なまえと出会ったのは月が満ちた夜のこと。小高い山の上で出会った。
その日は妙に冷える夜だった。
鎹鴉に導かれ鬼の気配を感じ取り駆け出す。耳に届いたのは人の悲鳴。急げ、と足を走らせた先に彼女はいた。瞬きする瞬間も与えず鬼の首を飛ばし、目をやれば倒れた男と女が一人ずつ。確かめずとも、もう事切れているのがすぐに分かった。
そしてこの殺されてしまった二人は彼女の両親だとすぐに理解した。
呆然と俺を仰ぎ見るなまえの着物は赤く染っていた。きっとすぐ近くで息絶えていた母親の血だろう。見上げたまま、ぽつり「鬼狩り、さま」と呟いた。
彼女に怪我がない事を確認し、休ませている間にご両親の墓を作ろうとした。だがなまえはすぐに立ち上がると俺が土を掘り返しやすいように石を拾い始めた。
気持ちの面でも今は落ち着かないだろうと思い、休んでるといいと言っても彼女は頑なに「大丈夫です」と答えるだけだった。
埋葬し終えたあと、二人で手を合わせた。当たり前のことだが彼女は俺よりも長く手を合わせていて、その横顔は静かなものだった。
「鬼狩り様、ありがとうございました」
「礼を言われる事ではない。むしろ君には申し訳なく思っている。俺がもう少し早く、」
「いいえ、きっと天命でございます」
俺の言葉を遮りなまえはそう言った。
吹いた風が彼女の髪をサラサラと揺らすと、それを片手で撫で付けると、ぼんやりとした表情で山の下を見下ろした。つられるように見てみればすぐ下に町が見える。きっと彼女の過ごした町だろう。
空が曙色だった。まもなく夜明けがやってくる。
「景色が綺麗なところでよかった」
本心が見えなかった。両親が鬼に殺されたばかりだというのに本気でそう思ってるようにも見えず、悲壮に打ちのめされた顔にも見えない。「ありがとうございました」と俺に感謝を述べた彼女は、どこか清廉された空気さえあったというのに。
この時、確かに嫌な予感がしたのだ。
「君はどこに行くつもりだ」
「山を降りて町に行きます。私の家は元々町の外れにあったんですが……町には知り合いもいますので」
「親族の者はいるのか?」
「いません、両親と私だけでした」
「……」
「でも大丈夫。きっと、生きていける」
嘘だ。
彼女の言葉は嘘だとすぐに気付いた。綺麗に笑ったのだ。こちらが悲しくなるほど、綺麗に、無機質に、微笑んだ。生きようと思う者は、真に生きようとする人間はそんな顔はしない。
きっと町になど行くつもりは無いのだろう。昨日まで両親と過ごした家に戻り、そこでその生命を絶つのだろう。
「ありがとうございました、鬼狩り様」
こちらが虚しくなるほどの笑みを浮かべて、その下で何を思うのか。大丈夫などと言わないでくれ。そんな綺麗な笑みを浮かべて死を望まないでくれ。
どうか、生きてくれ。
「決めたっ!!!!!」
背を向け歩き始めていた彼女の肩が面白いくらいに跳ね上がった。突然の声に驚いたのか振り返った彼女は目を白黒させている。一歩、一歩と彼女に近づいた。
「君は!俺の所に来るといい!」
「え…っ」
「ちょうど屋敷を構えようと思っていてな!手伝いをしてくれる者を探していたのだ!!」
「い、いえ、鬼狩り様…そんなお気遣いは…、私は大丈夫です…!」
「大丈夫などと言わないでくれ!」
「…っでも、」
「君は大丈夫じゃない!それくらい俺には分かっている!」
言葉を失くした彼女の手を取ると歩き出す。
後ろから「あの!」と静止する声が聞こえるが構わず歩く。あまり大幅で歩くと彼女のことを引きずってしまうだろうから歩幅はいつもよりずっと狭いものにした。
あと少し早く来れたなら、あと少し早く走れたなら。彼女の両親は健在だった。彼女はあんなにも空虚な笑みを浮かべなかった。
「鬼狩り様っ、でも私は…!」
「俺は!君を死なせたくない!」
そう言った途端、彼女の抵抗が止まった。やはり、死ぬ気だったのかと悟ってしまう。足を止めて彼女に向き直った。
「俺の名前は煉獄杏寿郎!俺は君を死なせない!何と言おうと絶対にだ!」
息を詰め、言葉を失ってしまった彼女の黒く大きな瞳に涙の膜が張られた。じわりじわりと込み上げたそれは抑えようが無いのか、やがて真珠を転がすかのように一粒二粒と、彼女の頬を滑り落ちた。
「わたし、」
「うむ」
「わた、し…あの、名前っ…なまえ、です…っ」
「そうか、なまえか」
「私っ、…わたしは…っ、!」
生きて良いのでしょうか
そう小さく問いかけたなまえは頼りなくて今にも折れてしまいそうで。血だらけの着物と頬を流れ落ちる涙。彼女に差し込んだ朝陽の光が酷く優しいせいでその様がどこか神秘的なものにも見えた。
「両親は、私のっ、せいで…!」
「……親とは、子を守るもの」
「…っ」
「君の両親にとって、君は守るべき大切な存在だった」
自分の両親が頭を過ぎり、少しだけ胸に痛みを感じたが振り切るように炎の羽織りに手をかけた。煉獄家として誇りある羽織りを誰かの肩に掛ける日が来るとは思いもしなかった。
「着ていなさい」
「でも、汚れてしまいます…っ」
「そんな事はどうでもいい」
遠慮するなまえの両肩を羽織り越しに掴んだ。
「何度でも言う俺は君を死なせない」
あの時、何故そうしようと思ったのか。他にも同じ境遇の人が大勢いるなか、何故なまえだったのか、何故彼女を連れて帰ったのか、聞かれても明確には答えられないだろう。
死なせたくなかった。そうしたいと思った、そうしなければと思った。
「杏寿郎様いかがなさいました?」
「むっ」
声をかけられてふと我にかえる。
彼女が家事をこなす厨房をただぼんやりと眺めていた俺を不思議に思ったのか。包丁を置いたなまえが心配気な顔をしていた。
「お腹がすきましたか?」
そう言って優しく笑むと「もう少しでお支度できますから」となまえは囁いた。
特別腹が減ったと言うわけではなかったが、彼女の後ろ姿を眺めていたらふと色々な事を思い出してしまった。
「俺とした事が急かすような真似をしてしまった」
「いいえ、お待たせしてしまいすみません」
「何か手伝える事はないだろうか」
「ふふ、杏寿郎様は何もしなくていいのです」
楽し気に、ふわりと微笑む彼女を見ると常々思う。あの時彼女の腕を掴んでよかった、と。手を繋いでよかった。多少強引なやり方ではあったが、ここに連れてくる事が出来て良かったと。
「今日の献立には薩摩芋のお味噌汁もありますよ」
「それは楽しみだ!!」
「あ、あの…」
「うん?」
「わ、……っ、わっしょい、と言っていただけるようにがんばります」
照れ臭そうに。耳まで真っ赤にして俺の口癖を真似して言う彼女を見ていると、不思議な感覚がする。胸に込み上げてくる、どうにもくすぐられたような、こそばゆさ。
それと同時に彼女が、なまえが幸せであればいいと心底、思う。