「困っているのが見て分からないのかしら?」
思った以上に冷たい声が出た自分に驚いた。それは私と同じく目の前にいた煉獄様と、煉獄様のそばにいた女も同じだったようで驚いた顔をして私を見た。内心、少し緊張している。けれどもう声を出してしまったのだから引き返すことは出来ないと私は腹を括ることにした。
「なまえさん、」
驚いた顔をする煉獄様に、にこりと笑みを返した。
煉獄様と初めてお会いした時、彼が鬼狩りの方というのは一目見て気付いた。それは私の家族が昔、一度だけ鬼狩りの方に助けて頂いた事があったから。煉獄様が助けてくれた訳ではないけれど、それ以来うちでは鬼狩り様がいらっしゃられたら心を尽くしておもてなしをしようと家訓が設けられた。それにしても初めて煉獄様が来店された時、鬼狩りの方と言うのはこんなにも甘味を食べるのかと驚いたのは秘密だ。
何度もうちに甘味を食べに来てくださる煉獄様とは歳も近かった私は店の者とお客様という関係から顔見知りへと関係が進み、彼は私を「なまえさん」と呼んでくださる。今ではまるで友人のように言葉を交わせるほどになった。相手は鬼狩りの方、我が家が尽くすべき相手という関係は変わらないが。
そんな友人でもあり尽くすべき煉獄様がどうして私と、もう一人の女に挟まれているのかというと。
「この一月もの間、一息ついている煉獄様の元を訪れては彼の意思や時間を無視して自分の要求ばかり」
「なっ!あなたには関係のないことです!」
確かに。関係ないことだと言われたらそれまでだ。彼女の言う「私を継ぐ子にしてください!」という要求が何のことなのか私にはさっぱりだ。けれどさっぱり分からない私でも煉獄様がその都度「君には炎の呼吸は合わない!他の呼吸を極めた方がいい!」と断っている事だけは分かった。
それでも諦めない彼女は煉獄様の元へ訪れては同じような事を言い、挙げ句の果てには「私と一緒に過ごせば私のことが分かるはずです!私はあなたに相応しいです!」等と言ってのけた。継ぐ子というものが何なのかは分からないが、彼女が要望しているのは煉獄様との個人的なお付き合いだという事だけは分かった。これはただ恋慕から言い寄ってるだけだと判断した。
「めげないと言うべきか。それともしつこいと言うべきでしょうか?」
にっこり微笑むと女が眉を釣り上げるのが分かった。
煉獄様は表情を揺らすことはほとんどなく、常に快活な笑みを見せていたのだけど彼女が個人的な願望を口にし始めたあたりから、お顔を強張らせる事が多くなってしまった。
煉獄様は鬼狩り。言い寄っている女もまた鬼狩り。私としてはどちらも尽くさなければいけない相手ではあるが。煉獄様はこの店の太客。人柄も話し方もいつも丁寧で我が家が尽くそうとしてもそれ相応の対価を支払ってしまうような方。それに対してこの女は喚くだけ喚いて何も注文せず、煉獄様を困らせている。
私がもてなすべきはどちらか、判断をしたからこそ動いたのだ。
「私と炎柱様の会話に鬼狩りでもない他人のあなたが入ってこないでよ!」
「あらあら、ふふ、怖いお顔」
「なんですって…っ」
チラリと煉獄様を見る。どう立ち回るべきなのか困惑しているのが見てとれた。それもそうだ。煉獄様には何も非がない。相手の女性とも勿論私とも色恋があった訳でもない。それなのに女二人に挟まれてしまって少々申し訳なく思った。そして私がこれからやる事に対してもっと彼に申し訳なさを覚える。
私はにっこりと表情を崩さないまま「確かに私は鬼狩りではありませんねえ」と勿体ぶるように呟いたあと、煉獄様の腕にスルリと自分の腕を絡ませるとぴたりと身を寄せて寄り添った。
「でもね、他人ではございませんの」
「ちょっと!炎柱様に何を!」
「あら?見てわかりません?男女がこれだけ寄り添っているのに関係をわざわざ口にしないと伝わりません?びっくり」
びっくり、とわざとらしく目を見開いてみせて、これでもかと煽る。
昔から家族や親しい友人達から「なまえは口が達者」と言われて育った。困ったお客様でもそう時間をかけず追い返す事が出来るのは私の特技だ。
煉獄様には関係を嘘ついた事を後で詫びて、お茶とお団子を三十本ほどご馳走しなくては。きゅっと彼の腕を抱き締めて「ね?杏寿郎様」と彼の名前を呼び見上げる。そして目が合ったのは炎のような瞳だったのだけど、その瞳が妙に熱に浮かされた色をしていることに気付いた。私を見下ろす彼の瞳がジワリと熱い。
