オルシュファンと兄01

 その女性はとても美しかった。繊細で儚く、そして物静かな優しいヒトであった。幼心なりに守ってやらねばと意識してしまったのは十二騎士が末裔たる騎士の血故だろう。無理はしていないか。生活に困っていないか。悩みがあれば遠慮せずに相談をしてほしい。未だ剣すらまともに握れぬ子供が身分の低い彼女を救おうとしたのだ。己に守れる力はなく、あるのは家名の力のみ。それでも小さな騎士の小さな手に彼女は少し青みがかった銀色の髪を揺らして微笑んだ。
 けれど芽生えた淡い気持ちの蕾は虚しくも咲くことはなかった。
 フォルタン家が管轄するキャンプ・ドラゴンヘッドにある家の一室で冷えた体を温めるように暖炉の火を見つめていると部屋の外が騒がしくなった。どうやらここの拠点を任されている隊長の耳に私が来訪したことが伝わったようだ。開かれたドアから入ってきた冷気が足元まで届き、視線を寄越せば険しい顔つきをした男が後ろ手にドアを閉めて歩み寄ってくる。

「ナマエ卿、連絡もなしにお越しになられては出迎えができないではありませんか」
「大した用でもないんだ。必要ないよ。それよりここには私と君しかいないのだから、そう堅苦しくなる必要はない」
「つまり、また誰にも何も告げずにここへ来たのですね……兄上」

 今頃本家の者が探していますよ、と心配する男は随分と昔に彼女が残していった父との間にできた子。私にとっては弟にあたる。

「君がもっと屋敷へ顔を出してくれたら、私がこうして会いに来る必要はないのだけどね」
「それは詭弁ではありませんか」
「かもしれないな。いや、すまない。君を困らせる気はないんだ」
「困ってなど……兄上が私に会いに来てくれることはとても嬉しい」

 そう言って微笑んだ表情にじんわりと胸の奥が熱くなった。
 彼女に抱いた恋を恋として認識する前にその想いを断ち切らざる負えなくなったのはこの男、オルシュファンの存在があったからだ。妾の子として父の腕に抱かれた赤子。彼女に懐ていた私を知っていた父なりの配慮で、母には内緒で会わせてくれた。父が彼女に惹かれていることも、彼女の変化も、二人の間に子ができることも予知していた。夢の中でその光景が視えたのだ。私の想いは無駄なものだと教えてくれた。だからこそ赤子を目にした時、運命を感じたのだ。まるで彼女と初めて出会った時のような、冷たい雪が溶けていく感覚。小さき手に触れれば指を握られ心が震えた。それと同時にこの赤子が決して恵まれた人生を送れるものではないと悟る。母はきっとお認めになられない。彼女を許すことも絶対にないだろう。ならば守らねばなるまい。この小さな命を私の手で守ってみせよう。そうすれば今度こそこの想いが無駄ではないと証明できるはずだと。
 幼い私は無力な赤子に希望を見出したのだ。
 湯気の立つカップを受け取り暖炉の前から離れて椅子へと腰を下ろす。あまり長居をしては仕事の邪魔になるだろうが小休止程度の時間は許されるだろう。クルザスの地で栽培された茶葉の香る紅茶が喉元を過ぎて胃へと流れていく。体が芯から温められカップを口元から離して吐息を漏らす。それを見計らってから対面に座るオルシュファンが口を開いた。

「聞きましたよ。新任の神殿騎士団総長殿から騎士団へ戻らないか誘いを受けたと」
「耳が早いな。騎士団総長としての立場を固めるために力を借りたいのだそうだ」
「兄上はフォルタン家が誇るイイ騎士ですから総長も頼っておられるのでしょう。それで、なんとお返事をしたのですか」
「少し考えさせてくれとは伝えたが、そうだな……」

 悩む素振りを見せながら目元を指で撫でる。この右目はすでにその役割を放棄していた。
 騎士がドラゴン族との争いで負傷することは珍しくはない。むしろ怪我を負うだけならば幸運とも言えよう。名誉の負傷と誇る者もいれば怪我が原因で騎士団を脱退する者もいる。私は後者のうちの一人だ。痛々しい傷痕が残っているわけではないが、ドラゴンの毒をまもとに受けてしまい物資不足の戦場ではまともな治療もできず結果として右目は毒に侵され徐々に視力を奪っていった。それでも騎士として戦い続けたが失ってしまった穴を埋めるために酷使した左目までもが世界の鮮明さを低下させていった。そこで決断できなかったのが私の甘さだったのだろう。

