杏寿郎と蜜璃が任務に赴いた日から早数日。

暫くそわそわとした日々を過ごしていたが、便りがないのは良い便り、と思う事とした。もしかしたら任務が立て続いているのかもしれない。何にしても杏寿郎が屋敷に戻ってきた時にはすぐ迎えられるようにしたかった。


「なまえちゃん、今日もありがとね!」

「こちらこそ、またよろしくお願いします!」


にこりと笑って頭を下げる。今日は市場で根菜類を買った。顔馴染みになった店主がオマケをしてくれて、更には菓子屋の前を通った時、旦那が金平糖をくれたりと嬉しい日だった。

さてそろそろ手荷物が重い。屋敷に戻らねばと思い帰路に着く。風呂敷包みを胸に抱え屋敷への道を歩いていたら「ちょっと!」と呼びかけられた。


「はい?」


声の方へと振り返るとそこには華やかな女性がいた。

華美で上等な椿の大柄の振袖。栗色の髪は綺麗に結い上げられ黄金色の簪がシャラリと揺れた。華やかなのは着物や簪だけではない。女性の顔立ちだ。キリッとした目元に色気のある泣きぼくろ。強い赤の紅がよく似合っていた。

しかし初めましての相手であるはず。それなのに女性のなまえを見る瞳は酷く険しい。


「私に何か…?」

「炎柱様のお屋敷にいる女って貴女のことよね?」

「え?あ、あの…」

「一度で答えられないような質問かしら?」


強い言葉になまえは少し驚く。顎を少し上げ見下すよな目を向けてくる女性は間違いなく初対面だ。


「そう、ですが…」


女性からの問いに控えめに頷いた。

向けられる敵意のせいか、酷く嫌な予感がしていた。人通りのないこの路で知らない女性と二人。

「あの、それがどうかさないましたか…?」となまえが尋ねた瞬間、女性の目がギリと鋭さを増した。それと同時に女性が片手を振り上げるのが見えた。

バチンッ

と乾いた音が響く。あまりにも突然の事で、頬を打たれたのだと気付くのに僅かに時間がかかった。女性の手が僅かに耳に当たったせいでキィンと耳鳴りがし、頭がクラリとした。


「っ、…あ、の」

「貴女のせいね!!」


女性が激昂する。なまえは訳が分からず瞬きを繰り返す。ジンジンと痛む左の頬に手を当て、わずかに怯む。そんななまえを気に留める事もせず、女は声を荒げた。


「貴女なんかが居たせいで私が惨めな目にあったのよ!!」

「っ、い、意味が…」

「わたくしの事なんて貴女はご存知無いのでしょう!」

「待ってくださいっ、私は!」


話しが噛み合わない。ちゃんと話しをしたい。声を荒げる女性を一旦落ち着けようと手を伸ばしたが「触らないで!」と払い除けられてしまう。

そしてその隙をついてバチンと二度目の平手打ちを頬に食らった。

流石に同じ頬を二回打たれた事で手にしていた風呂敷を地面に落としてしまった。先程貰ったばかりの金平糖が地面に散らばるのが見えた。


「さぞ気分がいい事でしょう!」

「…っ」

「あの方に大事にされて…!」


あの方。一体何のことかと思った時、女性が両手でなまえの身体を突き飛ばすように押した。頬を打たれたばかりでくらくらと目眩のする頭ではうまく踏ん張る事も出来なかった。

目の前の女性に対しひたすら混乱した。そしてそれと同時にその女性に対して恐怖すら覚えたなまえは身体を硬直させる事しか出来なかったのだ。


「…あっ、!」


身体がグラリと傾く。先ほど地面に散らばった金平糖のように、今度は自分が地面に伏すのだろうと覚悟をした。ギュッと目を閉じて衝撃に耐えようとする。

だが衝撃はこなかった。代わりに二本の腕がなまえの身体を支えたのだ。



「…オイ、何のつもりだテメェ」



そっと目を開くとそこには銀に近い白の髪。傷だらけの顔と身体。不死川実弥がなまえの身体を抱きとめてくれていた。


「不死がわ、さま…」


ジワリと目の奥に熱さを覚えた。訳も分からぬまま知らぬ人間に頬を二回打たれ、突き飛ばされたのだ。衝撃と恐怖で身体を埋め尽くされて居たなまえにとって、実弥の存在は酷く安心する物だった。

そんななまえの様子に舌打ちをしたのは華やかな女性だ。


「随分と良い身分ね、沢山の人に守られて、庇われて、さぞや気分が良いでしょう」

「華やかに着飾ってる割には、鬼みてえな形相してやがるなァ。顔が鬼なら中身も鬼なんじゃねえかァ、あ?」


実弥にギロリと鋭い眼光に凄まれ、女はグッと表情を歪めた。

実弥は女から目を逸らすとすぐなまえに向き直り「立てるかァ?」と聞いて身体を支えた。「すみません」と小さな声で謝るなまえを見て、女は唇を僅かに噛んだ。


「わたくしは清菊。わたくしの名前をあの方に聞いてみる事ね!」

「あの方、?」

「あの方っ、杏寿郎様に!そうしたら分かるでしょう!貴女が私に何をしたのか!」


キィンと響く声で怒鳴りつけると清菊と名乗った女性はなまえにツンと背を向け、そのまま立ち去ってしまった。

緊張が解けていくような感覚になまえはホウと息を吐いた。

杏寿郎という名前が出た。あの女性は杏寿郎の知り合いだったのだろうか。だとしたら自分があの女性に何をしたのか、考えたところで何も答えが出てこない。あまりにも突然の出来事だった。怒鳴られた事にも、叩かれた事にも戸惑ってしまい、ズッシリと重たい感情が身体中に伸し掛かる。なまえは自然と顔を俯かせた。

