ピーニャ

※スターダストストリート後

 仲の良い友人だったのはもう一年半も前のことだ。アカデミーに入学して、生真面目なあいつと出会って、ちょっと素行がよろしくない俺とはそりが合わないだろうと思っていたが音楽という共通の趣味で意外にも意気投合。すぐに親友と呼べる関係になった。苦手な勉強を教わったり、逆に得意なバトルを教えたり、お互いの足りない部分を補い合えるいい関係を築けていたと思う。アカデミーに通うくらいなら旅に出たほうがマシだと親に反抗していたが、あいつと出会ってこの場所も悪くないと居心地の良さを感じていた。
 けれどあいつが生徒会長に選ばれた時から全ては狂い始めてしまった。

「おい。さすがにやりすぎだ」
「これくらい厳しくないとダメっしょ。ルールは大事だよ」
「だからって、これじゃあ文句を言うやつが出てくるぞ」
「もうキミから反感は買ってそうだけどね。ボクはボクのやり方でこの学校を良くしていくよ」
「…………俺の意見は邪魔ってことかよ」

 そんな些細な、小さな亀裂が始まりだった。頭が良く優秀ではあるが真面目すぎる性格が時にはマイナスの印象を相手に与えてしまうというのは一番近くで見てきたから理解している。いい子ちゃんでも苦労はするものなんだなと気の毒に思ったほどだ。だから共に生徒会に入って俺なりに支えてやろうとした。

「最悪な生徒会長だって皆が言ってるんだからさ、さっさと辞めろよ」
「でも……学校の規律を正しくするためには必要な学則だから……」
「あれもダメこれもダメってウザすぎ。ねぇ、ナマエはどう思う? いろいろ禁止されて怒ってたでしょ」
「……どうでもいい。好きにしろ」

 しかし僅かな亀裂はすぐに大きく修復ができないほど深くなり、そして生徒会長の座から追放されるあいつを俺はただ見ているだけだった。支えるどころか拒絶して突き放してしまったんだ。
 最初に裏切ったのは俺の方。助けを求める、縋りつくような瞳から目を逸らして何も見なかったことにした。いじめられていると知りながらその事実がまるでなかったかのように振舞い、アカデミーを去っていくあいつにひどく冷たい言葉を贈ってしまった。
 大丈夫だ。俺がいるよ。そんな想いすら素直に口に出せない程、俺は視野の狭い子供でしかなかったのだ。
 そんな自分があいつに裏切られたと思うのは筋違いというやつだろう。勝手に悲観して距離を置いたのは誰だったのか忘れたわけではない。だから、大切な宝物を慈しむように友人と過ごすあいつからあの時と同じように目を背けた。

「……ナマエくん」

 なのにあいつは躊躇いもなく俺の名前を呼ぶ。まるであの頃のように。でもあの頃とは違い不安そうな表情で。返事もせずに横を通り過ぎれば息を飲むような気配を感じたが振り返らなかった。今はとにかく関わりたくない。醜い嫉妬心が渦巻いてまた傷つけてしまいそうになる。
 アカデミーに来るようになったことを知った時は嬉しかった。あの楽しかった日々のように一緒に学べるのだと浮かれて、一年半もサボっていたのだから今なら座学を教える立場が逆だな。なんて甘いことを考えていたんだ。見放したのは自分だということも忘れて。能天気な頭に呆れてしまう。そんなことはもう無理だと解っていただろう。だって、あいつの隣にはすでにかけがえのない仲間たちがいるのだから。

「ナマエくん待って!」

 顔を合わせる度に呼び止められてはそれを無視する。おかげで周りの生徒からの注目度は高くなるばかりだ。顔の半分を隠すマスクの下で口元が日を追うごとに歪んでいく。

「っ、ナマエ!!」

 その日、一際大きな声が廊下に響いた。それを無視できなかったのはその場に居合わせてしまった数人の生徒が先生を呼びに行こうとしたのが視界に入ったからだ。どんなにくだらない噂を囁かれようが構わない。だが大事になるのだけは避けたかった。なぜならこれは俺と、友人だったあいつとの二人だけの問題だからだ。
 慌てて後ろを追いかけてきた男の手を掴んで寮へと走った。以前ならば廊下は走っちゃダメと怒っていたに違いない。手を引かれるまま大人しくついてくる友人だった男の苦言も、今では恋しく思う。勢いのまま入った自室はカーテンを閉めたままで少し薄暗かった。走ったせいで息を荒くさせる姿を見下ろしながら相変わらず体力はないんだな、と懐かしさが込み上げてくる。それを自覚してすぐに掴んだままの手を放した。

