「甘露寺!少し良いだろうか!」


複数の鬼を討伐し、隠達が怪我人や被害状況を確認している。少し時間が掛かってしまったが何とか収めることは出来た。

恐らくすぐに次の任務がくるだろう。それまで焚き火の側で僅かな小休止を得て居た蜜璃に杏寿郎が声を掛けたのだ。ふわーっと伸びていた腕を下ろし、びしっと背筋を伸ばす。もと師範の杏寿郎に名前を呼ばれると、良い緊張感があった。


「何でしょうか!」

「君に少し話しがある!」


何だろう、鬼殺隊の事だろうか。今回の戦いに対して自分への注意だろうか。それとも下の者たちの育成に関する事だろうか。「はいっ」と緊張した面持ちの蜜璃の隣に杏寿郎は腰を下ろした。

が、そのまま何も言わない。大きな瞳で焚き火を見つめたままだ。


「あ、あの煉獄さん…?」

「うむ!」

「お話しって…」


蜜璃がそう聞くと「うむ、うむ!」と数回繰り返す。それから暫く沈黙した後、煉獄杏寿郎としては珍しいくらいの声音で呟いた。


「なまえの、事だ」

「っ!」


杏寿郎の言葉に緊張感が走ったのは蜜璃の方だ。

これは!これはひょっとして!なまえさんの事というのはつまり!間違い無いわ!

恋 の お 話 し ね !

別の意味で一気に緊張感が増した蜜璃。にやけそうになる顔を必死に引き締めて、唇を噛み締めているせいで少々とんでもない顔になっている。

前々から思っていたのだ、杏寿郎が屋敷を構えそこになまえを招き入れた時からずっと。この二人はそういう関係なのでは無いか、と。二人の距離感や、話す時の表情、声の優しさ、それら全てが蜜璃にとっては理想とも言える男女の関係だったのだ。

しかし夫婦になる訳でもなく、恋人でも無い二人。そんな二人を見つめ、いつもヤキモキとした感情を覚えて居た。

きゃー!とうとうお二人の恋のお話しが聞けるなんて…!


「はいっ!なまえさんが何でしょうか!!」

「…なまえは、いつか嫁に行くのだろうか」


待って、想像していた話しと違うわ。

ギュッと眉間に皺を寄せて杏寿郎を見る。しかし当の本人はその視線に気付く事なく大きな瞳でひたすら焚き火を見つめている。蜜璃の頭の上には複数のクエスチョンが浮かんでいた。


「なまえさんが、…ですか?」

「そうだ!」

「えっと、それは、つまり、嫁入りというのは」


煉獄さんの元ではなく?

言いたくて仕方ないが、言葉には出来ず、言い淀む。蜜璃としてはなまえが結婚だとか嫁入りだとか、もしそうなるとしたら、間違いなく杏寿郎の元であり、この二人なのだ。なまえが他の元へ嫁ぐなど少したりとも想像できない。


「あの、煉獄さん」

「何だ!」

「なまえさんと、その、そういう話しをした事はあります?」

「無いな!!」


そんな気持ちよく返事されましても!!

まさかの恋人未満。それどころかこの様子では片思いすら遠い。所謂、ただのお友達。そんな馬鹿な。

杏寿郎にしてもなまえにしても、お互いの存在が当たり前になり過ぎているのでは無いかと思った。巣蜜のパンケーキのように当たり前のように空気が甘い二人だ。いま杏寿郎に必要なのはちゃんとなまえと向き合って話すこと。考えている事や気持ちなど全部。そんな風に思った。


「なまえさんと一度ゆっくり話してみてはどうでしょう?」

「うむ!宇髄にも似たような事を言われた!!」

「そうなんですね!それなら善は急げです!例えば、うーんそうですね、…温泉とか!のんびり出来るところに二人で行って!」


美味しいものを食べて、温泉に入ってゆっくりお泊まり!と楽しげに話す蜜璃。


「それになまえさんいつもお屋敷にいますし、たまには連れ出してあげてもいいと思うんです」


なまえと約束をした。任務が終わったら二人の時間を作ると。甘露寺の提案する温泉とは良い案なのではないだろうか。


「うむ!確かにそうだな!労る事も必要だ!」

「はい!」


笑い合って話しがまとまりかけた時、二人の鎹鴉がカァアア!と鳴く。次の任務に行けという指示だった。今度は二人一緒ではなくバラバラの任務だ。


「やはり立て続くな!」

「これじゃあ、またしばらくなまえさんと会えませんね…」

「うむ!だがこればかりは仕方ない!きっとなまえも理解してくれる!」


立ち上がるとパッと服の裾を払い日輪刀を腰に挿した。


「甘露寺、君の助言ありがたく受け取った!」

「いえ!そんな…!」

「では俺は行く!君も気を付けるんだぞ!」


そう言うと地鳴りを上げて走り出してしまった杏寿郎。相変わらず走り出しが轟音の'元師範を見送り、しばらくした後蜜璃はハタと我に返った。

蜜璃自身が温泉が好きと言うこともあり当たり前のように提案してしまったが。夫婦、ましてや恋人でもない二人に温泉で泊まりを勧めてしまうのは大丈夫だったのだろうか。

はわわっ!と頬を染めて焦る蜜璃を鎹鴉の麗が見つめていた。



・・・



次の任務へと走っていた杏寿郎は先程の蜜璃の提案を考えていた。

温泉とは盲点。しかし旅館であれば杏寿郎自身にいくつか候補があり、なまえを連れて行く事もできる。いつも屋敷のことばかりしている彼女だ。身体を休める必要もあるだろう。

