Season0_01

ボイスドラマより前の話



 ショーレストランのスターレスには舞台に立つスタッフの楽屋、レッスン室の他にとある人物の専用部屋がある。
 店の奥にあるその部屋へ向かうモクレンの足に迷いはない。途中で誰かに声をかけられたようだが全て無視をした。
 辿り着いた部屋の中からは忙しなく機械音が聞こえるがそんなもの知ったことではないと無遠慮にドアを開ける。

「名前、暇だな? ちょっと付き合え」

 名前と呼ばれた男は伏せていた顔をあげてモクレンを確認すると、困り眉をさらに下げた。

「部屋に入るときはノックをするものだよ」
「どうでもいい。私は早く踊りたい」
「お忘れかもしれないけど私はもうパフォーマーじゃなくてデザイナーなんだけど」

 この部屋の主である名前はスターレス専属のファッションデザイナーだ。
 まだチームが別れていなかった頃はパフォーマーとして舞台に立っていたのだが、趣味で作っていた服を見た演出家の夫妻にその才能を認められデザイナーとして働くこととなった。
 それからは全ての舞台衣装を作り上げ、裏方としてスターレスを支えている。
 だが、モクレンにとってそんなことはどうでもいいことであった。

「踊れなくなったわけじゃないだろう?」
「まぁ、そうだけど……今はちょっと手が離せないんだ」

 いつもであれば、なんだかんだと言って付き合ってくれる名前だったが今回は歯切れの悪い返答をする。
 その理由は彼の専用ミシンで途中まで縫われている引き裂かれた衣装が原因だろう。

「苛立って自分で破いた服くらい自分で直させればいい」
「黒曜にやらせたら余計にひどくなるだろ」
「あいつは乱暴だからな」

 客足が遠のきショーのクオリティが下がっていることだけじゃない。スターレスの最初期からいるメンバーの中で黒曜だけがここに残った。
 そのことが黒曜に不安や怒り、言葉には表せない複雑な感情を与えている。
 詳しいことは知らないがそんな心情を察している名前は、自分の手がけた衣装を裂かれても責めることはなかった。

「不器用なだけさ」

 元々、スターレスのショーには激しい演出もある。
 衣装に支障が出るのは想定内だ。自分はほつれた糸を修復して完璧な衣装を身に付けた皆を舞台へ送り出せばいい。
 それが仕事なのだ、と名前は自分の中でそう解決していた。
 ミシン台に向き直って作業に戻った名前は部屋の隅に置かれた仮眠用のソファを指差す。

「というわけで私はパスだ。代わりにそこで寝ているメノウを連れて行ってくれ」

 そう言われモクレンは布切れが散らばる床をツカツカと歩いてソファで寝ているメノウを見下ろした。
 彼としてはレッスンに付き合ってくれるのであれば誰だって構わないのだ。

「起きろメノウ」
「ん〜モクレンだ……なぁに?」
「早く来い。レッスン室へ行くぞ」

 レッスン室という単語に素早く反応したメノウは、つい今しがたまで眠りに落ちそうなトロンとした瞳を見開いて勢いよく上体を起こした。

「分かった行く。早く踊ろうモクレン」

 寝起きとは思えないほど機敏に動くメノウを連れて部屋を出て行こうとしたモクレンだったがドアの前に人の気配を感じて足を止める。
 するとノックもなしに開いたドアから顔を覗かせたのは、ホストクラブで働いていても違和感がない程整った容姿の銀星であった。
 相手が彼だと分かったモクレンは口元にうっすらと微笑を浮かべ歩みだす。

「名前ちょっといいか、俺の衣装なんだけどさ──」
「丁度いい。銀星、お前も来い」
「は? え、なに?ちょ、引っ張るなよモクレン!」

 この部屋にモクレンがいるとは思っていなかったのと、突然腕を掴まれ引っ張られたことに驚きつつも抵抗する。
 だがもう片方の腕も誰かにがっしりと捕まれてしまい慌ててモクレンから視線を外した。

「行こう銀星」
「メノウまで!?」

 メノウが起きていて、しかもやる気スイッチが入っている状態であることに銀星の頬に冷や汗が浮かんだ。
 スターレスの中で"ダンスができればそれでいい”スタンスの二人に挟まれてしまえば、この後なにが起こるかなんて想像しなくたって分かる。
 両腕を塞がれてしまえば抵抗だってままならない。

