「いまなまえはお昼寝してしまってるんですよ」
千寿郎から苦笑いで告げられた言葉に杏寿郎は「よもや、そうか…」と少ししょげた顔をしながら羽織りと上着を脱いだ。
任務を終えて藤の家を通り過ぎ、一目散に帰ってきたのは家族の待つ煉獄の家だ。迎えてくれた千寿郎の頭を撫で、父に挨拶をし、それから姿の見えないなまえを探そうとした矢先、昼寝をしていると言われてしまったのだ。
先日帰ってきた時は不在で今回は昼寝中。最近自分の元に駆けてくるなまえの姿を見れていないのが寂しかったのだ。
しょん、と肩を落としなまえの眠る部屋へと向かう。そろそろと音を立てないように歩いて行き庭に面した部屋をそっと覗き込んだ。そこには薄手の掛布に包まって眠る小さな姿が一つ。駆けて来てくれないのは寂しいが可愛いことには変わりない。ふっと笑みを浮かべると杏寿郎はなまえのすぐ側に腰を下ろした。
すよすよと心地良さそうに眠る妹の顔をじっと見つめた。ふっくらとした頬をふにふにと指先で優しく突いてみるが起きる気配はない。
「ただいま、なまえ」
ふにゃふにゃとした寝顔に静かに囁いた。
今日は暖かく心地がいい。こんな天気では寝てしまうのも無理はない。杏寿郎はゴロリと横に並ぶように寝転がった。畳に片肘をついて手のひらに頭を乗せると、なまえを上から見下ろす。ぽんぽんと優しく身体を撫でてやるとなまえが「んふ」と小さく微笑んだ。
起きているのか?と思い顔を覗くが、またすよすよと静かな寝息が聞こえてくる。子供特有の寝方だなあ、なんて思いつい笑ってしまう。
このままなまえと一緒に眠ってしまうのもいいが、久しぶりに帰って来たのだ。家事をこなす千寿郎の手伝いをすべきだろう。普段は家の事を任せきりだからこそやるべきだ。そう決めると身体を起こし立ち上がろうとした。
が。
「むっ」
がしり、と紅葉のような小さな手のひらが杏寿郎のシャツを掴んだのだ。「なまえ?」と妹の名前を呼び顔を見ると「んんーっ」と少し寝苦しそうに眉を寄せそれからシパシパと目を瞬きさせた。
「起こしてしまったか?」
「きょ、にい…さま…」
ぽやーっとした表情で杏寿郎を見つめるなまえはどうやらまだ寝ぼけているようで、ぐしぐしと目元を擦っている。
「もう少し眠ってるといい。兄達は台所にいる。また目が覚めたら、」
「や、」
「む?」
「いや、兄さま…行かないで、やだ…」
かっっ。
杏寿郎は訳の分からん衝動と共に思わず頭を抱えた。寝ぼけた妹に引き止められ、やだ、と小さな手で服を掴まれる。その姿はなんと愛らしい事か。杏寿郎の判断は早かった。
すまん千寿郎。手伝えそうにない。
「よし、兄はここにいよう!」
そう言えばなまえはホッとしたのか再びうとうとと瞼が落ちていき静かに寝息を立てた。
自分の胸元に擦り寄って安心した顔で眠る妹が本当に愛い。すこぶる愛い。恐ろしいほどに愛い。
しかしながら杏寿郎は千寿郎の事が気がかりであった。妹と同じように、大切で大事な弟だ。ここに弟もいたらどんなに幸福な事か。杏寿郎はぽんぽんとなまえの頭を撫でつつ、顔だけ廊下側へと向けると妹の眠りを妨げない程度の声音で「千寿郎、来てくれ」とその名前を呼んだ。
呼んでしばらくすると廊下を歩いてくる音が一つ。
「兄上?お呼びですか?」
「ああ、すまない千寿郎。こっちに来てくれるか」
「はい…ああ兄上も横になられますか?それなら掛け物をすぐに、」
「いやそうではない、共に横にならないかと思ってな」
「え、僕もですか?」
「なまえの隣が空いているだろう」
つまり兄弟でなまえを挟むようにして昼寝をしようと。そういう事だろうか。杏寿郎の意図を汲むと千寿郎は困ったように眉を下げて微笑んだ。
「せっかくのお誘いですが、僕は遠慮しておきます」
「むっ、何故だ」
「夕餉の支度がありますし、」
「ならば一眠りして起きたら俺も手伝おう」
それでは駄目だろうか?
