寿郎はと言うとなまえの言葉に呆気に取られ、炎色の瞳をぱちりと瞬きさせた。

いや確かに。彼女の言う事に関しては身に覚えがあった。いや、あり過ぎた。


「血とか!そ、そんな事あるわけないのに、変ですよね…!漫画に感化されちゃって…!」


「はー!恥ずかしい!」と呟くなまえ。
いつも彼女を抱いているとき白い首筋が目に入るとどうにも歯を立ててしまった。正面からでも後ろからでも、目に入ると噛みたくなる。しかし本当に歯を立てて跡でも残してしまったら彼女の生活に支障をきたす。だからいつも傷は残さない程度に甘噛みで耐えていた。


「杏寿郎さん…?」

「あ、ああ!いや…確かにそうだなと思ってしまった!」


思い出したかのようになまえの首元をチラッと見ると、また噛みたい衝動に駆られる。


「血が欲しいと言うことは無いが、言われてみるといつも噛んでいるな!すまない!」

「い、いえ!嫌とかじゃないんです!ただどうしてかなあと気になってしまって」

「む…単純に噛みたいのだが…そうだな敢えて言うなら」


なまえをジッと見る。不思議そうな面持ちで自分を見る彼女はすこぶる愛らしい。性行為をしている時いつも甘えた声で杏寿郎の名を呼ぶなまえ。その声を聞くと、顔を見ると駄目になってしまうのだ。

そうだ。この噛む行為に敢えて名前を付けるならば、独占欲。それ以外の何者でもない。


「敢えて言うなら、何でしょう?」

「……いや、何でもない」

「ええ…!言いかけられると気になります!」

「ははは!それは人として素直な心理描写だ!」


適当に誤魔化すと「もう!杏寿郎さん!」と膨れる彼女の頬を軽くつつく。それでも不満気な顔をするなまえに笑みを溢すと杏寿郎は身体を起こした。そのままソファの背もたれに片腕を乗せグッと距離を縮めると戸惑う彼女を他所に唇にキスを落とした。


「んっ…」


鼻から漏れるなまえの声を聞きながら触れるだけのキスを角度を変えて数回すると先程まで膨れた顔をしていた彼女が押し黙ってしまう。唇を離すと顔を赤くして「もう…っ」と照れたように呟く姿が可愛らしく見えた。


「赤いな」

「それは杏寿郎さんが…っ」

「顔もだが、首の話しだ」

「え?……ひゃっ」


するっと手を滑らせて首筋をなぞる。反射的に身体を硬くしたなまえにふっと口元を和らげると杏寿郎は身体を屈めて首元へと顔を埋める。今度は手のひらではなく鼻先ですりすりと首元を撫でた。


「あ、あっ、あの!」

「うん?」

「えっと、その…!」

「どうした?」


聞き返しながら唇を薄く開くと、はむ、と首を食んだ。歯は立てないように、唇だけで繰り返し食む。なまえの手が杏寿郎の肩に乗り「んんっ」と喘ぐような声を漏らした。


「……噛んでもいいだろうか?」

「な、今になって聞かないでください…っ」

「ははっ、それもそうだな。いやしかし君が本当は噛まれるのが嫌だったらと心配になってな」

「…!」

「どうだ?嫌か?」


言葉を交わしつつ、杏寿郎は背もたれに乗せた腕とは反対のもう片方の腕をなまえの腰に回すと優しく引き寄せる。縮こまった彼女はすっぽりと自分の腕の中に収まってしまう。

赤く染まった首筋に口付けをして返答を待っていたら肩に乗っていた彼女の手にギュッと力が入った。


「い、…いや、ではないです…っ」

「というと?」

「ッ……す、すき……きゃっ!?」


聞くや否や首筋に歯を立てるといつもしているよりも強く噛む。鬱血するかしないか、ギリギリの所まで力を込めつつ舌で肌を舐めるとなまえの背筋がピンとしたのが分かった。


「あっ、…杏寿ろう、さんっ」

「…もう少し、」

「んっ!」


そう言ってしばらく首筋にカリカリと歯を立てたあと満足したのかぺろと軽く舐めてから、ようやく杏寿郎は顔を上げた。少し息の上がったなまえの目尻に口付けると自分の胸元に乗せるように身体を引き寄せた。


「俺ばかり楽しんでしまったな」

「っ、そんな事…!」

「少し跡になったか、すまない」


力加減をしたつもりがなまえの首筋には薄らと自分の歯形がついていた。口では「痛く無いか?悪かった」などと言いつつ杏寿郎の顔は悪びれた様子もなく、それどころか少し楽し気にすら見えた。


「…杏寿郎さん楽しそう」

「よもや、気付かれたか」


先ほどまで自分が噛んでいた場所を指先で撫でる。どくどくと音を立てるのはなまえの頸動脈だ。

血を飲みたい、啜りたいというような性癖は持ち合わせていないが。


「なまえのならば飲める気がするな」


「君のなら一等甘いだろう」とそう繋げて言うとなまえは「なっ!」と驚いた顔をしてパッと身体を離した。


「だっ、駄目です!」

「ははは、大丈夫だ。ただの冗談、」

「サラサラにしておくので!今はまだ!」


なんと?

食い気味に杏寿郎の言葉を遮り焦った表情をするなまえは早口に「いえ、別に!ドロドロな訳では無いんですけど、あの一応…ッ」と口走っている。あっけらかんとした顔でなまえの言い分を聞いていた杏寿郎は「ぶっ、くっ」と吹き出すと自分の手で口元を覆った。


「君は本当に面白い事を言うな!」

「だって漫画でもサラサラの方がいいって!」

「なるほど!もう飲むのは決定事項か!」

「あっ…ぅ…いえ、!」


わっ、と両手で顔を覆って羞恥するなまえの頭を撫でると杏寿郎はそっと顔を寄せる。

ジッと正面から見つめて「なまえ」と名前を呼べば、彼女はチラリと杏寿郎を見返しおずおずと顔を覆っていた手のひらを外す。更に距離を縮めお互いの鼻先を擦り合わせると杏寿郎は微笑んで、なまえは恥ずかし気に少しだけ視線を落としてから。そしてもう一度お互いの目が合うとどちらからともなく唇を重ねた。


「さっきは俺ばかり楽しんでしまったからな。今度はお互い楽しめるようにしよう」


杏寿郎からの誘いになまえは少し眉を寄せ思案するような顔をした。


「あの、」

「うん?」

「首、を…その」

「大丈夫だ。跡も残してしまったしな。今日は噛まないように善処する」

「そうじゃなくて、…!」

「ん?」


「何だ?」と優しく問うとなまえは顔を赤らめさせてぽつりと呟いた。


「噛んで、ほしい…です」


恥ずかしそうに呟いた言葉に杏寿郎は僅かに目を見開いた後、すぐに口元に笑みを浮かべると


「君が望むならいくらでも応えよう」


と返答した。
噛んで欲しい等と求めたせいで、このあとリミッターの外れた杏寿郎に洒落にならないほど噛みつかれ、笑えないレベルの噛み跡を残される事をまだ知らないなまえは恥ずかしそうに控えめに微笑むのだった。








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サラサラの血しか飲まない吸血鬼の漫画って何じゃい。

噛みグセのある炎柱推したいですね。
周りに見せるために噛むってよりは(あ、噛みたい)みたいな(よし、噛もう)っていう衝動的な噛みつきをして欲しい。

2022.05.04



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