リンにとって、幾星霜の年月を過ごしたホグワーツで一番落ち着く場所は此処だった。
薄暗く、冷え切り湿った空気が満ちた、地下牢教室と呼ばれる、今の彼女の城である。
彼女の恩師でもある闇色が今の彼女と同じ地位にいた頃とそっくりそのままと言っていい。
それほど、闇色と過ごしたこの空間を、リンは愛していた。

「………見事に、私がいた頃と同じだな」
「えぇ」

持ち運びが出来る様にと、リンが新たに描いた小さな肖像画に闇色はいた。
額縁、マグル界に於ける写真立ての様なそれに収められた闇色は、一段高い場所にある教員用の机から教室を見渡し、溜息混じりにそう漏らした。
リンはその答えが予想済みだったのか、ただ薄らと微笑みを浮かべる。
なにもここまでそっくりそのまま写し取ったかの様に部屋を作らなくても良いのではないかと闇色は思ったが、言ってしまえばまた彼女のいわゆるマシンガントークでねじ伏せられてしまうだろう。
元から饒舌ではなかった彼は、いつだってリンに舌戦で勝てた試しがなかったのだ。
そもそも、幾星霜を繰り返し数千年の時を重ねたのだという女性である。
勝てる見込みは、どこにもなかったのだが。

「だって教授、“この部屋”が、私にとっての“魔法薬学の教室”なんですよ。“これ”が、そのまま私の世界そのものでした」
「………あぁ」
「だから、“こう”すると決めていたんです。貴方がいたあの頃の様に、今度は私が、ここで生徒に教えるんです。ねえ、私の夢がまた一つ、叶ったんですよ」
「………そう、か」

心底嬉しそうに笑うものだから、闇色はそれ以上なにも言えなかった。
普段ならば、嘗ての彼であったならば、その口から憎まれ口のひとつやふたつは出ていたのだろうが、それも闇色がリンへ向けた想いを自覚してからは、形を潜めていた。
自覚したとしても、それを告げるつもりなどはないのだが。
何せ既に死に、絵画の住人となった身である。
いくら彼女が告げた真実があるとはいえ、自分の言葉がリンにとりどれだけ重いものなのかを知っているのだから、告げる気などは毛頭なかった。
ただ、このままの関係でいられればそれでいいのだと、自分に言い聞かせている。

「もうすぐ、新学期です」
「あぁ。……緊張でもしているのかね?」
「…そうかもしれません。貴方ほど、巧く教える自信がなくて」

どこか遠くを見る様な、憧憬の色を濃く宿した黒曜石が揺れた。
あらゆる意味で、リンにとってこの場所は“特別”な場所だった。
その黒曜石の奥に映るものは、嘗て生徒として過ごしていた頃のものだろうか。


(かつては貴方の、今となっては私の、)
(二人きりで過ごした、せかいのはこにわ)



「、あぁ……眠っていたか。……このような身体になっても睡眠を必要とするとは……全く、あれも素晴らしい魔女になったものだ……」

ふと浮上した意識に光を見た闇色は零す。
どうやら、式典に出ているリンを待つ内に眠ってしまったらしい。
夢に観たのは数日前の、過去をそのまま切り取った様なあの教室での一幕だった。
主のいない部屋は暗く、そして静かだ。
大広間から遠く、何よりも地下にあるこの教室に喧騒は届かない。
ふと観た時計は夜の九時を指していた。
ならばそろそろ戻る頃だろう。

(………幾星霜を、繰り返したと言っていた。ならば、この程度は造作もない事という訳か…どれほどの魔力を内包しているのか、底が見えんな)
(……ここも、屋敷とは違う。私がいた頃そのままを写し取った様な……独学で此処までの魔法を完成させるとは、)

