ててて!といつものように走る少女は門の前でピタリと立ち止まると外を見た。

千寿郎と「黙って一人で家の外に行かない」と約束をしているので、なまえは門から出ないようにひょっこりと顔だけ出し左右を見た。

今日は杏寿郎が任務から帰ってくる日だ。昨日鎹鴉の要がそう連絡をくれた。そのため今日は町の子達と遊ぶ約束をしなかった末の妹は杏寿郎の帰還を待ち侘びていた。太陽も登っており昼時だ。千寿郎は兄の為に好物を用意しており風呂を沸かす準備も整っている。

なまえはキョロキョロと辺りを見回した後、むむむ…と眉を寄せた。千寿郎は杏寿郎のために家事炊事をやっている。そういえば父である槇寿郎も杏寿郎の為に彼の布団を干しているようだった。


「むう」


自分も何かできることはないだろうか。

そんな思いで辺りを見回していると、玄関へと続く足元の石畳みに砂と土、それから僅かだが枯れ葉が乗っていることに気付いた。ほけっとした面持ちでそれを暫く見つめた後、なまえは思い付いたようにピンと顔を上げると玄関へと向かった。

玄関を綺麗にしよう。兄が帰ってきた時喜んで貰えるように。そう思うといつも掃除している千寿郎の姿を思い出すと、玄関に立てかけられていた箒を手に取った。

なまえの小さな背丈には不釣り合いな長さの箒。それを手に取るとおぼつかない足取りでずりずりと運び出す。そうして小さな紅葉のような両手で箒の柄をむんずと握りしめると一生懸命掃き掃除を始めた。


「んんーっ…!」


さかさかと動かすがまだ幼子だ。背の低いなまえでは千寿郎のように箒を扱うことができない。それどころかさっきよりも玄関が散らかったように思う。大きい箒の扱いに慣れないなまえは眉を寄せた。

やりにくい。その一言に尽きるのだがこれから帰ってくる杏寿郎の為に自分のできる事を考えた結果が掃き掃除だったのだ。

ふんすっ、と鼻を鳴らすと負けじと箒を握り返す。門に背を向けたまま千寿郎の真似をするように必死に両手を動かした。


「…、?」


その時。なまえの身を覆うように影が乗った。誰かがなまえの背後に立ったのだ。影に気付いたなまえがふと後ろを振り返ろうとした時、それよりも早く背後の相手がなまえへと手を伸ばした。


「これはお前の背丈ではまだ合わないんじゃないか?」


優しい声。
それと同時になまえの持っていた大人用の箒が掴まれる。キョトンとした顔で振り返ると、そこには幼いなまえを優しい顔で見下ろす、宍色の髪の男がいた。


「……だあれ?」

「ああそうか。俺とはまだ初めてだったな」


なまえが箒を落とす事が無いように小さな手のひらの上に自分の手を重ね、支えるようにして握りしめる。次に男は視線を合わせる為、幼い少女の前に片膝をついた。


「俺は錆兎。鱗滝錆兎だ」

「う、うろ…?」

「錆兎でいい。苗字は師匠の姓を名乗っているんだ」

「さ、びと?」

「ああ」


にこりと微笑んだ錆兎になまえはパチクリと瞬きをさせた。


「あ、あの、えと……なまえ、れ、れんごくなまえです」

「なまえか」


ペコリと頭を下げて挨拶をしたなまえに錆兎は微笑むとヨシヨシと頭を撫でてやった。初対面だが錆兎にとってなまえという名は知らない名前では無かった。むしろ杏寿郎と会うたびに「俺の妹は!愛いぞ!」と散々話しを聞かされていたからだ。

この行儀の良さは元々の性格からか、それとも煉獄家の教育なのか。どちらにせよ一生懸命挨拶をするなまえを微笑ましく思い、まるで初めて名前を知ったかのように「いい名前だな」と返した。


「俺の事は錆兎と呼んでくれ。お前の兄と同じ鬼殺隊の人間だ」

「さ、…さ、さび、と?」

「何だ?」


首を傾げ返事をした錆兎の表情があまりにも優しくて、なまえはヒョエっとたじろぐ。どこかそわそわとした様子で辺りを見回し、それから再び錆兎をそっと見た。

その視線にまるで応えるように。にこり、と彼が微笑んだ。


「ッ!」

「なまえ、杏寿郎かそれかお前の父上はいらっしゃるか?」

「あ、あの、父さまならいるけど、杏兄さまはいなくて…にんむ、だから」

「そうか杏寿郎は任務だったのか」

「う、うん、でももう帰ってくるよって、千兄さまが…」


初対面の、しかも大人の男性を相手に必死に説明をしようとするなまえの拙い言葉を錆兎は遮る事なく、うんうんと頷いて聞く。
大の男に見下ろしてしまっては怖いだろうという思いから錆兎はその場に膝をつき視線を合わせたままだ。

