オルティガ

 アカデミーのエントランスでピーニャの挨拶運動に付き合っていると多くの視線が突き刺さる。もちろんあの頃みたいな他人を蔑むようなものではなく好奇の眼差しだ。だからといって不快にならないわけではないが、先日同じことをした時の周囲の反応が意外と悪くないと知ってしまったからには多少の恥ずかしさは我慢するしかなかった。でも大きな声を出すのはやっぱり嫌だ。
 文句や不満を抱えながらも付き合ってあげるオレはなんて優しいのだろう。そう心の中で自分に賛辞を贈りながら吹き抜けになったエントランスの高い天井を見上げた。すると三階からこちらを見下ろす生徒の一人に意識が奪われる。そして思い出すのは消したくても消えない日々のほんの一部。
 その記憶だけはどうしても忘れたくなかった。

 親が金持ちだと解るといじめっ子たちは金銭を要求してきた。反発すれば嘲笑され、価値を問われ、金が絡まなきゃ仲良くなる必要もないと無視をされ、悔しさに自分が抑えられなくなって思わず手が出そうになる。けれど握った拳を振り上げることはできなかった。

『しょうもねぇことしてんなら、俺とのバトルに付き合えよ』

 大きな背中が目の前を立ち塞いだからだ。邪魔をするなと口を挟む隙すら与えられないまま、乱入してきた男子生徒はいじめっ子たちを挑発して引き連れていってしまう。呆然と立ち尽くしていたがハッとなって慌てて追いかけるとすでにグラウンドではバトルが始まっていた。あまりにも一方的で、あまりにも圧倒的なバトル。いじめっ子たちはルール無用とでも言うように複数で挑み始めたが、結局負け犬の捨て台詞を吐いて去ってしまった。
 この時のオレは男子生徒に礼を言うつもりはなく、一言文句でも浴びせてやろうとさえ考えていたのだ。なのにオレの存在なんて気付いていないかのように素通りしていった。もしかしたら向こうには助けたという認識すらなかったのかもしれない。
 それからずっと声をかけるタイミングを探していて気付いたことがある。男子生徒の視線の先にはいつもピーニャがいた。

 隣から聞こえる溌剌とした挨拶に、思い出の中から意識が呼び戻される。今もまだアイツの視線はあの頃と変わらない。こんなにもオレが見てやっているのにまるで気付かないまま顔を引っ込めてしまった。また何もせず見ているだけかよ。少しずつイライラが募って、じっとしていられなくなった。

「あーもう!」
「ちょ、オルティガ!? どうしたの!」

 驚くピーニャの声を無視して階段を駆け上る。息を切らしながら三階まで一気に登ればアイツはエントランスを出ていこうとしていた。ナマエ、と咄嗟に名前を呼んだ。大きな声で挨拶するのをあれだけ嫌がっていたというのに今は全然周りの目なんか気にならない。
 立ち止まった相手に息を整えながら歩み寄り、ピーニャよりも少し高い長身の男を見上げた。

「あのさ、いつまでもウジウジしてて鬱陶しいんだよ、オマエら」
「……悪かったな」

 突然何を言ってるんだ、とは言わなかったあたり自覚はあるらしい。それが余計にムカついて杖を握りしめた。

「さっさと仲直りでもなんでもしろよ」

 それだけ告げて踵を返す。二人の間のごたごたがなくならないとオレだってすっきりしないんだ。いつまで経ってもあの時のお礼が言えないままなのはいい気分じゃない。だから早く見つめるだけの日々なんてなくなって欲しい。あぁそうだ、ピーニャにもガツンと言ってやらないと。



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