少々一方的ではあったが時間を作ると言う彼女との約束もこれなら果たすことができる。うむ、と納得した時覚えのある気配を感じ取り杏寿郎は不意に足を止めた。横から来る気配。

向こうも同様に足を止めて、杏寿郎の前に現れた。


「不死川、か?」


現れた男に杏寿郎は一瞬言葉を詰めたがすぐにいつものような溌剌とした笑顔を浮かべ「君か!」と言った。

オイラこの前姉ちゃんが逢引きしてる所見たんだっ

いつかの少年の言葉が頭をグルリと回る。けれど動揺はしない。話しならば不死川ではなくなまえとする。そう決めていたからこそ杏寿郎は堂々として見せた。


「久しぶりだな!」

「チッ」

「君も南に行くのか!それならば俺と同じ方向だな!」

「来んなァ、俺一人で十分だ」

「そうはいくまい!これは指示なのだからな!」


杏寿郎の言葉を無視して走り出した実弥。同じ任務なのかは分からないが、派遣される方角はどうやら同じようだ。

「共に行こう!」と言い並行して走り出した杏寿郎の態度に苛立ちを覚えたのは実弥だ。

杏寿郎が悪い人間ではない事は分かっている。だが実弥の中には先日のなまえの受けた仕打ちと、彼女が見せた笑顔が残っていたのだ。仕方ない、と何処か諦めたように笑うなまえの顔だ。

鎹鴉の伝令から杏寿郎が同じ方角に来るとは聞いていたが、まさか本当に遭遇するとは思わなかった。


「…お前、他に女が居たのか?」


本当は何も言うつもりは無かった。なまえがそれを望まなかったからだ。当人同士の問題であり、自分が出しゃ張るような事ではない。だが、どうしても頬を赤く腫らしたなまえの顔が頭を回ったのだ。

前置きなく核心を突いた実弥の言葉にまるで虚を突かれたかのように驚き、杏寿郎は目を見開いた。


「女?何の話しだ?」

「…確か何とか菊みてえな名前の派手な女だァ、知ってんだろ」

「知らん!」

「テメェ嘘つくんじゃねえよ」

「もう一度言うが知らん!一体何の話か分からないが俺にそんな相手はいない!!」


意味が分からないと眉を寄せる。いつもの溌剌とした声で真っ向から実弥を否定した杏寿郎。その瞳に迷いは無かった。嘘は言ってないのだろう。彼は下手な嘘は吐かないし、他の人間よりも頑なに真っ直ぐだ。そう言う男だという事は実弥自身理解もしていた。

きっと嘘は言ってない、だが。それでも。


…私は一体何をしてしまったんでしょうか


頬を赤く腫らし、悲しげに顔を俯かせたなまえが消えない。

ピタリと足を止めた。実弥に気付き杏寿郎も足を止める。「だったら」と呟くとズカズカと歩み寄り感情のまま杏寿郎の胸ぐらを掴み乱暴に引き寄せた。


「……だったら何で、アイツは、…なまえはテメェが知らねえって言った女に顔面ぶっ叩かれてんだ?あ゛ァ?」


それだけ言うと実弥はすぐに杏寿郎から手を離す。「チッ」という舌打ちをして通り越して行く。実弥の言葉に杏寿郎は言葉を失くした。

なまえが顔を張られた?

咄嗟に「不死川!!」と振り返ったが、そこには誰も居らずヒュウと吹いたそよ風が木々の葉を揺らしているだけだった。


「なまえ…」


途端に不安が胸を覆う。

なまえが手を上げられた。自分の居ない所で、誰かも分からない相手に。相手は女で、自分の事を知っている相手。どれだけ記憶を辿れども目ぼしい人物はいない。記憶にもない。

実弥がその話しを知っていると言う事は、彼が現場に居合わせたという事。少なくともその時、手を上げられたなまえの傍にいたと言う事だ。

ザワザワと胸が騒ぐ。

無事だろうか、泣いていないだろうか、俯いて居ないだろうか。叶う事ならこのまま彼女の元へと走り、顔が見たい。

けれど。


「…っ、…行かなければ」


鬼がいる場所へ。人が、隊士たちが自分を待っている。これは自分の責務だ。柱であるならば放り出す事は許されない。

気合を入れ、集中せねばと走り出す。だがどれだけ集中しても、胸に落ちた鉛のような物が取れてはくれなかった。



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