ハッサク

 美術の授業が終わり道具の後片付けをしていると少し困った様子のハッサク先生に声をかけられた。次いで伝えられた内容に少し首を傾げる。

「進路調査票?」

 そういえばそんなものを新学期の始めに配られた気がする。寮の自室で見た記憶はないから多分教室の机の中に入れっぱなしになっているのだろうか。後で確認しておこう。そう考えている俺の様子に先生は仕方ないといったように肩を竦めた。ハッサク先生は美術の授業を担当しているが俺のクラスの担任でもある。正直、苦手な人だ。

「あと提出していないのはあなただけですね」
「あー……すいません、すぐ出すんで」
「いえいえ、急かしているのではありません。将来のことですから慎重になるのは当然です」

 とは言え提出期限はもう過ぎているのだろうし出来るだけ早く提出しなければ。そう思えど、何を書けばいいのか自分でも分からなかった。

「もし悩んでいるのでしたら、どうでしょう、小生に相談してみませんか」

 オレンジ色の感情の見えない瞳が正面から向けられる。まるで覗き込まれるような感覚に、手に持った筆を片付けるフリをして視線を逸らした。ただ生徒を心配している教師にしか見えないが、こちらを見透かすような瞳はどこか恐怖心すら煽る。

「悩んでるわけではない、です。あまり考えてなかったから」

 もう少し正確に言えば考えないようにしていた、だ。あいつを置いてアカデミーを卒業するのだって間違っていると思っていた。だからその先のことなんてまだ決めていない。でも、そうか。もうそんなことを考えてもよくなったのか。将来、いやアカデミーを卒業してから俺のやりたいことってなんだ。俺には何ができるのだろうか。

「具体的な進路が決まっていないのでしたら夢や目標を書くのもいいでしょう」
「夢、すか」
「はい。小生も若い頃は夢を追いかけていましたですよ!」

 自分でも何がしたいのか分からない俺に先生はそう語った。夢なら俺にもあった。小さい子供の戯言だけど大きな夢が。

「じゃあ教師になるのが先生の夢?」

 興味本位に問いかけると先生はそうですね、と言いながら美術室に飾られた芸術作品に優しく触れた。

「教師は夢の先にあったものです。様々な人と出会い、別れ、多くの経験をしてきました。たくさん失敗をして学んで、そうしてここに辿りつきましたですよ」

 先生の瞳がもう一度俺に向けられる。今度はちゃんと温かみを感じられた気がした。

「あなたには夢はありますか?」
「……ジムリーダーになりたいってのは、馬鹿げてますかね」

 将来なりたい職業ランキングでも上位に入るありきたりな夢だ。大人たちが皆笑って応援すると言ってくれる子供じみたもの。この人も授業中によく見るような感情を爆発させて大泣きするかもしれない。そう思ったけれど先生は驚いたように目を見開いた後、まるで自分のことのように誇らし気な柔らかな笑顔を浮かべた。

「そんなことはありません。とても素晴らしい夢ですよ」

 少しだけ先生への苦手意識がなくなったような気がした。


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