ネモ

 アカデミーには生徒の模範となる生徒会の他に風紀を取り締まる風紀部なるものが存在している。しかし顧問となる教師はおらず部員と呼べる生徒も一人だけ。おまけにその生徒本人自体がやや風紀を乱す風貌であった。といっても問題になる程の人物ではなく風変りな教師陣に比べれば許容の範囲内だ。多少制服を着崩しているとか、常に黒いマスクをしているとか、やたらと装飾のピアスが多いとか、口調がたまに不良のそれで怖がられるとか、近寄りがたい雰囲気を出しているとか、その程度だ。と、ネモは認識している。
 生徒会長という立場上、初心に返るという名目で参加している課外授業の合間でもネモは頻繁にアカデミーに戻ってきていた。今日も備品の紛失に関しての会議があり、いくつか対策案をまとめて校長に提出してきたことろだ。長い時間じっとしていたせいか今すぐポケモンバトルをしたくて仕方がない。そう思いながらエントランスの階段を下りていくと背の高い一人の生徒の後ろ姿を発見して反射的に目を輝かせた。

「先輩! 丁度いいところに!」
「断る」
「まだ何も言ってないのに!?」

 駆け寄りたい気持ちを精一杯抑えながら競歩の如く速足で近づいて声をかければ、一寸の迷いもない声音で一蹴されてしまう。パラパラと読んでいた本を閉じ棚に戻して振り返ったのは風紀部に所属するナマエだ。口元はマスクに覆われていて、唯一感情の読み取れる瞳が呆れたようにネモを見下ろした。

「どうせバトルだろ。悪ぃけど今はそんな気分じゃない。それに保護したヤミカラスの様子も見に行かなきゃいけねーし」

 じゃあな、と素っ気ない態度で去っていく背中を見送り大きく肩を落とす。が、すぐに気を取り直してバトルの相手をしてくれそうなトレーナーを探しに行こうとアカデミーから飛び出していった。
 ネモにとってナマエは気軽にポケモンバトルの挑める根は優しいが不器用で孤独な先輩だった。初めてその存在を認識したのは生徒会長に抜擢された時だ。ちょっとした問題から前会長からの引継ぎが上手くできなかったところを、元々生徒会のメンバーだったという彼に手助けしてもらった。そんなきっかけから少しずつ話すようになり、あくタイプのポケモン使いとして強いことが判明してからは出会い頭にバトルを挑むのが最早挨拶と化している。実際にバトルをした回数はかなり少ないが一戦一戦の充実感は一度味わってしまったら忘れられない。それほどの実力者だ。ジム巡りをしてチャンピオンを目指せばきっとトップであるオモダカの目にも留まるだろう。
 けれども彼は上を目指そうとはしない。どうしてバトルをしてくれないのか。どうして実力があるのにジムにもチャンピオンにも挑まないのか。正直、勿体ないと思う。そんなネモの純粋な疑問を鬱陶しがることなくナマエはただ「俺にはできない」とだけ答えを返してくれた。やらないでも面倒でもなく、できないと。
 振り返れば出会った頃からずっと彼は人と深く関わろうとはしていなかった。いつだって一人でいる。風紀部も彼だけで立ち上げたと聞く。多くの様々な生徒がいるアカデミーの風紀をたった一人で見守り、保っていた。まるでそれが責務であるかのように。少なくともネモにはそう見えてしまった。一人の生徒が抱えるには重い何かを持っていると。だからナマエに孤独を感じていて、理解もできた。

「ナマエがいじめやってたって噂、本当かな」

 そんな声が耳に届いて走っていた足が止まる。視線を向ければ数人の生徒が道の端で立ち話をしていた。

「あんな見た目してるんだもん不思議じゃないよね」
「もしかして元々スター団だったりする?」
「でもスター団の子たちを睨んだだけで追い払ってるの見たよ」
「こわー。なんで風紀部なんてやってるんだろ。全然似合わないでしょ」

 こうしたナマエへの評判は特別珍しいことじゃない。アカデミーの中では彼らのようなことを口にする生徒も少なくない。確かに身なりや態度は不良と呼ばれてもおかしくないけれど、必ずしも中身がそうであるとは限らないことをネモは知っている。だからいちいち悪い噂を訂正しないのも、自分と同じように彼の本質に気付いている生徒もいるからだ。
 
『届かない本を取ってくれた!』
『キズぐすりが無くて困ってたら別けてもらったんだ。意外と優しいよな』
『授業で悩んでたところを丁寧に教えてもらったよ。これがギャップ萌えってやつ?』

 些細な事ばかりだけれど、それほどアカデミーの生徒をよく見ているということだと思う。きっと他の誰よりも大切に、大事に見守っているのは彼なのかもしれない。もちろんクラベル校長をはじめとする先生方も生徒の皆に優しく寄り添ってくれている。でもナマエのはちょっと違うと、なんとなく察していた。
 クスクスと笑いながら陰口に花を咲かせる生徒たちに歩み寄り、にこりと笑みを浮かべた。

「ねぇ。わたしとバトルしようよ」

 どれだけ悪い認識をされていてもネモは怒らないし間違いを指摘したりしない。ナマエの献身的とも言える不器用な優しさに気付かないなんて可哀想な子たちだとしか思えなかったからだ。



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