柘榴

※夢主のデフォ名を柘榴にしていたので……



 珍しくアトリエから出てきた名前はすぐに自分の行動を後悔することになった。
 ファッションデザイナーであるからいずれは出会わなければならない相手が狐のような笑みを浮かべてこちらへと歩み寄ってくる。貼り付けられたその笑みに名前は知らずのうちに眉間にシワを寄せた。自分が初対面の相手に不快感を露にするのは珍しいことだ。

「これはこれは、お初にお目にかかります。ワタクシ柘榴と申しまして」

 ──柘榴。耳に慣れ親しんだその名前は少し前まで自分が呼ばれていた名である。
 柘榴と名乗る男がスターレスにやってきてから今日まで会うことがなかったのは名前がアトリエに籠っていたのはもちろんのこと、男のほうから出向いてくることもなかったからだ。できることなら顔を合わせることなく日々を過ごしたかったが、店でパフォーマーとして働くことになったとケイから伝えられた時にその願いは虚しくも消え去った。

「初めまして、私は名前。スターレスのデザイナーをしている」
「おやおや、人違いでしたかな。ここにはワタクシと同じ柘榴と名乗るデザイナーがいると聞いていたのですが」
「以前はそう名乗っていたよ。別に君がここへ来たからという理由で名前を変えたわけではないから気にしなくていい」

 名前が柘榴という名を貰ったのはパフォーマーとしてスターレスで働くことになったからであって、裏方に徹するようになった今となってはスターレス特有の鉱物か植物由来の名前に拘る必要はない。最近まで名前を変えなかったのはその必要がなかっただけだ。店を移転してから日に日に増えるパフォーマー達を見て、柘榴という名前を使う人間が来るかもしれないと考え始めてはいた。
 そこへタイミングを見計らったかのように現れたのが柘榴と名乗る男だ。銀星とギィを故意に競わせた挙句、シンガーでありながらチームKにパフォーマーとして入ったらしい彼の思惑は全く読めない。

「そうですか、そうですか。ワタクシはてっきりアナタに名を変えてくれと言われるのではないかと懸念していたのですが」
「ここでは……私は、パフォーマーを優先に考えるべきだと思っている。君がパフォーマーとしてここにいるのなら、柘榴の名前は君が使うべきだ」
「随分と献身的で素晴らしい考え方をしていらっしゃる。はてさて、しかしそれは本心ではないのでは」
「……何が言いたいのかな」
「いやはや、アナタは臆して逃げているだけなのではないかと」

 心臓を掴まれたような気分だ。
 人に対して苦手意識を持つのは珍しいことだった。元々、そういった相手とは無意識に距離を置いたり最初から関わろうとしないからだ。柘榴に対してそういった気持ちを向けてしまう理由を今ようやく理解することができた。いや、認めることができたと言ったほうが正しいだろうか。
 狐のように細められた目にはなにが視えているのだろう。情けない名前の姿が映っているのだろうか。

「私はもうパフォーマーではないから……必要ないんだ」
「なるほどなるほど。どうやらアナタは不器用な人のようで」

 必要ないと言いながらも拘っているのは自分だ。本音は誰にも言えない。言う資格がない。もうステージに立つ身ではないのだから。

「おい柘榴」

 低音の心地のいい声が耳に届いた。しかしそれはもう自分を呼んでいるのではない。もう、呼ばれることはない。それがとても寂しいと、悔しいと、心の奥で叫んでいる気がして泣きそうになる。

「なにか?」
「今日のシフトお前だろ。さっさとホールに来いって黒曜が呼んでるぜ」
「これはこれはご親切に。では名前殿、いずれまた」

 去っていく柘榴の背中から視線を外して振り返るとどこか機嫌の悪そうなソテツがいる。聞かれていたのかは分からない。だが、もしソテツが先ほどの会話を聞いたとしても理解することはできないだろう。吉野であればおそらく察していたかもしれない。奪われる焦燥は彼には解らない。

「顔色が悪いな。あいつになにか言われたか?」
「いや……寝不足が続いているからその所為だろう」

 用事があって出たはずのアトリエに戻ろうと歩き出すと体を支えるように暖かな褐色肌の手に肩を緩く掴まれた。そこで初めて自分の肩に力が入っていたことに気付く。
 臆病者だと、自覚させられてしまった。何年も柘榴としてスターレスで過ごしてきたのだ。思入れだってある。だけどパフォーマーをやめた自分が勝てるわけがないのだ。負けて、お前はもう柘榴じゃないと告げられてしまうのが恐ろしくて自分から手放した。闘うことすらせずに逃げて、諦めた。

「ソテツ。嘘でもいい……私が必要だと、言ってくれないか」
「嘘でいいのか」
「構わないさ」

 ただ、名前を捨てただけだ。居場所を奪われたわけじゃない。それは理解っている。でももうここには”柘榴”だった頃の自分はいない。いるのはあの頃の自分の誇りとプライドを捨てて逃げ出した惨めな自分だけ。誰かに縋らなければ存在価値を見出せない、哀れな自分だけ。

「お前が必要だ、名前」

 ──自分を示す大切なものを守ろうとしない私は偽りの言葉にさえ縋るしかないのだ。



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