緋色のべっ甲の帯飾り。
じっと見つめてどれくらい経っただろうか。大きな瞳で見つめたまま動かない杏寿郎に、店主はおろおろと狼狽えていた。
任務終わりに生家へ行き、数日過ごした後になまえのいる屋敷へと向かった道すがら。立ち寄った町の市場でそれを見つけたのだ。
土産に、と考えて足を止めたのだが果たして彼女は喜んでくれるのだろうかと悩んでしまった。そもそも帯飾りは装飾品だ。一昔前であれば櫛を贈る事が意中の相手への求婚だったと言うのに、帯飾りを贈るのは大丈夫なのかと考えてしまった。
深い緋色の装飾品は杏寿郎の好みの色だった。まるで炎のような色が好ましい。その色をなまえに贈りたいと思ったのだが。
「うむ…」
「あ、あの、お客様いかが致しますか…」
「うむ…」
おずおずと尋ねた店主を他所に杏寿郎の瞳は大きく見開かれたまま帯飾りから逸らさない。
もう半刻もそうしているのだ。杏寿郎の持つ独特な圧にも当てられてしまい、周りの客は寄ってこない。どうしたものかも店主も困り果ててしまった時だった。
「よう、煉獄じゃねえか」
「こんにちはー!」
呼びかけられて帯飾りから声の主へと目を向ける。そこにいたのは音柱の宇髄天元と彼の三人いる嫁の中の一人である須磨だった。
いつもの隊服とは違い着流しを着て髪を下ろした天元に杏寿郎は少し驚いた表情をしたが、すぐにいつものように笑うと「君か!宇髄!」と挨拶を返した。
「何こんな所で立ち止まってんだ?」
「ああ!いや!何でもない!」
「何でも無くねえだろ」
「何でもない!!」
「いや、無くねえだろ」
店の前を堂々と陣取っておいて何を言ってるんだと天元が言えば「むっ!」と杏寿郎は唸った。何となく贈り物の事を知られたら揶揄われそうで気付かれたく無かった。
天元にピタリと付いて寄り添っていた須磨だったが、二人の様子を見てこれは長くなりそうだなと察した。
「天元様、私先にお買い物済ませておきます!遅くなるとまきをさんに怒られちゃうので!」
「おお、須磨悪いな」
「いいえー!」
たたたっ、と駆け出した須磨を見送ると天元は「さて」と杏寿郎に向き直った。天元は杏寿郎が見ている店が女物の装飾品を扱う店である事には気付いている。もちろん彼が贈りたいと思っている相手にも気付いている。
「なまえにか?」
「そういう顔をするだろうと分かっていたから言いたく無かった!!」
「へえなまえにねえ」
にやにやと、口元を緩ませる天元。自分と同じ柱で、それも一番恋愛ごとに疎そうだと思っていた煉獄杏寿郎が女への贈り物で頭を悩ませるとは。そう思うとどうにも面白く楽しく、口元の緩みを隠す事が出来なかった。
天元の揶揄うようなにやけ顔は少々腹が立つ。腹が立つが、彼には嫁が三人もいる。自分の今の悩みを相談するには丁度いい人材なのではないか、と思うと杏寿郎は「ぐぬぬ」と暫く悩んだあと、ふうと息を吐いて力を抜いた。
「君に隠した所で隠しきれぬだろうな」
「当たり前じゃねえか、さっさと白状しやがれ」
「うむ!しかしながら!!その言い方は少々腹が立つ!」
やいのやいのと騒ぐ大の男二人に困ったのは店の店主だ。せっかく天気の良い日に商品を並べたというのにこうも騒がれては女性が寄ってこない。いいから商品を見てくれないだろうかというのが店主の正直な気持ちだ。
「もう良いだろ!なまえに贈る物で悩んでんじゃねえのかよ!」
「そうだ!!」
「どれだよ!」
「これだ!」
びしっと指差した帯飾り。ようやく白状したそれに天元は顔を近づけた。花の形を模した、緋色の帯留め。趣味は悪くない。
「良いじゃねえか贈ってやりゃあ」
「俺に贈られたら困るだろう!」
「困るってのは何がだ?」
「何でもない異性から装飾品など!なまえが困るだけだ!」
「はあ?」
何でもない異性。天元は顔を顰めた。
あれだけ大切にしておきながら、あれだけ傍に居ながら、なんでもない関係だと言うのだろうかこの男は。確かになまえは杏寿郎の伴侶ではない。だが。
「なら何で贈ろうと思ったんだ」
「むっ」
「何とも思ってねえなら、何でもねえ女なら、ただの屋敷の女中を気に掛ける必要ねえだろ」
「なまえを女中だと思った事は一度たりとも無い」
「そうハッキリ言えるならそういう事なんじゃねえのか」
自覚が無いならそろそろ自覚させなくては。天元はそう思った。
まさかそんなふわふわとした感情で過ごしていると思わなかった。確かになまえという存在は杏寿郎に保護されたと言うべき存在だ。ただそのまま、彼女の身辺が落ち着いた後も手放さず、傍に置いていたのは他でもない杏寿郎だ。
感情があるから、結果がある。杏寿郎に何かしらの想いがあるから、今もなまえは屋敷にいる。