「おい名前っ、助けてくれ!」
「私は仕事中だ。諦めろ」

 ミシン台から視線を外すことなく我関せずと作業を進める名前には、銀星の助けを請う必死な叫びも届くことはなかった。
 騒がしくしながら三人が出て行きドアが閉まると部屋の中はミシンと布の擦れる音だけで包まれる。
 賑やかなのが決して嫌なわけではないが、名前はこの作業音だけの空間がとても好きだった。
 雑音がなく時間を忘れて服を作れるこの空間が何よりの癒しで、何日も寝ずに作業していた時もあるほどだ。


 三人が出て行ってからどれくらいの時間が経っただろうか。
 同じ体勢だったせいで固まった体を解すように背伸びをして、かけていたレンズに色の入った丸眼鏡を外しテーブルに置いた。
 気付かぬうちに疲労が溜まっていたのか目の奥に少しばかり痛みが走り瞼を閉じると、ガチャリとドアの開く音が聞こえた。

「相変わらず汚ぇ部屋だな。少しは片付けたらどうだ」

 ノックもなしにドアを開けて入ってきたソテツは、布や型紙が散乱する部屋の有り様に呆れた声を出す。

「入ってきてそうそう失礼な物言いだね。あと、ノックを忘れているようだけど?」
「ん? あぁ、すまねぇ」

 言葉とは裏腹に反省の色を見せないソテツがゆったりとしたイスに座る名前へと歩みより、するりと白い頬に手を添えた。
 親指でそっと影を作った目元を撫でるその自然な動作を、名前は静かに受け止める。

「お前、また寝てないだろ。隈ができてる」

 比較的に普段は穏やかな表情をしているソテツの眉が顰められた。
 スッと離れた手の温もりに目を細めた名前は顔を逸らし、テーブルに置いたままだった丸眼鏡をかけ直して少しヨレてしまった布を整える。
 だが作業を再開することはできなかった。頬の次は手を重ねるように掴まれて作業中断を余儀なくされたのだ。

「少し寝たらどうだ」
「今夜のステージで使う衣装がまだ直ってないから寝るわけにはいかないよ」

 確かにショーが始まるまでに衣装が間に合わないのはまずいが、寝不足の状態のまま作業を続けさせて名前が倒れてしまうのをソテツは避けたいと思っている。
 そこでソテツが出した答えは、言葉での説得ではなく強硬手段であった。

「っおい、ソテツ!」

 身長差も体格差もあり、おまけにパフォーマーを引退した名前を抱え上げるのは容易なものだ。
 急な浮遊感に驚いて固まってしまった体を部屋にあるソファへと下ろし、起き上がらないように上から押さえつけた。

「いいから寝ろ。一時間経ったら起こしてやる」
「三十分で起こして」
「一時間だ」
「……分かったよ」

 文句でもあるのか? と声に出さずとも語る表情を見上げた名前は観念したように体の力を抜いてソファへ身を預ける。
 大人しく瞼を閉じるとようやく体への圧がなくなり、静かに深呼吸を一つ。
 最後に寝たのは確か一昨日の昼間だ。それから全員の衣装チェックをして、黒曜の衣装直しが急に差し込んで、それで──。
 思ってた以上に疲れが蓄積されていた脳と体はあっという間に眠りへと落ちていった。

 規則正しい寝息が聞こえ始め、ソテツは安堵の息を吐いた。
 ここまで世話を焼いてしまうのはただ単に付き合いが長いというだけじゃなく、名前が寝不足で倒れた過去があったからだ。
 しかも倒れた彼を一番最初に発見したのがソテツだったのだから、心配性になってしまうのは仕方がない。
 寝ている名前から丸眼鏡を外していると部屋のドアが数回ノックされた。

「名前さーん、入るッスよー」

 ドアを開けて入ってきたのはカスミだったが、彼はすぐにソファで横になっている名前に気がついた。

「もしかして寝てるんスか」
「あぁ。こいつになにか用だったか?」
「そろそろ部屋の片付けが必要になりそうかなーと思って来たんスよ」
「ま、確かに必要だな」

 ソテツはソファから離れて持っていた丸眼鏡をテーブルへと置き、床を見渡した。
 散らかっているのはなにも床だけではないのだが、使うのか使わないのかよく分からない布切れや型紙や糸くずが散乱している。
 一部の床はすでに足の踏み場もない状態だ。
 部屋の主曰く、片付けるのは苦手ではないのだが作業に集中するとどうもおろそかになってしまう、らしい。
 だからメンバーの中でも片付けの上手いカスミと真珠はよくこの部屋へとやってきてはお手伝いをしているようだ。
 しかし今この部屋の主は就寝中である。

「悪いが一時間後にまた来てくれ」
「了解ッス」

 せっかく寝かせた名前を起こしたくないというソテツの気持ちを察したカスミは、音を立てずにドアを閉める配慮を見せながら静かに部屋を後にしたのだった。



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