「やめろよ、ああいうの」
「うん、ごめん。どうしてもキミと話がしたくて」

 呼吸を落ち着かせて真っ直ぐにこちらを見つめてくる瞳から顔を背ける。すると落胆に似た困ったような笑い声が小さく聞こえた。

「なんだかボク、いつもナマエくんを怒らせてる。これじゃあ嫌われても仕方ないか」
「……別に嫌ってるわけじゃねー」

 むしろ嫌悪感を抱かれているのは俺の方ではないかとすら思っている。あんなにもひどい仕打ちをしたのだ、許されるわけがない。なのに、どうしてそんなホッとしたような顔をするんだ。そんな表情をされては困る。罪を償おうとする気持ちが揺らいでしまうじゃないか。
 グッと奥歯を噛みしめてこちらを見上げてくる友人だったピーニャに向き合った。言葉を発するために開いた唇が震えるがマスクのおかげで相手に伝わることはない。

「俺は、もうお前の友達じゃない」
「え……そんな悲しいこと言うの、ちょっとひどくない? またあの頃みたいに」
「戻れねぇよ。俺たちはもう、あの頃みたいにはなれない」
「なら、また新しく始めればいいじゃん! もう一度最初からさ」

 前向きで希望のある言葉に笑いが漏れた。それは喜びからではない。嘲笑に似た、よくないものだった。

「変わったな、ピーニャ。お前は立ち止まらず、ずっと前に進んでた。だから理解してくれる仲間ができたし、それが大切な宝物になったんだろ。でも、俺はお前とは違う。何も変わってない。ずっとあの日を後悔してる。今だってそうだ。またお前を傷つけてしまうんじゃないかって怖くなる。あんなこと、もう二度と繰り返したくない。同じ過ちを犯したくないんだよ」

 驚きに見開かれる釣りあがった目。そういえば目つきが悪くて怖がられるって悩んでいたっけ。スター団という居場所がその悩みも失くしてくれたんだな。ほら、俺は必要ないだろう。

「だからお前とは一緒にいられない」

 何度思ったことだろう。もし暴走気味に校則を乱立していくのを止められていたら。もし皆の糾弾から助けていたら。もしいじめから庇っていたら。今、隣に立っていたのは俺だったのだろうかと。そんな夢物語を思い描いてはいつもかき消していた。
 いつの間にか俯いていた顔に熱が触れる。視界には少し派手な靴が見えた。頬に添えられたのがピーニャの手だと気付いたのは労わるように撫でられてからだ。ハッとして顔を上げれば今度は俺が驚く番だった。

「な、んで……お前が泣くんだ」

 困ったように眉尻を下げ、噛みしめるように口元を歪ませ、ピーニャは声も漏らさず泣いていた。

「だって、そんなこと言わせちゃってるのボクのせいっしょ。ナマエくんが苦しんでたこと全然知らなくて、ごめんね」
「……違うッ。お前は悪くない」

 優しい温もりを払い除けて、フラフラと後ずさり力なくベッドに腰かけた。裏切ったのに、ひどいことを言ったのに、それでも友達として必要としてくれるのか。もう一度隣にいることを許してくれるのか。あぁダメだ。嬉しいなんて思うな。期待なんかしちゃいけない。
 両手で顔を覆い、深く息を吐く。

「謝ってくれるなよ。俺が臆病だから、一歩を踏み出せねぇだけなんだ」
「そんなことないって、キミは────」
「ピーニャ。頼む。出て行ってくれ。今は一人になりたい」

 指の隙間の狭い視界の中で躊躇うようにこちらに一歩近づいた足が、少し間を置いてゆっくりと踵を返した。気遣うようにして閉まるドアの音に詰まった息を吐き出す。静かになった自室に一人残され乾いた笑いが込み上げた。そのまま体を後ろに倒してベッドに背中を預け、カーテンの間から差し込む陽の光に目を細める。
 独りでいることを選んだのは自分自身だ。いじめを見過ごして、まるで自分は関係ないんだと無関心を貫いた。その結果、多くの生徒がアカデミーを去っていった。助けを求める手を拒んだのは自分だ。見て見ぬふりをしたのも、止められなかったのも。そんな奴が暢気に新しく友達を作り、楽しい学校生活を送るなんてできるわけがない。だって俺にとって一番の友人はピーニャしかいないのだから。


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