「お前、何の為になまえを傍に置いてんだ?」
天元の問いに杏寿郎は言葉を詰まらせた。
何の為に。死なせたく無かったから、そうしたいと思ったから。いや、それは最初の理由だ。
何故今もなまえを屋敷に置いているのか。本当は町に返してやるべきでは無かったのか、故郷じゃなくてもいい。藤の家紋の家や、彼女の拠り所となる場所へ何故連れて行かなかったのか。
「まあお前がそんなでも俺は構わねえけどな。良い奴が出来たらなまえも出ていくだろ」
「良い奴?」
「いっくらなんでもいつかは嫁に行くだろ、お前にその気が無いんなら尚更な。店主、悪いがこれとこれとこれ、包んでくれるか」
「は、はいっ」
突然天元に声を掛けられた店主はびくりと背筋を伸ばし返事をした。
「旦那、三つもお買い上げ頂けるんですかい?」
「おう、俺には嫁が三人いるからな」
にっ、と笑うと懐から財布を出す。それなりの石と細工が施された装飾品は決して安物ではない。先程とは打って変わって嬉しそうな顔をする店主に金を渡した。
「煉獄、お前はどうすんだ?」
「あ、ああ、そうだな!」
はっと我に返って、もう一度帯留めを見た。
ただ、贈りたいと思ってしまった。どう思われたとしても、それでも。自分が任務で不在の間、生家に帰っている間、いつも一人で屋敷にいる彼女を想像した。自分が戻った時、嬉しそうに優しく顔を綻ばせてくれる彼女を。
「っ、」
何か胸に詰まるような押し上げてくるような感覚がする。喉元まで上がってくるが言葉にする事が出来ない。
この感覚は前にも何度かあった。
「すまない、店主。これも一つ包んでくれ」
杏寿郎の言葉に天元はにっと笑みを深めた。少しでも意識させる事が出来たなら、それはそれで成功である。常に炎の如く生きる男だ。その情熱を少しばかり色恋に向けた所でバチは当たらないだろう。
自分の感情と死ぬほど向き合って派手に悩めばいい、とそんな事を思った時。
「あれー!先生じゃん!」
声が一つ。
先生?と天元が見てみればそこには両手に野菜を抱えた少年がいた。
「おお!少年!君か!」
なんだ煉獄の知り合いか、と店主に包んで貰った装飾品を懐にしまう。現れた少年は杏寿郎に「鬼狩り様の服ってかっけーな!」だとか「羽織りすげー!」だとか楽しげに話している。
さて要も済んだし須磨を探すか、と天元が杏寿郎に挨拶でもしようとした時。
「そういや先生ってなまえ姉ちゃんの良い人じゃ無かったんだな!」
にかっと笑った少年から。
「へへへ、オイラこの前姉ちゃんが逢引きしてる所見たんだぜっ」
派手な爆弾が落とされた。
笑う少年に対し完全に停止してしまった杏寿郎。ただでさえ彼の大きい瞳ががこれでもかと言うほど大きく見開かれている。
いやいやいや、待て。天元は少年へと歩み寄りしゃがみ込むと視線を合わせた。
「おう坊主、今の話し嘘じゃねえだろうな」
「なっ、なんだよ、アンタも鬼狩り様か!?」
「まあそんな所だ。で、今の話しは本当なのか」
「嘘じゃねえよ!オイラこの目で見たんだ!この前先生の屋敷に遊びに行った時、姉ちゃんが男と逢い引きしてたんだ!」
「オイオイ、待てよ坊主。作り話にしてはド派手なモンじゃねえか」
「だーかーらー!嘘でも作り話でもねえって!」
喚く少年を横目に天元は杏寿郎をチラリと確認する。ああ駄目だ完全に固まってやがる。鬼殺隊の柱ともあろう男が腕を組んだまま目を見開いて固まっている。
「本当なんだって!だって姉ちゃんに聞いたら『鬼狩り様で強い方』って教えてくれたんだ!」
「相手は鬼殺隊の奴かよ!」
「そうそうっ、すげー傷だらけで怖い顔の兄ちゃんだったけど、でもオイラ達と遊んでくれたんだぜ!」
「は?」
すごい傷だらけの、強い鬼狩り。
し な ず が わ。
嘘だろ不死川じゃねえか、と天元は自分の頭を片手で抱えた。いやなまえとそんな関係だったか?そもそもそんなに親しかったのかあの二人?「てっきり姉ちゃんの良い人は先生なんだと勘違いしてたぜ!」いや坊主俺もそう思ってたからな。
「先生も今度また剣術見てくれよな!」と笑って少年は走り去っていく。おい待ちやがれとんでもねえ派手な爆弾落としやがって。
「…煉獄」
「…よ、よも、よもや」
「おい大丈夫か」
「なまえと、不死川が、?」
今は真実を確認しようがない。なまえに聞くにしても、実弥を問い詰めるにしても、それは自分のやる事じゃないだろうと天元は分かっていた。
「まあ本人に聞くのが一番早いだろ」
「…なまえは、宇髄が言っていた通り嫁に行くのか?」
「展開が早えって」
どうしたもんかねえ、と天元は頭を掻き盛大な溜息を吐いたのだった。