「そうか…」
錆兎の話しに鱗滝左近次は深く頷いた。
下げた頭を上げるように促すと錆兎がゆっくりと顔をあげる。精悍な顔立ちの男になったと思う。育手という贔屓目を抜きにしても錆兎という男は誰に話しても恥ずかしくない成長を見せた。
「もう話しはしたのか?」
「いえ、これからです」
「そうか。なまえなら裏山で山菜を集めている」
「行きなさい」という鱗滝の言葉に錆兎は今一度頭を深く下げるとそばに置いておいた日輪刀を手に取り立ち上がった。
家屋を出て一つ緊張が解けたのか深く息を吐き出す。手に持っていた日輪刀を腰に挿しなおすと、錆兎は足を裏山に向けた。
これまでも幾度となく足を運んでいた場所だが、柱となってからは一度しか来ていなかった。水柱になったという報告をしたあの日以来の狭霧山に錆兎は懐かしさを覚えていた。
昔は義勇とよく駆け回った。なまえは隊士を目指していなかったから錆兎や義勇に追いつく事が出来ず。そんななまえを二人で迎えに行っては、手を引いて歩いた。
「…、」
顔を上げて錆兎は微笑む。
視線の先にはまだ自分の存在に気付かぬまま、籠を傍に置き一生懸命山菜に手を伸ばすなまえの背中があった。
「今日の収穫はどうだ?」
「、?……あ、錆兎」
振り返って微笑んだなまえ。「久しぶりだね」と言う彼女に錆兎は歩み寄った。
「どうしたの?ここに来るなんて珍しいね。鱗滝さんには会った?」
「ああ、さっき挨拶して来た所だ」
「そっか。柱になってから全然来なかったもんね」
「まあ、そうだな」
「忙しいから仕方ないか」
笑ってまた山菜に手を伸ばしたなまえの隣に錆兎もしゃがみ込んだ。
言わなければ、話さなければ。今日はその話しをしたくて此処に来たのだから。何と切り出すべきか考え眉間に皺を寄せる。少しだけ心臓が忙しなかった。
「錆兎?」
「あ、ああ」
「黙り込んでどうしたの?」
「いや何でも…」
「そう?ねえねえ見て、アケビとキクイモをさっき見つけたの」
カゴを見せて「すごいでしょ」と誇らしげに笑うなまえ。昔と寸分変わらない笑顔を見ているとまるで昔に戻ったかのような感覚に陥る。
「今日ご飯食べて行けそう?それとも忙しい?」
「いや、」
「次来てくれる時には別の物も用意できると思うけど」
「…、なまえ」
「錆兎は柱だし、忙しいのは分かるけどたまには会いたいのよ、私も鱗滝さんも」
立ち上がり「戻ろっか」と言う彼女の背に向けて口を開いた。
「なまえ」
「うん?」
「俺と一緒に暮らさないか」
「え、」
「柱になって、屋敷を構えた。だから」
錆兎の言葉をぽかんとして聞いていたなまえだが、不意に悪戯っ子の様な笑みを浮かべ「あっ、分かったー」と呟く。
「錆兎ってば家のことが出来ないんでしょ?」
「は?」
家事の出来ない男、と言うなまえ。「そうじゃないかと思ったんだよね」と言う彼女に錆兎は片手で頭を抱えた。立派な屋敷を構えたが家の事はまるっきり駄目。いやたしかにその通りだ。最低限の事くらいしか出来ない。だが、そうではない。今の言葉は。
全く届いていない。意味を理解してない。
何の為に真剣に自分の師と話したのか分からなくなるほど、なまえは朗らかに笑っている。昔からそうだ、どれだけ想っても彼女に届いた事はない。
「なまえ」
そして強いて言うならば、今の伝え方は男らしくなかった。
「なあに?」
「俺と夫婦になってくれないか」
言葉にして数秒の後。初めて、彼女の頬に火が灯る。目を見開いて「あの、えっ?…えっ!?」と声をあげたりキョロキョロと視線を彷徨わせ、バタバタと忙しない。
「自分で言うのも何だが、俺は一途でな」
「い、ちず…?」
「長いこと想っていたという事だ」
ああやっと伝わったと思うと何やらおかしくて。顔を真っ赤にして狼狽えるなまえを初めて見て、錆兎は久しぶりに声を上げて笑った。
一世一代を賭けて
鱗滝はらしくなく、そわそわとした様子で辺りを見ていた。はあと溜息をついて、顔を俯かせ、それからまた辺りを見回す。
鱗滝にとってなまえは可愛い孫も同然だ。隊士にこそならなかったが、錆兎や義勇の面倒を見て今では自分を支えてくれている。そんな彼女を自分の弟子が、娶りたいと言ってきたのだ。
反対するつもりはない。それがなまえにとっても幸せな事だと思う。あの子なら錆兎を拒否する事はしないだろう。
しかしその気持ちと、心配はまた別の物で。一度中に入るかと背を向けた時。
「鱗滝さーん!」
高い声が呼び止める。振り返るとそこには自分に向かって手を振るなまえ。そんな彼女の右手を繋ぎ、引くように歩いてくるのは錆兎だ。
「錆兎、私が籠持つよ」
「これくらい気にするな」
言葉を交わしながらやってくる二人。
しっかりと繋がれた手を見て安堵すると、鱗滝は天狗の面の下で穏やかに笑みを浮かべた。
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生存if
錆兎に求婚させたかったお話し
2021.1.10