言うなれば、薄い画面一枚を隔てた世界と言うのだろうか。
生前の頃そのままに、絵画の中という制限こそあれど自由に動き回り、生前とそっくりそのまま同じ生活をしているのだと思う。
空腹や睡眠欲は然程感じなくはなったものの、全く必要としないわけではないのだ。
とはいえ、その食事や何やらも、リンが杖をひと振りすれば絵画の中に現れる。
恐らくは、描いた本人であり術者であるリンだからこそ出来る事なのだろうが。
それでも、こんなにも完成度の高い、ある種では閉じ込める為、監禁する為の魔法を、闇色は知らなかった。
長らく闇の陣営に身を置いていても尚、だ。
その本質は“執着”であり“恋慕”であり、そして“狂気”なのだろう。
そのみっつが融け合って、形を成している。
闇色は、自らに掛けられたリンの魔法を、そう解釈している。
そして今の自分は、リンの魔力に囚えられているのだと。

(………だが、悪くはないな………)

それは償いであり贖いであり、何よりも生前応えてやる事が出来なかった後悔の念であり。
決して後ろ向きな想いの塊ではない、確かに心に在る黒曜石の為の物なのだが、それでも闇色の心には永く白百合しか居なかったのだから、その不器用さも当然なのだろう。
生涯のほぼ全てを掛けて、白百合を、エメラルドを愛していたのだから。

(………此処は、)

その心の片隅に、いつしか黒曜石が在った。
何時からなのかは解らない。
それ程、まるで隣に在るのが当然なのだとでも言う様に、黒曜石の少女はいつだって闇色の隣に在った。
だから、最も長い時間を過ごしたこの場所が、闇色にとってもリンにとっても、何よりも思い出深い場所なのだ。


***


一方その頃、大広間では新年度を祝う食事が行われていた。
在学生であった頃とは違い、一段高い場所にある教員用の一席に黒曜石は在った。

(……教授、大丈夫かな。あの部屋、教授がいた頃とそっくりそのまま同じだから、落ち着かないってことはないと思うけど)

目の前の食事を心此処にあらずといった様子で口に運びながら、リンは闇色に想いを馳せていた。
在学生だった頃と違う景色は新鮮だったが、それでも晴れない心はきっとこの2年間共に在った闇色と離れているからだと、リンは自覚していた。

(………でも、まさか一緒に来てくれるとは思わなかったなあ。てっきり、屋敷に居るんだと思ってたけど……それだけ、心配してくれてるのかな……)
(ああ、そういえば、こんなに長い時間離れてるのって二年ぶりだ)

何よりも、誰よりも生きる事を希った存在は、文字通りの最愛となって、幾星霜の時を巡れども永くリンの心に在り、共に過ごす様になってからは片時とて離れた事もなかったのだから、こうして離れて感じる虚無感にも似た心の空白は当然だったのかもしれない。

(……ああ、もう…。早く、終わらないかな。教授に逢いたい……)

何よりも愛おしい闇色を想いながら、溜息と共にゴブレットを煽った。



安寧の闇に耽溺
(ただいま戻りました、教授)
(あぁ。随分と遅かったな)
(…スラグホーン教授に捕まっておりまして)
(………そうか)
(お変わりない様子でしたよ、色々な意味で。相変わらず、私をコレクションと視ておいででした。不愉快極まりない)
(………ああ、君は彼が嫌いだったな)
(まぁいずれ椅子は奪ってやりますが)
(…………やはり、君はスリザリン生だな)



♪ ────────────── ♪

ホグワーツで助教授になりました篇。
教授の存在は誰にも内緒。
もちろん自室は魔法で厳重に施錠した上マフリアート掛かってる。

スラグホーンはリンの事を「ホグワーツ始まって以来の才女」としてコレクションしたがってて、在学中はスラグクラブにしつっこく誘われた事もあって苦手意識が高い。
ただ魔法薬学教授としての腕はスネイプに並ぶものがあると認め、尊敬している部分もある。

♪ ────────────── ♪

ALICE+