ピーニャ

※本編直前

 まとめ役としてスター団の様々な雑務を熟しながら、あくタイプのポケモンについての勉強を進めるピーニャの手元には『ポケモンタイプ別の育て方:応用編』と書かれた本があった。いくつもの付箋が張られたその本をパタンと閉じて、同じ体勢で凝り固まってしまった肩を解すように回す。

「そういえば生徒会長をやってた時もこんな感じだったなぁ……」

 あの時は適度に休憩に誘ってくれた友達が傍にいた。今でこそ不良と呼ばれるのは自分だが、外見だけで言えば彼もその部類に入るだろう。出会った日のことはよく覚えている。きっちりと制服を着用している新入生の中で彼の存在は目立っていたから。そのせいか初めて言葉を交わした時の印象は強く残っていた。
 と、懐かしさに顔がほころんだところで苦い記憶も呼び起こされてしまい頭を振った。あれこれと脳を使いすぎて疲れたせいで余計なことまで思い出しているに違いない。そう考えて気分転換に散歩でもするかとテントを出れば外はすっかり夜だった。
 アジトを離れ、時々聞こえてくるポケモンの鳴き声を聞きながら暫く歩いていると草むらの奥のほうが何やら騒がしいことに気付く。野生のポケモンたちが争っているのだろうか。そう思いながら足音を立てないよう慎重に草むらへと入っていくが、夜の闇に紛れてポケモンの姿はよく見えない。興奮したように上がる鳴き声から察するにおそらくヤミカラスだろう。バサバサと羽ばたく音も聞こえる。何をそんなに騒いでいるのかはもう少し近づけば解るかもしれない、と進めようとした足はその場から動くことができなかった。不意に人の声が耳に届いたからだ。

「ヘルガー、ハイパーボイス」

 暗闇からモンスターボールが投げ込まれ、そこから飛び出してきたヘルガーが大きく口を開く。辺り一帯を轟かせる程の大きな鳴き声は振動となり群れを襲った。繰り出された技を受けたことで驚いて散り散りに飛び去って行ってしまうヤミカラスたち。その向こうでヘルガーが後ろを振り返ったのが見えた。
 ヘルガーは野生でも見かけるし手持ちに加えてる人もそれなりにいる特別珍しいポケモンではない。けれど一人だけ、小さい頃からずっと一緒だと語りその絆の深さを自慢するように相棒を紹介してくれた人物を知っている。心臓がドクドクと忙しなく動いている気がした。緊張からか掌にはじわりと汗が滲む。
 草を踏みしめ擦れるような音とともに雲に隠れていた月が姿を現していった。ゆっくりと、ヘルガーの傍に立った人物の顔が月明りで浮かんでいく。見間違えるはずもない。彼だ。生徒会長を降ろされてから会話をすることが減り、スター団を結成してからは声をかけることさえ諦め、スター大作戦の後に向けられた言葉を最後に顔を合わせることさえなくなった、アカデミーに入学して初めてできた友達。

「大丈夫だ」

 もう随分と聞くことのなかった優しさを含んだ声にハッとした。距離があるせいかそれとも自分が木の陰にいるせいか、彼はこちらに気付かないままヤミカラスたちが群がっていた場所に近づいて膝をつく。そして何かを怖がらせないように低い位置から手を伸ばした先にいたのは色違いのヤミカラスだ。怯えた様子で威嚇し彼の手を突くように攻撃すると控えていたヘルガーが警戒を露わにする。それを制した彼はもう一度手を差し伸べた。

「おいで。俺はお前を傷つけたりしない」

 静かな夜に溶け込んでしまいそうな彼の声に耳を傾けながら無意識に唇を引き締める。それは自分が心の底から望んだ言葉。救いを求めた温もり。けれど全てはもう過去のこと。
 ヤミカラスはじっと彼を見つめると今度は探るようにしてくちばしで軽く突く。そして傷付いた体を起こすと掌の上に体重を預けるようにして力を抜いた。その小さな体を丁寧に腕に抱き、カバンからおそらくキズぐすりを取り出したのだろう。弱ったヤミカラスにそれを吹きかけてから両手で抱え直し立ち上がった。ポケモンセンターに連れていくのだろうかと観察していると彼は来た道は戻らずこちらに向かって歩いて来る。ピーニャは慌てて近くの木の裏に隠れた。
 そして後悔した。隠れる必要なんてなかったと。
 共にスター団を結成した仲間たちにはそれぞれ好みのポケモンのタイプがあった。元々タイプにこだわりは持っていなかったが、いじめっ子を見返すために少しでも自分を強く見せたかったからあくタイプを選んだ。自分の持つ"ボス"のイメージが悪というのも一つの理由かもしれない。こういう時、頭の固い自分はいつも形から入ってしまう。本当は自分に合った、これまで育てていたポケモンと一緒に戦うのが一番いいことだと解っているのに。それでもいじめられていた自分を変えることを考えれば扱うポケモンを見直すのはいい機会だったのかもしれない。それにあくタイプは扱うのに苦労するということはよく知っていた。

『どれだけ見た目が可愛かろうと、縄張り意識が強くて気性も荒い個体が多い。だから生半可な気持ちで手ェ出すと大変だぞ』

 そう教えてくれた友達がいたから。むしろ、だから選んだのかもしれない。彼と同じ視点に立てばもう一度仲良くなれるかもしれないと期待して。
 けれどそれは甘い夢物語だった。物事はそう上手くは運ばない。結局彼には呆れ果てられてしまった。見下ろした両手にはいくつもの切り傷の痕がある。ちゃんと知識を身に着けてから世話しないと怪我するぞと口酸っぱく言われていたのに、初めて捕まえたコマタナの扱いは難しく強くするのにも一苦労だった。もし今、彼が隣にいたらどんなアドバイスをしてくれるだろうか。
 木の陰から少し顔を出したピーニャはここから近いポケモンセンターへと向かう友達に声をかけることもできず、遠ざかっていく背中をただ見つめることしかできなかった。



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