なまえはというと、言い表せない感情が胸の中に渦巻いていた。これまで杏寿郎の紹介で何人かの柱達と会ったことはあったのだが、何故だろうか錆兎が相手だとどこか緊張するような妙な感覚。真っ直ぐに見つめられるとむず痒くて視線を落としてしまう。


「だからお前は掃除をしていたのか?」

「え、」

「杏寿郎が帰ってくるからここを綺麗にしていたんだろ?」


掃除はあまり上手くは出来なかったが。それでも大好きな兄が帰ってくるのだから何かしたくてたまらなかったのだ。

錆兎からの問いかけになまえは恥ずかしそうにコクンと頷いた。


「すごいな、お前は優しい子だ」


ぽんと再び頭を撫でられたかと思えば、目の前の錆兎は優しく青空にも似た笑みを浮かべた。その瞬間。



キューーーーン!



と、恋の音が一つ。
なまえは自分の胸を大きく高鳴らせたのだ。

途端に「あうあう」と言葉を失いカアアっと頬を赤らめさせる。「大丈夫か?」と錆兎が尋ねると同時にダダダダダ、と大きな足音を立て家屋を猛ダッシュしてくる音が一つ。そしてドドドドド、と地響きと砂埃をあげ屋敷の外から猛ダッシュしてくる音が一つ。

合計二つの音が聞こえたかと思った瞬間。


「何があった!!!なまえ!!!!」
「今帰ったぞ!!!なまえ!!!!どうした!!!」


張り上げられた父兄の声。最後にやってきた千寿郎が顔を覗かせると「あっ錆兎さん、ご無沙汰しております」とにこやかに挨拶をした。


「ああ、杏寿郎か。今戻ったのか?槇寿郎殿、お久しぶりです。千寿郎は前に会った時よりも大きくなったな」


腰を上げ背筋を正すと流暢に煉獄家の三人へ挨拶をする錆兎。

なまえは錆兎の手が自分から離れると同時に千寿郎の元へと駆け出す。カランカランと箒が石畳に倒れるのも気に留めず、小さな兄の背に身を隠すと腰にギュウとしがみついたのだ。


「なまえ?どうかした?」


心配気に千寿郎がなまえの様子を見るが妹は腰にしがみついたまま微動だにしない。


「少し話しをしていたんだ。俺とはまだ初めてだったからな」

「ああそう言えばそうでしたね。なまえ、錆兎さんにちゃんとご挨拶はした?」

「…」

「なまえ?」


いつもなら「うん!」と明るく返事をして太陽の笑顔を見せる妹が黙り込んだまま、何も言わない、動かない。流石に様子がおかしい。


「なまえ?」

「千寿郎、大丈夫だ。しっかりと挨拶をしてくれた」

「そうですか、それならいいんですが」


この様子をザワザワと胸を騒つかせて見守っていたのは父兄の二人だ。いや見守っていたのではない。嫌な予感が身体中を駆け巡り何も言葉を発する事が出来なかったのだ。


「ッ…錆兎!!!!!」


ようやく口を開いたのは杏寿郎だった。あまりに大きい声量で名前を呼ばれ錆兎は思わず目を見開かせたがすぐに笑い「ははは。相変わらず凄い声だなお前は」と爽やかに言ってのけた。

ギュウ

錆兎が笑うと、千寿郎の腰を掴むなまえの力が強くなる。


「用があるならば他所で聞こう!!茶でもどうだ!!」

「いや。お前は帰ってきたばかりだ。俺と茶なんて飲むより家族との時間の方が大事だろう」


そう爽やかに言われてしまっては何も言えなくなる。


「それになまえがお前の帰りを待って掃除までしていたんだ」


「そうだろう?」と優しく問われなまえはこっそりと千寿郎の影から顔を見せると、チラリと錆兎を見上げる。幼い少女からの視線を受けて錆兎は優しく口元に笑みを浮かべて見せた。

ポポポポポ。

その途端、音を立てて頬を赤くさせたなまえ。

その様子に千寿郎は(あ、もしかして)と事の次第を察し、槇寿郎と杏寿郎の父兄の二人はヒュッっと音を立てて息を吸った。

もじもじと恥ずかしそうに千寿郎の後ろに身を隠し、チラチラと赤い顔で錆兎を見上げる。

それは正に、恋をした乙女の顔だった。


「錆兎!!誘っておいてすまないが!!これから家族団欒!!水入らずの時間だ!!!水入らずだ!!!水!!入らず!!今日の所はお引き取り願いたい!!!」


水入らずを強調した兄に、千寿郎は溜息をつく。
もしその水のという単語に水柱である彼の立場をかけているのであれば、残念ながら座布団は没収せざるを得ない。


「ああ、それは構わないが帰る前に槇寿郎殿に話しがあってな」

「俺に何の用だ」


今度はこちら。
子を守らんとする虎の様な形相で錆兎を睨み付けるのは槇寿郎だ。娘の初恋が今まさに目の前の男によって奪われてしまったのだ。呼吸を使わずとも炎虎をぶっぱなして来そうな勢いで睨む。しかしその虎を擬人化したような槇寿郎を前にしても錆兎は臆するどころか動揺した様子一つ見せずにサラサラと流れる川のせせらぎのような爽やかな表情を見せた後キュッと表情を引き締めた。