 不明瞭な視界でドラゴンの動きを正しく認識できなかった私は神殿騎士団病院で目を覚ました。傍らには祈るようにして私の手を握りしめているオルシュファンの姿があり、その時、もう潮時なのだと痛感したのだ。緩く握り返してやると勢いよく顔を上げた弟の瞳にはうっすらと涙の膜が覆っていた。

「兄上!」

 いつの頃からかオルシュファンは頑なに私を兄と呼ぶことを控えるようになった。ナマエ卿、と自分の立場を考えてのことだろうが要らぬ気を遣っていたのかもしれない。そんな彼が自制もできないくらい動揺しているのは紛れもなく私のせいだ。

「心配をかけてすまなかったなオルシュファン。私は大丈夫だ」
「本当に、本当によくご無事で……っ、すぐに皆を呼びに行ってまいります!」
「待ってくれ。焦らずとも直に皆ここへ来る」

 離れていこうとする手を握りその場に留め、安心させるようにして微笑みを向ければオルシュファンは浮かしていた腰を静かに下ろした。それから改めて私の手を両手で包み込み深く息を吐き出す。

「目を覚まさないのかと肝を冷やしました」
「私も死を覚悟したよ」

 少しでも気を紛らわそうと軽い冗談を言ってみたが、くしゃりと泣きそうに歪む弟の表情に逆効果だったかと眉尻を下げる。泣かれると困ってしまう。どうしていいのか分からなくなるのだ。幼い頃は頭を撫でて、抱きしめて、温もりを共有することで慰めていた。しかしそれも年齢を重ね逞しく成長していく弟を見守ればこそ躊躇われるというもの。求められるのならばいくらでも答えてあげたい。だが必ずしもそれがオルシュファンのためになるとは限らない。彼は立派な騎士となる男なのだから。
 それでも悲しみを拭うことはできると目元に力を込めて必死に涙を流さんとする弟の頬に手を伸ばせば、少し身を屈めてそれを迎え入れてくれた。こういう所作が堪らなく愛おしいと思う。

「よく聞けオルシュファン。騎士になるとはこういうことだ。民や国を護るためには命を懸けなければならない」
「覚悟しております」
「いい瞳だ。だがな、死んでしまっては護ることすらできないのも事実。だから強くなりなさい」

 じっと見つめ合った瞳が静かに閉じて、ゆっくりと開いた時にはもうそこに涙の色はなかった。頬に触れている手にオルシュファンの暖かい手が重なる。

「はい。強くなります。強くなってこのイシュガルドを、民を、そして貴方を護りましょう」

 本当に心地良いくらい真っ直ぐに成長したものだ。
 彼女に置いて行かれてしまったオルシュファンに私は常に寄り添い続けてきたが、フォルタン姓を名乗ることすらできず、公の場に出ることさえも母に許されず、兄弟としてともに育てられたアルトアレールやエマネランとの間にも隔たりがある。けれど彼は決してそれを嘆くことはなかった。仕方のないことだと受け入れて、名乗れはしないがフォルタン家の者として立派であろうとするその姿勢は尊敬にも値する。

 だからだろうか。過去を思い出し伏し目がちになっていた瞳を僅かに上向け対面に座る男を盗み見る。すっかり幼さの失せた端整な面持ちに彼女と同じ青みがかった銀色の髪。魅力的だが最も惹きつけられるのは曇りなき美しい心。そう。私は半分血の繋がった弟、オルシュファンを愛してしまった。それは家族愛では収まらない許されざる想いだ。
 目元から手を離し、もう片方に持っていたカップをソーサーの上にコトリと置いた。

「身に余る申し出だが断ろうと思っている。やはりこの目では神殿騎士を名乗るには力不足だからな」
「それを聞いて、少し安心いたしました」
「てっきり君には失望されるのかと思っていたが。良い騎士とは民と友のために戦う、とね」
「騎士として総長の誘いを断るのは勿体ないことだとは思います。ですが騎士団に入らないからと言って国や民を見捨てたわけではない。兄上はフォルタン家の騎兵団をまとめ、その指揮を執られている。充分に国に貢献していると総長もご理解しておられるでしょう」
「そうだな。彼のことだから私が自分に不甲斐なさを感じていることを悟って気を遣ってくれたのかもしれない」
「貴方はお優しい方ですから戦場でまたご無理をされては困ります。生きてこそ、ですよ。それに戦うことだけが国を護るとは限りません」