兄の言葉に千寿郎は戸惑いつつなまえを見た。ふにゃふにゃとよく眠っている。小さく幼い可愛い妹だ。杏寿郎の提案が嫌な訳ではない。むしろ嬉しい提案だ。
「夕餉が遅れて父上から怒られたら、」
「その時は俺が謝ろう」
明朗にそう言ってのける兄に千寿郎は諦めたのか優しく笑みを浮かべると、なまえの反対側へと腰を下ろしゴロリとその場に横になった。弟の様子に杏寿郎は「うむ」と満足気に笑みを浮かべた。
「三人で横になるのは久しぶりだな」
「そうですね。僕は時々なまえとこうしてますが」
「むっ、兄は蚊帳の外か」
「あっ、兄上は任務ではないですか」
「冗談だ」
兄弟で何気ない言葉を交わしていたら杏寿郎の胸元に収まっていたなまえがコロリと転がり、仰向けになった。杏寿郎と千寿郎のちょうど真ん中で相変わらずすよすよと寝息を立てるなまえ。そんな妹の頭を千寿郎は優しく撫でる。
「なまえは良い子ですね」
「そうだな、良い子だ。それに何より愛い」
「妹が出来るなんて思いもしませんでした」
「それは俺も同じだ。だが父上は更に想定外だっただろうな」
「確かに。娘ですからね」
想定外だっただろうが、それでも今やその槇寿郎すらもなまえを可愛がり溺愛している。何よりなまえを見る時の顔がとても柔らかいのだ。泣けば抱き上げ、どこか行きたいとなまえが言えば千寿郎も誘い連れ出し。
「この頃父上がお酒を以前のように買わなくなったんです」
「それは良い事だ」
「その代わり、お酒に費やしていたお金でなまえの着物や髪飾りを沢山買っていまして。あと僕には本を」
「よもや」
「なまえの着物すごい量なんですよ。あんなに買ってこられてはなまえも着きれないです」と千寿郎が苦笑いをすると杏寿郎も「違いない」と笑った。
「だが父上がなまえを大切に想ってくれるのは有り難い事だ」
「そうですね。ただあまりにも可愛がっているので、なまえが大きくなった時お嫁にいけるのか心配です」
「何を言っている。なまえは嫁には出さん」
「……兄上、僕は兄上のことも心配なんですよ」
嫁には出さんと即答する兄に千寿郎は溜息をつく。
これではなまえは結婚は疎か、初恋などしようものならこの家はとんでも無いことになるだろう。
「なまえを嫁に貰うと言うならば少なくとも俺と父上を超える男で無ければ」
「いませんよ」
あなた方は柱でしょうが。
千寿郎は言葉に出さぬまま再び大きく溜息をついた。何処の世に柱二人を超える強者がいるというのか。
「少し寝るか」
「そうですね…なまえを見ていたら僕まで眠くなってきました…」
うとうとし始めると千寿郎はゆっくり瞼を閉じる。その姿を見届けたあと杏寿郎は眠る弟と妹の姿にホッと溜息をつくと自分もゆっくり瞼を閉じたのだった。
「……」
杏寿郎が眠りに落ちてしばらく経ったころ。父、槇寿郎は部屋の中を見て小さく溜息をついた。
妙に静かだと思ったら。
部屋の中では自分の子供達が寝息を立てているのだ。杏寿郎に至っては任務から帰ってきたばかりだと言うのに羽織りと上着を脱いだだけで、シャツ姿のまま横になってしまっている。
柱である息子だ。どうせ汗の一つもかいていないのだろうが。
「…はあ」
槇寿郎はもう一度溜息を溢すと部屋を離れる。
千寿郎も寝てしまっているのだ。夕餉までにはまだ時間がかかる。そのまま自室に戻るのかと思いきや、槇寿郎は掛布を手に持つと再び子供達が眠る部屋へと戻ってきた。
なまえにかかっていた薄手の掛布はすっかり剥がれ、幼い娘の抱き枕となってしまっている。
持ってきた掛布を無言のままバサリと広げると三人にそれを掛けてやったのだ。
「…」
ガシガシと頭を掻くと槇寿郎は足を普段は踏み入れない台所へと向けた。
料理は得意じゃないんだが。肝心の千寿郎まで眠ってしまっているのだ。今日の夕餉が多少不味くとも文句は言わせまい。
そんな事を思いながら。
2021.10.03