「恐れながら先代の炎柱殿に稽古をつけて頂きたく」

「……何」

「槇寿郎殿のように実力も実績もある方に一度俺の剣を見て頂きたいのです」

「俺はもう柱を辞している。お前に稽古はつけん」

「ですが、」

「いいか!!お前にだけは稽古はつけん!」


これは嫉妬からくる、ただの八つ当たりである。
その証拠に「お前にだけは」の“だけは”に込められている。

兄に引き続き。あまりにも露骨な態度をする父の姿に「父上…」と千寿郎が呆れ混じりに溜息をついた。


「帰れ!!」

「槇寿郎殿、しかし」

「しかしも何もあるか!!」


娘の初恋奪いやがって。
と心の声が聞こえてくる気がした。


「父上もこう言っている!!錆兎!今日の所は諦めてくれないか!!」


ああでもない、こうでもないと言い合う大人達。いや錆兎は首を傾げているだけだ。槇寿郎と杏寿郎に至っては完全になまえを取られたヤキモチでしかない。「お二人ともそこまでにしてください」と千寿郎が静止するが全く聞く耳を持たない。


「錆兎!!そもそも君はどういうつもりだ!」

「何の話しだ?」

「相手はまだ幼気な子供だ!」

「杏寿郎すまん。話しが全く見えんのだが」

「君はいい大人だろう!」


杏寿郎も大概いい大人であるが妹の事になるとこれである。

錆兎は二人の怒りの理由を理解していない。まさか自分が初恋泥棒をしただなんて思ってもいないのだ。

その光景を黙って見ていたなまえは少し困惑した様子で父兄と錆兎を見比べた。幼いなまえにはこの状況の原因が全く理解できていない。出来ていないのだが父兄が錆兎に詰め寄っているのだけは見て取れてしまったのだ。千寿郎からパッと離れると走り出し錆兎を自分の小さな背に庇うようにして父兄の前に立つと、


「い、い、いじめちゃダメーー!!」


そう言い放ったのだ。

精いっぱい錆兎を守ろうとしたのだろう。少し驚いたあと錆兎は幼い少女の背中を見て眉を下げ微笑む。

一方可愛い娘、愛しい妹に怒られビシッと固まったのは父兄の二人。まさかなまえから怒られるなど想像していなかったのだろう。衝撃のせいか呼吸すら止まっている。


「なまえ違う、大丈夫だ。二人は俺を虐めていない」

「え……そう、なの…?」

「ああ。俺の来る間が少し悪かったんだ。だから二人を怒らないでやってくれないか?」


これぞ大人の対応。
ぱあっと明るい表情で錆兎を見たのは千寿郎だった。
錆兎の言葉には説得力があるのか、なまえもチラリと父兄を見た後コクリと頷いて「うん」と答えた。


「なまえは優しい子だ。今度また改めて遊びに来てもいいか?」


ポンとなまえの頭を撫でた錆兎の手。
ぼんと音をたて真っ赤になったなまえの顔。

カァァと頬を赤くさせるとコクコクと何度も頷いて見せたなまえに、父兄は何か言いたげに目を見開き口を開きかけるが先程なまえから叱責された精神的ダメージが残っているのだろう。何も言えず押し黙るだけになっている。

ぽんぽんと数回なまえの頭を撫でると錆兎は腰を上げた。


「杏寿郎、任務終わりだというのに騒がせてすまなかったな。また改める事にする」


そう言ってスッと頭を下げると「では」と言い煉獄の面々に背を向け立ち去ってしまう錆兎の背中をなまえは門の外から見えなくなるまで見送っていた。


「「千寿郎ッ!!!」」

「撒きませんよ、塩は」


二人が言い切る前にカウンターのごとく言い返すと「しかしだな!」だとか「なまえが!」だとか騒ぐ二人に対し千寿郎はニッコリ笑ったまま「撒きません」と再度言い切った。

自分の背後で父と兄達がやいのやいの騒いでいるというのに。錆兎の背中を見送るのに夢中ななまえには一切三人の声が届いていなかった。



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大人気なさすぎる父兄と、大人な千くん。

錆兎、生存ifです。
解釈違ったらごめんなさい。
彼は女子供やご年配には優しそうなイメージ。
稽古とか任務の時は男女関係なくめっちゃ厳しそうですけどね。

2024.05.10



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