 その通りだ。戦うだけが全てではない。我が国が抱える問題はドラゴン族との戦争だけではないのだ。オルシュファンの言葉に同意を示すため頷こうとした時、突然眩暈のような感覚が襲った。咄嗟に額を抑えるが慌てるようなことはしない。このエーテルに酔う感覚は初めてではなかったからだ。
 視えたのは皇都で起こる騒乱を治めるべく奔走するオルシュファン。その傍らには我が友であるエスティニアンと氷の巫女と呼ばれる女性。そしてエオルゼアの英雄である冒険者がいた。これは私の知らない、覚えのない光景だ。これからの未来で起こるであろう出来事の一つ。この国が辿る運命が変わるかもしれない瞬間の一つ。戦いは終わったのです、と強く告げる弟の言葉を最後に意識が現実へと戻ってくる。

「兄上っ」
「平気だ。少し眩暈がしただけだよ」

 慌ててこちらへ来ようとするオルシュファンに軽く手を上げて笑みを向ければ、心配そうに眉を寄せられた。

「やはりどこか具合が悪いのではないですか。先の霊災を境にそのような症状が増えたように思います」
「本当に大丈夫さ。きっとピントを合わせようと無意識に目を使っているからだろう。いい加減眼鏡を新調すべきだな」
「では私が新しい眼鏡を贈ってもよろしいですか。貴方にお似合いの物と先日出会ったのです」
「それは嬉しいな。楽しみにしているよ」

 感の鋭さではなく、おそらく観察力が優れているのだろう。再びカップを手にして紅茶を口にしながらそう心の中で呟く。私がこの力を手にしたのはまさに第七霊災がきっかけだった。激しく大きなエーテルの揺らぎを受けて声を聞いた。それはクリスタルの、ハイデリンの声。この時より以前から発症していた予知夢ではなく、起きている状態で未来が視えるようになったのだ。
 力に覚醒してから幾度か未来を視たが、そのいずれにも英雄と呼ばれる冒険者がいた。彼の者がこの閉ざされたイシュガルドを救う光の戦士なのかもしれない。そして我が弟オルシュファンのかけがえのない友となる。けれども本当に光の戦士は現れるのか。本当にそれだけの力を持ち合わせているのか。

「オルシュファン、君に伝えておかねばならないことがある」

 これはイシュガルドの未来の一部を知ってしまった自分にしかできないこと。カップをソーサーに戻して弟の目を見つめる。

「私は暫くイシュガルドを離れることにした」
「なっ……!」
「父上にはすでに許可を得ている」

 突拍子もない私の言葉に驚いたオルシュファンはまたもや椅子から腰を浮かした。この話を屋敷でした時アルトアレールやエマネランも同様の反応を見せていたのを思い出し、やはり兄弟だなと目を細める。だが、その二人とは違い目の前にいる弟に待ったをかけられては覚悟も鈍るというもの。であれば反論の余地を与えず畳みかけるように己の考えを伝えるのが最良だ。兄としては情けない手ではあるが致し方ない。

「私はこの目で見定めなければならない。イシュガルドがこれから迎える運命が正しいのかどうかを」

 例え隠し事があったとしてもこうして本音を語れば末弟のように駄々を捏ねることはしない。オルシュファンはまだ若いが聡明だ。私の意思を汲み取り理解を示してくれるだろう。圧力と言われてしまえばそれまでだが期待を込めて微笑めば、ぐっと唇を引き締めて立ち上がり姿勢を正した。

「それが兄上の為すべきことであるのなら私からの言葉など不要でしょう。ただ一つだけ約束をしてください」

 スッとテーブルを迂回してやってきては傍らに片膝をついて私の手を取る。そして真っ直ぐにこちらを見上げてきた。

「必ず生きて、このオルシュファンの元へ帰ってくると」

 穢れのない宝石のような美しい瞳に惚れ惚れしてしまう。まったく誰に似てこんなに紳士な振る舞いをするのか。ああ、星へと還った母よ。やはり彼はフォルタンの姓を与えてやるべき男です。

「当然だ。約束しよう、必ず君の元へ帰ってくると。だから、いい子で待っているんだよ」

 込み上げてくる愛おしさを抑えながら少し青みがかった銀色の髪を指先で撫でつけ、晒された額に顔を寄せる。

「私の愛しいオルシュファン」

 口癖となってしまったそれを呟いて、そっと額に口付けを落とした。
 未来は不変ではない。歯車が一つ狂えば別の未来へと動き出す。私にできることはかの英雄を探し、見極め、この地へ導くこと。それが国と民を救うことに繋がると信じて。それが光のクリスタルを授けられた私の使命だと信じて。そしてオルシュファンにとって大事な友を得る未来になると信じて。


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