だが次の瞬間、不意に顎を掴まれる。なまえの顎に触れた実弥の手が些か乱暴に上を向かせた。


「酷えな、腫れてんじゃねえかァ」

「不死川、さま…」

「チッ、引っ掻き傷にならなかったのは幸いだがな…アイツあれでも女か?」


なまえの頬の赤みと腫れを確認すると「災難だったなァ」と一言告げ手を離した。そのまま地面に散らばった風呂敷や野菜に手を伸ばした。


「不死川様、申し訳ありません」

「何でテメェが謝んだァ。何もしてねえだろうが」

「…、」


しゅんと再び顔を俯かせたなまえを見て実弥は溜息をついた。

なまえも実弥を手伝うようにしゃがみ込み、散らばった金平糖に手を伸ばす。ハンカチを膝の上に広げ一つ一つ拾っていく。踏まれて粉々になってしまった物もある。せっかく菓子屋の旦那がくれたと言うのに、こんな事になってしまうとは。ジワジワと痛んだ頬のせいで作り笑いすら上手く出来なかった。


「オイ、なまえ」

「はい?」


返事をしたと同時に実弥の手が手巾の上の金平糖に伸びる。何かと思ったのも束の間、一つ摘むとそのまま口に放り込んだのだ。


「不死川様っ!」

「別に食えなくねえよ、いらねェなら俺が全部貰っちまうからな」


実弥の言葉にキョトンと瞬きを繰り返し、なまえも金平糖を一つ摘む。そしてフウフウと息を吹きかけ土や砂を飛ばすと、口に入れた。


「本当、甘いですね」


カロコロと音を立てて金平糖を含み微笑んだなまえ。実弥も少し安心したように口元を緩めた。


「少し待ってな」

「え?」

「屋敷まで送ってやる。その前に用を済ませてくる」

「は、はい」


パッとその場から消えるように走り出した実弥。待ってろ、と言ってもあっという間で。すぐになまえの元へと戻ってきた実弥の手には手ぬぐいに包まれた氷があった。

用を済ますとは、これを買いに行ってくれたのか。そう気付くと、実弥のその心遣いがなまえには嬉しかった。



・・・



「腫れは引いたかァ?」

「はい、ありがとうございました。氷も荷物も」


ドサと玄関に置かれた荷物。頬は実弥が買ってきてくれた氷のお陰で赤みは残っているものの腫れは少し引いていた。

実弥はこれから任務だったようで、任務前に腹ごしらえを済ませそろそろ向かおうとして居た矢先に聞こえて来た怒声。たまたまその声の方へと足を向けてくれたらしい。


「こっち向け」

「はい?」


なまえの頬を覗き込むように顔を近付けた実弥。まだ腫れている。二、三日は赤いままだろうなと思うと、頬を打った女に対し舌打ちをしたくなった。その衝動を何とか押し殺すとポンポンとなまえの頭を軽く撫でる事にした。


「…あの女、煉獄の知り合いかァ?」

「…私はお名前を聞いたことがなくて…もしかしたら杏寿郎様はご存知なのかもしれませんが…」

「そうかァ」

「…私は一体何をしてしまったんでしょうか」

「考えた所で知らねえなら仕方ねえだろォ」

「ですが」

「変な女に絡まれて災難だった、それで良い」


あんまくだらねえ事考えんな、と言う実弥になまえは困ったように微笑むと「はい」た控えめに頷いた。

その顔を見ると実弥は玄関の外で手ぬぐいを絞り、氷を包み直し「ちゃんと冷やせェ」となまえの頬に当ててやった。


「不死川様は、お優しいですね」

「あァ?」

「先日は子供達とも遊んでくださいましたし、面倒見が良いと言うべきでしょうか」

「テメェいらねえ事を言う余裕は出てきたみてえだなァ」

「えっ!い、いらない事だなんて…!」


わたわたと弁解するなまえを見ながら実弥はふと考えた。杏寿郎と蜜璃は共同任務中。自分の任務は南西の方だ。上手くいけば、会う事も出来るだろうと。

まだ腫れたままの左の頬。目が合うと眉を下げ微笑んだなまえ。


「大丈夫です、痛くはありません」

「嘘言うんじゃねえ。そんな腫れてて痛くねえ訳がねえだろ」


実弥の言葉になまえは困ったように静かに苦笑いをする。まるで仕方ない事だとでも言うような彼女のその姿を見て、実弥はグッと拳を握り締めた。



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