あら。と思わず驚いてしまいそうになったがバレてしまう訳にいかない。にっこり微笑んでから再び女と向き合う。
「申し訳ないですけど“継ぐ子”という言葉を口実に言い寄ってるようにしか見えなくて」
「別にそんなんじゃないわ!私はただ炎柱様に私が、わたしが」
「相応しくないの。分かって?杏寿郎様の隣は私がいるの。ねえお願い、私の大切な人を困らせないで?」
大切な人、というのは嘘じゃない。困らせないでというのも嘘じゃない。煉獄様はここで甘味を食べる時間が好きだと仰ってくれた。「この店は気持ちを穏やかにできる」と言ってくださった。そんな方の時間をこれ以上奪わないでほしい。これ以上困らせないで。
「さあさあ、分かっていただいたのならお帰りください」
「っ!」
「お代は結構ですよ。…あっいけない。何も召し上がってませんでしたね」
そう言うと鬼狩りの女は顔を真っ赤にし乱暴に店の引き戸を開けると、これまた乱暴にバァンと音を立てて閉め立ち去った。我が家はこれでも老舗だというのに。歪んだらどうしてくれるのか。
数秒後、煉獄様の腕を解放すると私はすぐさま深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。弁えず差し出た真似を致しました」
「待ってくれ!君は頭を下げないでくれ!」
腰から身体を折り曲げてお辞儀をし、頭を下げた私に煉獄様は慌てた様子で私の両肩を掴むと頭を上げさせた。
「謝るのは俺の方だ!俺が彼女への対応を迷ったからこんな事になってしまった!」
「いいえ、煉獄様は間違えたことはしていません。いつもしっかりと理由を添えて断っていらっしゃったではありませんか」
「だが、」
「あれをつけ上がらせたのは煉獄様ではなく、あの女自身です」
そう言い切るとにっこりと笑んだ。気にしないでほしい、自分のせいだと思わないでほしい。そんな思いを込めた。
幸い店の中には私達しかいなかったのでこの騒動を知る者はいない。煉獄様が恥じることは何一つ無いのだ。
「何か召し上がっていってください。お時間が許すならですが」
「しかし、」
「お茶と、あとお団子をご用意しますね」
さあさあ座ってくださいませ、と促す。
煉獄様が「大丈夫か?」と問いかけてくる。何がでしょう?と返せば「彼女も鬼狩りだ。この家は、」と言って言葉を濁した。ああこの家の家訓をご存知だからこそ、彼は心配してくださっているのだ。
「これもまた、おもてなしです」
「もてなし?」
「はい。あの女性、この先あのままではきっと大変だと思いますので、このお店での出来事で自身の言動を見直していただくきっかけにして頂ければと」
「懲らしめるおもてなしという事か?」
「そういう事になってしまいますね。私としたことが心を尽くしてしまいました」
おどけてそう言うと煉獄様は数秒後「ははっ」と吹き出して笑った。
「はははっ、なまえさんは強い人だな!」
「まあ。煉獄様と比べたら凄くか弱いですよ私」
ここの所あの女が煉獄様を困らせてばかりだったからぎこちない笑顔しか見せてくれなかったけれど。やはり彼には晴天のような笑顔がよく似合うと実感し微笑んだ。
「煉獄様をご不快にさせてなくてよかった」
「む?」
「腕に触れてしまった時酷く驚いた顔をしていらっしゃいましたので」
「それは、」
「さてお時間が勿体無いので準備いたしますね」
煉獄様の時間は有限だ。「少し待っていてくださいね」と言って厨房へ引っ込むと作り置きしてあった団子を皿に盛ろうと手を動かす。
「なまえさん」
「はい」
厨房を覗き込むように顔を見せた煉獄様と一瞬目を合わせ手元のお皿に団子を盛りながら返事をした。
「君が俺を助けてくれたのは何故だろうか」
「…、」
ふと手が止まる。助けた理由なんてそんなもの。煉獄様が困っていたから、それしかないのだけど。
「煉獄様が困っていらっしゃったからですよ」
助けるだけなら、もっと言い回しがあった。恋人のフリなんてせずとも私の口なら、あんな女に遅れをとる事なく追い返せたはず。気付いていながらも私は何でもないことのように微笑むとそれ以上何も言わず、手元に集中することにした。だから私は煉獄様の目元がまた先程のように赤みを帯びていたことも、困ったように微笑んだその顔も、何も見ていなかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ちょっと続く。
2023.04.02