ネモ

※本編後

 小さい頃からポケモンバトルが好きだった。仲良くなったデルビルを抱えながら夢はジムリーダーになることだとよく口にしていた気がする。多分ガラルに住む従兄の影響もあったのだと思う。アカデミーに入学してからはたくさんのトレーナーとバトルすることができて楽しかったな。
 相手の技を受けて力尽きたように地面に倒れたヘルガーをボールに戻し「よくやった」と囁く。そして相対する後輩に視線を向けた。

「俺の負けだな」
「……わたしじゃ、先輩の本気引き出せないのかな」
「なんでお前が落ち込むんだよ。俺の腕なんてこんなもんだ」
「そんなはずない! だって先輩のポケモンたちは本当はもっと、ずっと強いですよね! もう一度、戦りましょう!」
「一回だけって言ったろ」

 落ち込んだかと思えば今度は悔しそうに詰め寄ってくるネモを軽くあしらいながら近くのポケモンセンターへと向かう。最年少でチャンピオンランクになった彼女の言う通りだ。さすが、よく見ている。確かに手持ちのポケモンたちのポテンシャルは高い。この子たちを育てるのに一切手を抜いたことはない。けれど俺はそれを引き出してやることができなかった。

「次は絶対に全力のポケモン勝負しましょうね!」

 そう意気込んで去っていくネモの背中を見送って息を吐く。
 バトルを楽しめなくなったのは多分あの日からだ。入学した当初からアカデミーにはいじめが蔓延していた。俺は身長が高かったことと見た目の派手さから敬遠されて意地の悪い先輩たちに絡まれることはなかったが真面目なあいつはそうもいかなかった。いじめの問題をどうにかしようと生徒会長としていろいろ手を尽くした結果反感を買い、俺もあいつを見放すという最悪の道を選んだ。加担するわけでもなく、助けるわけでもない。そんな中途半端な位置にいる自分に苛立ってその気持ちをポケモンバトルにぶつけた時もある。いじめている奴らを見て、くだらないと自分から突っかかってバトルで負かして、それでも気分は晴れなくて。いつしかバトルがつまらないものに感じた。それと同時に親友とも呼べる仲だったあいつが苦しんでいるのに自分だけが楽しむのは間違っていると思うようになったのだ。
 ネモと初めて勝負をした時、純粋にバトルを楽しんでいた頃の気持ちが蘇ってきて怖かった。あんなにも真っ直ぐに、ただただひたすらに、バトルをすることが極上の喜びだという感情をストレートにぶつけられて感化されそうになる。マスクの下に隠れている口元が思わず釣りあがってしまったと気付いた瞬間、心にブレーキを掛けた。まだ、俺にはそれが許されないことだと言い聞かせながら。だからできるだけ彼女との勝負は避けていた。

「あ、いたいたー! せんぱーい!」

 ネモが意気揚々とやってきたのは、前にポケモン勝負をしてから随分と経ってのことだった。学習机に置きっぱなしにされていた本を棚に戻しながら振り返ると元気に走り寄ってくる。珍しいことに彼女は一人ではなかった。

「先輩に紹介しようと思って。この子はハルト。バトルがすーっごく強いの!」
「知ってるよ。チャンピオンランクになった奴だろ。転入してきたばっかなのにすげーな」
「わたしの最高のライバルなんだ!」

 これ以上ないくらいニコニコと喜んでいる彼女の隣で照れたように笑う少年。知らないはずがない。転入してきた生徒があっという間にジムを制覇しチャンピオンランクに登りつめ、最年少でその肩書を得たアカデミーで最も優秀と言われるネモにポケモンバトルで勝利した。誇張抜きのその出来事を知らぬ者はもうアカデミーにはいないだろう。
 俺もその一人だ。と言いたいけれど周りからの注目を集めるよりも前から少年──ハルトを知っていた。転入生としてではなくスター団に挑む生徒として、嫌でもその存在を懸念してしまう。だが俺の心配は無駄だった。彼のおかげで結果的にスター団は救われたのだから。
 そして俺が避け続けたバトルの世界でもハルトはネモを救った。本人にその自覚はないだろうけど、それでもいい。

「ネモの相手、大変だろうけどよろしくな」

 まるで保護者のようなことを言ってしまったがハルトはこちらを見上げて頷いた。不思議な少年だ。それとも俺が臆病なだけなのか。あいつを助けることも、ネモと対等に渡り合うことも、大事なことを俺は何もできなかった。なのに彼は、何も知らない彼は全部その小さな両手で救い上げてしまった。とても眩しくてそっと視線を逸らしてしまう。

「それでね、先輩。一つお願いがあるんですけどー」
「バトルしてくれ、だろ」
「さっすが! でも今回はわたしじゃなくてハルトの相手をしてほしいんだ。できればわたしの相手もしてもらいたいです!」
「後半は聞かなかったことにする。なんで俺なんだ。二人でやりゃあいいだろ」
「ハルトは手練れなあくタイプ使いとはバトルしたことないから経験させてあげたいなって」
「まぁ、パルデアにはあくジムがねぇからな……」

 ジムではないがスター団にはあく組がある。そこのボスがピーニャなのだが今はSTCとやらの準備で手持ちを増やして育成している最中だと少し前に耳にしたばかりだ。間接的にだがオススメのあくタイプポケモンを聞かれたことは記憶にまだ新しい。つまり今の時点でネモのお眼鏡に叶う程のあくタイプ使いは俺を除いてこのパルデア地方にはいないということだ。本当なら喜ばしいことだがご期待に沿えられるか自信はない。
 申し訳ないが断ってしまおうと視線を下げれば二人の瞳はもうバトルをする気に満ちていた。ネモだけなら適当に誤魔化せただろうが、直接的ではないにせよ一方的な恩がある少年を無下にはできない。というのはただの言い訳か。今なら二人とバトルをしてもいいと思えた。
 まるで返事はOKしか待っていないかのような期待の瞳に肩を竦めて力なく笑った。

「今回だけだぞ」

 心のどこかに余裕ができたのかもしれない。ピーニャはもう大丈夫だと。たくさん友達ができて、アカデミーにも無事通えるようになって、奉仕活動として与えられたSTCのおかげでスター団としての居場所を失わずに済んだ。俺には何もできなかったが、あいつが毎日を不安なく過ごしてくれるならそれでいい。
 俺ももう、ポケモンバトルを楽しんでも許してくれるだろうか。



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